全く個人的感情のお話です。

オリンピック東京開催、おめでとうございます。

万博、大阪開催決定、おめでとうございます。

もしオリンピックではなく、震災復興の寄付金付き年賀はがきがあったら、なんの躊躇もなくそちらを購入なのですが、寡聞にして存じなく。

もしあったら是非教えてください。

オリンピックや万博で建材も建築人財の人件費も高騰するのですか?

オリンピックや万博で大きなお金が動くのですか?

私の順序は東北・熊本・広島の復興が断然先です。

オリンピック、万博日本開催嬉しいのですが、全く個人的には未だ傷跡の残る復興の迷惑にならなきゃいいと願っています。

がんばろう、日本なのであります。

昨年の餅つきで驚いたこと

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餅つき・・・今では全自動餅つき器が、一晩水につけておいたもち米を、蒸して、ついて、お餅の塊にしてくれますから、私達家族の役割は、取り出したアツアツのお餅を小さくちぎり、揉み込んで形にすることです。

 

やや丸めた左の手のひらにお餅を載せ、同じくやや丸めた右の手のひらで蓋をして、人差し指から小指までの指先をお餅の下にほんの軽く潜り込ませるように包み込み、右の手のひらを時計回りにクルクル回す。するとお餅は手の中で反対の左回りに回り始め、まるくお餅をこねることができたら右手を外し、左の手のひらを真っ直ぐにした上で、右手の平でお餅の頭をポンポン、軽くならせば一丁上がり。物心ついてからずうっと続いている、一緒にこねる家族は移り替わっていても、風情は変わらぬ年末の家族の情景、郷愁の一場面です。

 

で、今年気がついた変化、それは「片栗粉」。指で押せば、「キュッキュ」と音のする、お餅がもろ蓋などにくっついてしまわないように薄く引くあの白い粉。もうとっくの昔にじゃがいものデンプンで代用され、「かたくり」は名前だけが残っていたけど、今年妻がスーパーで買ってきたのは「もち取り粉」()。包装袋を見てみれば、色は白いけど中味は片栗ではなくて、代用のじゃがいもでもなくて、「コーンスターチ」ですって。

 

 

片栗はかつて多く自生していたらしいけど、今では群生地は数えるほど。花は下向きに咲き、花びらが反り返っている独特の形が印象深いですね。私の地元のローカル線JR福塩線沿線には自生地がいくつかあって、春先の開花時期に訪ねると薄紫の愛らしい美しい花が出迎えてくれますね。(下の画像はWikipediaからお借りしました)

 

 

コーンスターチはお菓子や餃子などの皮にもよく使われていて、普段知らないうちにでも普通に口にしているおなじみのものだけど、食品メーカーでもなく家庭でこねるお餅に、片栗粉でなく、せめてじゃがいもデンプンでもなく、コーンスターチっていうのが、なんとなく私には違和感が湧きましたね。

 

日本伝統のお餅にまで「輸入トウモロコシ」由来のものが浸透している・・・畜産飼料ももちろん、日本はすでに輸入トウモロコシ抜きには食糧事情を考えられない国になってしまっているのかなあ。

 

生命線を握られている・・・すでにそうなのかもしれない。流行りの炭水化物ダイエットもそうでしょうに。鯨といいマグロといい、日本へ食肉を輸出する業者がなんとよろこぶ話題だこと。じゃあお米が確固たる主食であった時代の昔の日本人は肥満だらけだったってこと?私には別な事情があるように思えますかねえ。

 

自衛の思いも含めて、命の糧について自分でできる自給をもっと積極的にやっていこう、目指すは完全自給自足だと、コーンスターチもち取り粉を見て、新年に思いを新たにしたことであります。

 

皇居勤労奉仕団 皇紀2676年春弥生

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皇居勤労奉仕団 某国国家元首表敬

3月28日から4日間、多分自身8回目の皇居勤労奉仕団に参加、
「掃除」こそ「場数」と「やる気」の度合いが最もわかり易く如実に現れる行動の一つ、
箒の掃き方、草取りの姿勢、一つ一つにどうしたって表れます。
皆さんの真剣度合いが伝わって来ます。
メンバーのご皇室崇敬の念篤く、日本文化・國體継承の同じ価値観の方々と気持ち良いご奉仕をさせていただいています。

