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人を納得させることとはどういうことか、という話を読者からいただきました。
「納得はさせるものでなく、するもの」ではないか?
という意見です。
まさしくその通りで、言葉というものは自分の立場や意識の中で氷山の一角をあらわしているわけでありまして、これを相手が感じるからその捉え方によって納得したり気分を害したりする。これが人間関係に良くも悪くも影響を与えます。
物事を進めるとき、人は自分の経験則でこうやっていこう、とするものが自ずと正しく、唯一と思い込みがちです。
仕事柄、上司として方針や指示を出すときも結論とそれにまつわるプロセスがぼぼ決まっています。だからそれを前提として相手にやってもらうことがある場合、納得させよう、とする意識が働きます。
ただし、これは私が一昨日述べたように、物事の結論や到達点をお互いが理由も含めて納得してまずは一致した上で、その方法論については話し合って進める部分とその人なりの方法でもって行う部分をそれぞれの場合に応じて選択すればいいのではないか、ということです。
それが納得というものであり、その方法論が人によって異なる場合はよりいい方法を共通のノウハウとして場合によっては取り入れたほうがいいのではないかということなのです。それは自分の方法論が必ずしもベストではないのではないか、という認識を常に持ち、よりいいものを求めた方がいいのです。
だから自分のやり方というものを点検しながら、よりいいものを他から学び求めつづけた方が幅が出てくるというものなのです。
上下関係に関わらずよりいいものをつくりあげるために知恵を出し合い、A案とB案のいいところを取り入れ、C案つくり実行したほうがより効果があがることを「納得」することが物事も人間関係も組織もうまくいくのでしょうね。
・・・させる、と書きながら、自分の意見はベストではないかも知れないと漠然と思っていることが迷いとなって一昨日の文になったやに思われます。大変いい示唆を与えてくださいました。ありがとうございました。
人を納得させることとはどういうことか、という話を読者からいただきました。
「納得はさせるものでなく、するもの」ではないか?
という意見です。
まさしくその通りで、言葉というものは自分の立場や意識の中で氷山の一角をあらわしているわけでありまして、これを相手が感じるからその捉え方によって納得したり気分を害したりする。これが人間関係に良くも悪くも影響を与えます。
物事を進めるとき、人は自分の経験則でこうやっていこう、とするものが自ずと正しく、唯一と思い込みがちです。
仕事柄、上司として方針や指示を出すときも結論とそれにまつわるプロセスがぼぼ決まっています。だからそれを前提として相手にやってもらうことがある場合、納得させよう、とする意識が働きます。
ただし、これは私が一昨日述べたように、物事の結論や到達点をお互いが理由も含めて納得してまずは一致した上で、その方法論については話し合って進める部分とその人なりの方法でもって行う部分をそれぞれの場合に応じて選択すればいいのではないか、ということです。
それが納得というものであり、その方法論が人によって異なる場合はよりいい方法を共通のノウハウとして場合によっては取り入れたほうがいいのではないかということなのです。それは自分の方法論が必ずしもベストではないのではないか、という認識を常に持ち、よりいいものを求めた方がいいのです。
だから自分のやり方というものを点検しながら、よりいいものを他から学び求めつづけた方が幅が出てくるというものなのです。
上下関係に関わらずよりいいものをつくりあげるために知恵を出し合い、A案とB案のいいところを取り入れ、C案つくり実行したほうがより効果があがることを「納得」することが物事も人間関係も組織もうまくいくのでしょうね。
・・・させる、と書きながら、自分の意見はベストではないかも知れないと漠然と思っていることが迷いとなって一昨日の文になったやに思われます。大変いい示唆を与えてくださいました。ありがとうございました。