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中国古典は学ぶことが多いですね。
それは物事の本質を捉えているから。
歴史にしてもまさに人間ドラマ。人間の心理が歴史を動かしてきた。
まさに賢者は歴史に学ぶべしなのですが、
といっても日常生活の中で目先のことにとらわれて本質を忘れてしまうのです。
さて、「論語」為政篇にこころに刻むべきものがありました。
「子曰、由、誨女知之乎、知之為知之、不知為不知、是知也。 」
「子曰く、由(ゆう)よ、汝に之を知ることを誨えんか(おしえんか)。これを知るをこれを知ると為し、これを知らざるを知らずとせよ、是れ(これ)知るなり。 」
子路(由)よ、お前に知ることについてどういうことか教えよう。
それは自分が知っていることを知っていることとして、自分の知らないことは知らないこととしなさい。その限界をはっきりと認識するということ、これが知るということである。
これはとっても大事なことで、知っていること分かっている事と知らないこと分からないことをはっきりさせること、またそれを行動に移すためには
知らないこと分からないことがあれば、知り分かろうとするために勉強したり、知って分かっている人に謙虚に聞き、教えてもらうことが大事だということになります。
人間はプライドも好き嫌いもありますけど、人間4つの領域があると佐高信が言っています。
1好きだし認める人
2好きだけど認めない人
3嫌いだが認める人
4嫌いだし認めないひと
問題は3の扱いです。敵に学ぶといったところなのでしょうけど、いいものはいいと認めることは大事なことですよね。
中国古典は学ぶことが多いですね。
それは物事の本質を捉えているから。
歴史にしてもまさに人間ドラマ。人間の心理が歴史を動かしてきた。
まさに賢者は歴史に学ぶべしなのですが、
といっても日常生活の中で目先のことにとらわれて本質を忘れてしまうのです。
さて、「論語」為政篇にこころに刻むべきものがありました。
「子曰、由、誨女知之乎、知之為知之、不知為不知、是知也。 」
「子曰く、由(ゆう)よ、汝に之を知ることを誨えんか(おしえんか)。これを知るをこれを知ると為し、これを知らざるを知らずとせよ、是れ(これ)知るなり。 」
子路(由)よ、お前に知ることについてどういうことか教えよう。
それは自分が知っていることを知っていることとして、自分の知らないことは知らないこととしなさい。その限界をはっきりと認識するということ、これが知るということである。
これはとっても大事なことで、知っていること分かっている事と知らないこと分からないことをはっきりさせること、またそれを行動に移すためには
知らないこと分からないことがあれば、知り分かろうとするために勉強したり、知って分かっている人に謙虚に聞き、教えてもらうことが大事だということになります。
人間はプライドも好き嫌いもありますけど、人間4つの領域があると佐高信が言っています。
1好きだし認める人
2好きだけど認めない人
3嫌いだが認める人
4嫌いだし認めないひと
問題は3の扱いです。敵に学ぶといったところなのでしょうけど、いいものはいいと認めることは大事なことですよね。