お正月・天皇誕生日に両陛下・ご皇族の皆さまが慶賀をお受けになる宮殿広場をご案内いただいているとき、大きな大きな盆栽が宮殿正面左側の南車寄せ玄関広間に持ち込まれる光景を目にしました。

皇居勤労奉仕団に参加すると、宮内庁職員の方々でも立ち入りが制限されている場所にもお連れいただきご案内をしていただけます。
何度か参加させていただいていると、そのような大きな盆栽鉢が飾られるのは、国家元首級の賓客がお越しになる時だってことが察しがつきます。
風の噂によると聞いてビックリの方でしたが、なぜか公式発表も報道もなかったので未確認、どなただったのかの話はここでは控えておきます。
「国賓」のお迎えに使われる盆栽は現在2鉢だけ、「鹿島」と「根上り五葉松」。
今回は大きな鉢だったけどこの2鉢ではなかったので、国賓級の方だけど半分お忍び、「公賓」であったようです。

宮内庁職員の方々からはどこの国のどなたが、なんて案内は絶対にいただけません。「某国大統領」がご訪問、とだけご案内いただきました。
まあどなたがいらして下さっても私どもには関係ございません。我等奉仕団はご奉仕の誠を尽くすのみですから。

唯、日本てなんて素晴らしい国なんだ、と思ったことがあります。

普通国家元首の行く先では外国ではよく報道で目にする通り、通常なら自動小銃など装備した兵士が数メートルおきに立ち警護にあたり睨みを利かす、なんて絵を目にします。
日本では天皇陛下と某国国家元首が会見なさるその宮殿の庭には、もちろんピストルを持った警官は皇宮警察派出所や要所の場所にいらしたけど、小銃を抱えた兵士の姿などはなし。係官がお迎えの準備をなさっている傍らでなんと一般庶民が「掃除」をしている。勤労奉仕団の身体検査は、参集殿や赤坂東宮御所で、両陛下や皇太子殿下のお出ましでご会釈を頂戴する時だけ、なんて、日本人は不思議には思わないけど、国際的には異例のことでしょう。

おまけにこの3月25日から31日には皇居の桜が楽しめる「通り抜け」の期間中。
坂下門から入り、宮内庁前を通り、乾通りを歩き、乾門・東御苑大手門・平川門・北詰橋のいずれかで退出のルートで、本当に沢山の方々が、ひっきりなしに通って行かれます。
外国だったらまず会見日は受付中止の立入禁止でありましょう。
その前に、宮殿敷地内に桜を楽しんでねと誰でも無料で民間人を招き入れる国って他にあるのかしらと思います。

宮内庁左側の短い坂を登ると、もうそこは宮殿。
会見場所の近くで民間人が掃除はするは、通り抜けで一般参観客は遊歩しているは、兵士はいないはなんて、こんな平和な光景は我々にとっては慣れ親しんだ季節行事なのですが、これは世界でも例のない特異なこと、政治権力など問題外の、それを遥かに凌駕する「権威」がありながら力を振りかざすこともない天皇と、敬慕する国民の親愛が成り立っている日本ならではの光景ではないかと思うのです。

29日には両陛下ご会釈、インフルエンザでご静養の報道が気がかりだったすぐ後、なんと被災地慰問行幸の報道が聞こえてきました。
ご公務・祭祀ご多忙にも関わらず、この度も奉仕団にお会いくださるために幾久しくお出ましくださいました。
美智子皇后陛下は何度も何度も「ありがとう」とお言葉をかけられます。
感無量、言葉が追いつきません。

参加者への健康上の配慮から申込時76歳になっていたら奉仕団には参加できません。
それまでに可能な限り、許されるだけ、何度でも。
なんて幸せなんだろう。

天皇(すめらぎ)・弥栄!


小林正観さんファンのお店 うたしショップかわむら楽

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めでたく長女を出産した姪っ子

だけどその子が退院するまさにその日、腸に異常が見つかって緊急再入院+手術となりました。幸いにして大事には至らず、術後経過も良く、現在では退院して子育てにいそしんでいます。

 

姪っ子から内祝いをいただいたのでお礼のメールを送りました。

自分の記録に残しておきます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◯◯子さん、長女誕生内祝いに素敵なバカラペアグラスをありがとう。
妻と大切に使わせて頂くよ。


出産の後、正に退院のその日に、◯◯子ちゃんの腸の不具合が見つかってまさかの入院、手術、大変だったね。だけど「早く判って良かった」と言ってたと◯◯姉から聞いて安心しています。こんな時こそ母親の落ち着きが一番だものね。


