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キャスター筑紫哲也氏が死去しました。


ジャーナリストになりたい夢があった私は
矛盾と理不尽の塊のようなこの世界で、少しでもその問題点を見つけそれを解決する方向にもっていくことが大事だと考えたのです。

私は別に共産主義者ではないけれども、カール・マルクスによって定式化された歴史発展の法則である、「弁証法的唯物論」といって具体的な事実から問題をえぐり出し、解決を図ることによって結果的に社会が良くなり、発展の歴史を刻んでゆくということ。このことは社会の原則だと思います。

ジャーナリズムはその中で良くも悪くも大きな影響をもたらしますし、ジャーナリストは大きな責任があります。

氏はよく左だと言われました。批判や嫌われることも多かったことでしょう。理由は明らかで、ジャーナリズムそのものが、「権力に対する監視」という使命を持っており、人類社会の発展に不可欠だからです。権力にとっては都合の悪いこともあったことでしょう。
だからその意味で氏は原理主義者でした。

多事総論で
「力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること、それから、とかく1つの方向に流れやすいこの国の中で、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれども、少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと、そいうことが含まれています。」

人間は、自由で寛容でなければならないという原理原則を間接的に教えてくれた人かもしれません。


肺がんとのことですが、ヘビースモーカーの結果なのでしょうか?

最後の多事総論で

「日本はがんに侵されていて、がんを撃退するためにエネルギーが使われていて本来使うべきところに使われない。日本のおかしさは、必要のないところにエネルギーを使い、現在(福祉・医療費)も未来(教育)へも投資が十分できていない。その中で私たちはどうするのか何をやるのか。」

という問いかけをしておられました。

氏は現場主義と平和主義を唱えていました。
こういう原理原則を貫くことは氏の考えと必ずしも同じでない人からも尊敬されたことでしょう。

そう。私たちはどうするのか、を考えながら。

合掌。