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本日は休息日。といいたいところですが、家事がたまっておりますので
今まで出来なかった整理整頓をやりました。

最後の切手やCDの整理。これがなかなかやっかいでしたが何とか終わりました。

あとは要らないもの、使わないものは差し上げるか捨ててしまいます。
といっても唯一本はとっても捨てにくいものですね。





あとはそろそろ、(R)Core2 Duo(TM)ビスタパソコンと専用台の購入を考えているところ。

昼からそごうへ。
徳島は狭いもので休日に行くと知り合いに会う確率が高いです。
今日も会の同期であり取引先の社長にお会いしました。

駅前も変わったものです。お客さんが選ぶ時代、淘汰されていくものは止むを得ませんが当たり障りのないフランチャイズの店よりも地域地域の泥臭い感じで結果的に時代に合っているお店が増えることを私は望んでいます。

さて、今日は「憲法記念日」。私は立場上政治的発言は最近控えめにしてますが、
せっかくの日ですしこの日しかないわけですから。少しはよいでしょう。

私は、かつては権力を監視する役割を担うべきジャーナリストになりたい夢の持ち主でしたから権力主導である現在の憲法改正論議には必ずしも賛成という立場ではありません。

憲法改正は第9条をどうするかが最も大きな問題と認識してますが、

要は世界の平和のために、現時点での世界情勢を見るにあたり、差し当たり
憲法の理想と理念を貫いて、軍隊のない世界平和を理想としていくか、
自国の「軍隊」=自衛隊を諸刃の剣として自国の防衛と世界平和の武器として活用していくかの選択を迫られているということだと認識しております。

その意味で「護憲」も「改憲」も世界平和の理念自体は同じでプロセスが違うということ。

長期的に軍縮を進めて平和な世界になることを望んではいるのですが、究極の世界平和は軍隊のない世界であると私は思っています。軍隊の持つ暴力は歴史的に結果として自国や他国の市民を犠牲にしてきたわけですから。

もちろん現実は北朝鮮問題あり、その一貫としての防衛省昇格、集団的自衛権論議、その大枠としての安全保障問題があり自衛隊自体をすぐに瓦解させるわけにはいきますまい。

かといって、世界最強の軍隊を持つ米国はテロに対して防御することは困難であり、
軍隊を持つ強力な力そのものがテロの標的となる危険をはらみ、人道的にも経済的にも長期的利益を何らもたらすものではないことがドラッガーの本にも書かれていたことを思い出します。

憲法改正論議の中で矛盾を一つ感じるのは、自国を「軍隊」がきちっと守ることを憲法に明記する「整合性」を求めるために憲法を改正しようとしている今の状況が結果的に米国が日本を取り込み、衛星国とするための世界戦略の一環に過ぎないことをうすうす気づいていながらそれでもなお推進しようとしていることです。このことは私ももっと知りたいことでありますし、知っている方がおられたら教えていただきたいことです。

いずれにしても国の基本法である憲法は国民投票によらなければ改正できないのですからこの問題に関して一般市民がもっと関心を持つことと、「護憲」や「改憲」の前に日本という国の方向性がどこに行くのかの議論の結果として、憲法のあり方を考える手順であるべきでしょう。

私はどう思いますかって?私は改憲派です。永遠の法律なんてあり得ません。

ただ、世界平和のためには軍隊は出来るだけない方がよいし、

天皇だって平安時代以降、権力者がその権威を利用することによって権力を保持してきた歴史を持つ存在が続いていることを考えると永遠にこのままでよい、というわけにはいかないでしょう。

憲法は市民に権利を与え、一定の順守義務を課すことは当然としても権力者に対しては市民以上に順守義務を課すことを必要としています。権力者は権力を行使出来る力でもって都合の悪い事を変える力を持っているからこそ権力そのものに対する自制が求められるしその自制を現憲法が規定しています。市民への要求もあるでしょうが権力者として成さねばならぬことをもっと憲法論議に含めていただきたいものです。