受精できるのは何千万の精子の中のたった一つだけ。私はついこの間まで受精の時には、
一番強くて、一番早い精子が受精出来る・・・と思っていた。ところがそうではないらしい。
卵子は保護のために丈夫な保護膜で覆われている。


三重県で建設会社を経営なさっている赤塚高仁さんが、広島の産婦人科フジワラレディースクリニックで見せて頂いた受精の動画によると、いち早く卵子の元に到着した、強くて早い精子は膜に突進、だが敢え無く膜に阻まれ弾かれる。強い早い精子から順番に突進するけど中々膜は破れない。何十万、何百万回の突進の後、とうとう膜にほころびができる。受精できる精子はその時ちょうど「あっ、あそこが開いてるねぇ」と飛び込むことができた精子なのだそうだ。宝くじに何度か連続当選するより凄い確率、赤ちゃんは受精の段階で途轍もない強運に恵まれ、天から受精を望まれ、頂いた刹那で受精し生を受けるということだ。その段階ですでに大幸運だ。

戦闘機零戦や隼の設計者で、世界で初めてペンシル実験ロケットを飛ばし、惑星「イトカワ」探索の「ハヤブサ」の元になった糸川英夫博士は、数あるご著書の中で「人間は胚で生まれる」と説かれた。

動物は生まれて小一時間もすれば自分の脚で立ち、餌を求めて歩き出す。
動物の母親は4本足、丈夫な背中の下に大きなお腹があり、胎児は十分成長しほぼ完成した状態で生まれてくる。だけど2足歩行の人間の赤ちゃんはそこまで大きくさせると産めなくなってしまうためお腹で成長させることがことができない。人間の赤ちゃんは言わばこれから成長する胚、成長過程の不完全な状態で生まれてくる。誰かが手をかけないと赤ちゃんは生きて行くことはできないんだ。


ナチスがある実験をした。人間の赤ちゃんを2つのグループに分け、一方は授乳の時、抱き抱え、瞳をみつめて話しかけながら授乳した。もう一方のグループは授乳の時、抱かず、瞳を合わさす、言葉を交わさず触れもせず、で授乳した。子育てで愛情をかけて育てた子と愛情無しで育てた子で、その後の生育、性格形成にどういう影響、差異が生じるかの実験だった。だがその実験は失敗した。なぜなら愛情をかけられなかったグループの赤ちゃんは全員死んでしまったから。人間の赤ちゃんは、手をかけるだけでなく、更に「愛情」を注がなければ成長
していくことはできないんだ。
光と風Hi-fu ヒトコトバ https://www.youtube.com/watch?v=1YoS38tw_b4


愛情を受け取るために赤ちゃんに与えられているのは「笑顔」「表情」「仕草」だけ、これで私たちは赤ちゃんを「かわいい」と感じ、「守ってあげたい」と思う。考えて見れば私たちはおそばから離れて何十年だけど、赤ちゃんはついこの間まで、神さまか仏さまかSomething Greatだかのおそばにいたんだ。一番天使に近い存在だもの、光そのもの、愛らしいのも当たり前のことだね。

赤ちゃんは親を選んで生まれてくるという説がある。天から眺め、自分の課題とする魂の成長に最も適した親のもとに、このお母さんと話したい、このお母さんの元で育ちたいと思ってその母親の元に生まれてくるという。


流産を経験なさった女性には辛い説かもしれない。だけど流産なら私も双子を含め3人経験している。長女◯◯が生まれるときには、ただどうか命を持って生まれて来ておくれと心から手を合わせた。私は命に対して傲慢だったのだ。あくまで私個人のことで人さまの経験はまた別だと思うが、今では私の場合は命に対する傲慢がどういうものか経験をさせてくれるためにその時の赤ちゃんは過酷な役割を果たしてくれたのだと感謝の気持ちでいる。流産は3人で今、私には3人の娘、それぞれが魂を引き継いでくれていると思っている。


話を戻して、◯◯子ちゃんは◯◯子さんを選んで生まれて来たのかもしれない。お目が高いと申し上げるしかない。


子を産み育てること、産んだから親になるのではなく、子育てで親も親として成長していく、なんと素晴らしいことではないですか
!

