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今日は節分。
恵方巻きを食べました。これを節分の夜にその年の恵方に向かって、無言で太巻きをまるかじりすると、厄除・願いが叶うそうです。って去年書きました。今年の恵方は東北東でした。

豆まきも。食べる豆が一つ増えました。
今まで「しきたり」とか「本能」って何故?というものがあったけど、意味と経緯と理由が分かってそれなりに納得したら受け入れるようにしています。


続いて本能について。

結婚を考えている男性。生涯、このひとりの女性を愛すべきですか。それとも多くの女性に愛をささやいてもいいですか? 

というきわどい質問に官能小説家の団鬼六氏はこう答えました。(夕刊フジ)


「ひとりの女性を愛するか、それはその人の好みによります。ひとりだけを愛する人は、それはそれでいいです。でも、ひとりの女じゃ我慢できない男もいる」
「男には最低2人の女性が必要だ。動と静の2人が必要。ひとりはしっかりした女性、もうひとりは愛人タイプ」
「愛人ができて伸びるヤツはたくさんいます」
「女でも1人の男だとかわいそうな気がするね。1人の男だけでは我慢できない女性もいるでしょう」
「チャンスがないだけやな。みんなそうですよ。男たるもの、チャンスがあれば、と心のどこかで願ってない奴のほうが少ないでしょ」



こういう言葉に嫌悪感を覚える女性も多いことでしょう。
でも世の男性はそれなりに納得するはず。生理的に分からなくとも理論としてわかっていれば不幸な恋愛は少なくなるのではないか、って思ったり。

ならば、

「ひとりの男性を愛するか、それはその人の好みによります。ひとりだけを愛する人は、それはそれでいいです。でも、ひとりの男じゃ我慢できない女もいる」
「女には最低2人の男性が必要だ。動と静の2人が必要。ひとりはしっかりした男性、もうひとりは愛人タイプ」
「愛人ができて伸びる女はたくさんいます」
「男でも1人の女だとかわいそうな気がするね。1人の女だけでは我慢できない男性もいるでしょう」
「チャンスがないだけやな。みんなそうですよ。女性も、チャンスがあれば、と心のどこかで願ってない女のほうが少ないでしょ」

男女逆にするといかがでしょうか?




昔は結婚は、立場や身分が違えど、お家の勢力拡大や経済力や労働力を求めるためのものでした。

でも現代社会は昔と違って個人が求めるものや感情が優先される恋愛結婚になりました。

当人同士が好きであれば自由に結婚できるのは確かに幸せなことです。
でも逆に好き同士だったものがどちらかあるいは両方が嫌いになれば別れることも自由になりました。もちろんいずれも厳しい条件が付いてまわりますが。

好き嫌いの感情は人によって違いますし、基準もありませんし、厄介なことに変化します。物事の良し悪しはそれなりに基準がありますが、感情や心変わりを誰が良い悪いを責めることができましょう?


賛否はともかくとして、ヤピガメの見解としては、

①人間観察の幅を持つ
②好き嫌いの感情を大事にしつつ、相手の嫌がること、他人の批判をしない
③男女の本能的違いを分かり合う努力をすること

ようにしたいものです。
失敗も経験で、とっても大事ですけど、致命的な失敗はしたくないものですね!
って反省ばかりの人生です。