1/2

今年の三が日は、ゆっくりのんびり大人しく過ごすと決めています。
それもまたよろし。

ゆっくり寝て、おせちの残りと雑煮をいただいて、
帰郷した友人夫婦と会って、初詣に行きました。
宗教心はないけれど、明治以降に習慣化した新年のイベントとして行くのも
自分も含め、これだけの人が来るのは
年初に意を新たにするなり願い事があるなり、それらを明らかにするなど
それなりの意味があると信じましょう。



名物?のドラえもん焼きは買わねばならぬ。



今年は年運芳しくないらしいので、みくじを。「吉」でした。

こういう時間があるときは、データの整理整頓をしておきたいもの。

給与所得者 4,543万人
うち
年収100万円以下 366万人(全給与所得者の8.0%)
年収100万円~200万円以下 666万人(同14.6%)
年収1,000万円以上 233万人 (同5.1%)

米国の人口の12%、3,500万人が食事が満足に出来ない

だそうです。この層がいずれも増える=所得格差が拡大する傾向が続いているということは米国型の新自由主義的資本主義の行き過ぎた結果だという論が、昨年の金融危機を契機として高まってきたように思います。

資本主義の目的はお金儲けであり、製品やサービスだけでなく労働力や金融商品をも含むありとあらゆる商品をお金にする考え方です。それを効率的にすればするほど、労働対価を抑え、利益を資本家が享受できます。それによって格差が拡大し、そのひずみが今回の件に現れたということなのでしょうか。

社会の発展のためには資本主義は必要であり、発展がなければ人々の健康で安全に暮らすことは出来ないでしょう。けれども、行き過ぎた格差が結果として社会不安を引き起こしていることは、今のままでの資本主義は人類全体の利益にならないことははっきりとしています。

私は、現在の状況が正しいとは思いませんが、その状況の中でしたたかに順応して生きて、出来れば利益を享受したいと思ってます。無論その余力の中で他者に目を向ける器量を持ち続けたいと思っていますが。
そのために、何とか生き残るために「次の資本主義」が何かを見極めておかねばなりません。

マルクスの資本論は過去の遺物ではなくて、未だ現代の歴史の枠内にあることを感じます。昔は経済があまり興味がなかったけれど、ああもっと経済を勉強しておけばよかった、って今になって後悔してもいますが、これから現場の最前線と情報収集とで何とか遅れを取り戻したいものです。