大丈夫です。怪しく聞こえるかもしれないけれど、すべては魂の経験と成長に結びついています。一人でもありません。困った事がもし出てきたらいつでも遠慮なく教えて下さい。我が家でももちろん、一族上げて必ず応援して助けて差し上げます。どうぞ安心して◯◯子ちゃんを育てて下さい。◯◯子さんと◯◯さんの夫婦なら間違いなく大丈夫です。


またのお目文字頂戴楽しみに、また会いましょう。◯◯さんによろしく。

くれぐれも御身お大事にね。

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日本で天のこととなるとやはり
「古事記」
ですがそこでは
罪・咎・穢れ・不道徳なことも
赤裸々に語られています


伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は我が子である
火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)の
首を刎ねて殺してしまいました

殺生・・・旧約聖書でも有名な
カインとアベルの兄弟の逸話
とかありますね
外国や色々な教典の例も多いようですが
ここのブログではやはり日本の神さまから
入っていきますね・・・

大国主命(おおくにぬしのみこと)と
兄である八十神(やそがみ)達との確執
その果ての2度にわたる謀殺

これは「殺人」(?)



黄泉の国での伊弉諾尊が
伊邪那美尊(いざなみのみこと)の
言葉を聞かないで盗み見したこと

これは「約束破り」(?)

黄泉の国から逃げるときの
伊弉諾尊の後ろ手のしぐさ

これは「呪い」(?)

黄泉平坂(よもつひらさか)での
口論ほか全部まとめてひっくるめ

これは「夫婦喧嘩」(?)

そしてとうとう
別れに至ってしまう

これは「離婚」(?)



愛妻に家を作ることを歌った
日本最初の和歌「八重垣」素戔嗚尊
苦難の果てに八上姫(たがみひめ)と
夫婦として契った大国主尊
・・・でありながら
他の女神と情を交わした

これは「不倫」「浮気」(?)



大国主尊の子供は
「古事記」180柱
「日本書紀」では181柱

これは「不倫」+「隠し子」(?)



大国主命の兄達が
因幡の白兎が苦しんでいたところを
騙して余計にひどい目に合わせた

これは「いじめ」(?)



大国主命が丹精込めて
成し遂げた国造りを
譲りうけ行った天孫降臨

これは「制圧」「併合」(?)



・・・とまあ
あるはあるは
世間一般で良しとされず
非難の対象として
受け止められるかもしれぬ行為が
ザクザク出てきます

もはや是非もございません
なにせなさっている主体は
日本の「神さま」達なのですから



不道徳・罪・咎(とが)・穢れ(けがれ)

このような場面では
占いにより神の是非判断を仰ぎ

また禊(みそぎ)により
穢れを祓い清めた後
リセットして活動再開

たとえボコボコの極みの状態であっても
敗者復活の道は用意されている

行動で償いをする機会もいただける

黄泉の国でつらい経験をされた伊弉諾尊が
最高神を含む「三貴神」
天照大御神さま月読命さま素戔嗚命さまをお産みになったのは
ドツボの状態からの禊の場



あるいは

良しとされない出来事があっても
後に続く
引き継ぎ継続
次に生まれる何かがある


例えば火之迦具土神のように
生まれてすぐに首を刎ねられ
はかないほど短く
過酷な生涯であっても
飛び散った血潮からは
新しい神さまが生まれているし
秋葉神社では
火之迦具土神をきちんとお祀りなさり
崇敬を集められています




怪我・病気、いわゆる不運は
「あなた進んでいる方向が違うんじゃないの?」
と小さなサインを出してくださっても
受け取り側がメッセージに気付かない場合に

必ず気付いてもらうために
解りやすく少しサインを大きめにして
病気・怪我など現象として生じさせ
気付きのきっかけをくださっていることで
罰でも懲らしめでも処刑でもない



「祟り」(たたり)

この字は昔々
「出」の下に「示」ではなかったそうです
(「出」に「示」なら神に追い出されるの意)

古い文献では「山」の下に「教」と書いたんですって
H先生に教わりました
(書いてみてください)
高いところから教えが出てくる
教えてくださる
これがもともとの「たたり」

たたり もとの字


ということは
罪・咎・穢れ・不道徳は
「致命的」でなく
「終わり」「とどめ」でもない


(もちろんやればいいよと申し上げているのでも
 奨励しているわけでも決してありません、念のため)

もともと穢れったって
自分の「気が枯れた状態」が
「気枯れ」(=穢れ)であって
何かに触れて汚いよとか
あれがあって汚らわしいではなくて
自分の状態の一つ

天の愛はかくも
半端なものじゃないです
愛情ではなく
「情」の入り込む余地などない
ただひたすら「愛」、だけ

では許されないものとは
4に続く


まずは前段入り口
「実践大事」のウォーミングアップから参ります


坂田先生はお医者さんからも
大人になるまで生きられないといわれるほど
小さいころから体が弱く
学校も休みがち

当然勉強にはついていけず
いじめられバカにされても
負けると分かっているから
抵抗も喧嘩もできない
両親は不仲で家は貧しい

過酷な青年期を過ごしているうちに
20代で森信三先生に出会い
・・・心酔

森先生から「複写はがき」を書くことを勧められ
平均1日30枚(≒年間1万枚)
ほかに年賀状が1万枚以上
それを以来ざっと50年
半世紀近くもはがきを
書き続けられました




漢字も知らなかったので
辞書がボロボロになるまで使い込みながら
ただただ書き続けられました

といったところで当人にとって
出来ないことなら出来ないんですよ
悲しいかな

出来ないことを出来ないからといって
それを理由に攻め立てられても
こちらとしては病気になる前に
逃げることぐらいしかできゃしません

坂田先生が森先生にお会いなさったころは
力もない
お金もない
学問もない
健康もない

だけど大工の下手間の仕事をしながら
おかず代を削ってでも
はがき代を絞り出し
書き続けることは出来ました

書き続けるうちに
全国から講演依頼が来るようになり
会うことすら難しいような方々とも
多くお会いできるようになり

今でははがきを書くことについて
No.2のいない圧倒的なNo.1

国務大臣から刑務所の囚人まで
全国に出される年賀状の数以上の
はがき友達がいらっしゃいます

数年前にはかの赤坂御所で開かれる
園遊会にも招待を受ける栄誉!

されど坂田先生生は
なんとこの招待をご辞退なさった!!

「私はそんな大層なものではございません」

宮内庁もびっくり
「園遊会を断るのはあなたぐらいです」
といわれあきれられたけど
じゃあかわりに何かご褒美をとなりました

よく放送局や大企業では間々見受けられますが
大規模で大量の郵便物が届くところには
そこの宛先固有の郵便番号が
振り当てられることがあります

坂田先生には郵便番号が贈られました

坂田先生は全国でただ一人
「一民間人」の「個人宅」で
固有の郵便番号を持っているお方です

だからはがきのあて名は
七つの四角の中に

「郵便番号」
739-1296
真ん中に
「坂田道信先生」

都道府県・市町村・番地も不要
これだけではがきは先生のもとへ
全国どこからでも
間違いなく届けていただけます

嘘だと思ったら
先生の御著書を一冊読んで頂いて
感想文などはがきで出されてみてください
間違いなく戻ってはきませんし
運がよければお返事をいただけるかもしれません

あまりにはがきの余白が多く
寂しくなるので
坂田先生にはがきを書かせていただく時には
右側の普通は住所を書く位置に
「はがき道」と書かせていただくことにしています



坂田先生がなさったことは
お師匠さまの言葉が腑に落ちたなら
ただ

「素直」

に受け入れて
あとはひたすら

「頑固」

に実践する

「素直な頑固」

それだけでした



端的に申し上げて
やんなきゃ何も変りません

何もしていないのにどうしてこんな目に
って何もしていないからそんな目に
会ってしまうのかもしれません

実践こそ重要

当たり前のことですが
ここまでは良しで
ウォーミングアップは終了

ええそうなんです
こんだけ書いてて
実はまだ本題に入っていませんでした


さてそこで考えてみたいのは

「頑固な素直」

ではダメなんですか?ってことです


人が何を言おうがお構いなし
意に反することは
「頑固」

にはねのけ

「素直」

になるのは自分に対してのみ
人から言われたことではなく
ただ自分の思った通りに邁進する

我がままでアウトとされるのでしょうか

いやこれもOKでしょう
だってそれで思い浮かぶのは
かのイチロー選手ですもの

某監督時代には
バッティングフォームの
矯正指示を受け二軍へ
監督からは半分忘れられた存在

二軍時代に振り子打法開眼
自分のスタイルを確立し
仰木監督に監督が変り
それで行こうとなると
一気に花開き
あれよあれよの日本記録

日本球団から飛び出して
とうとう大リーグ
そしてそこでもご存知の大活躍

萌芽はすでに小学校作文(末尾に掲載)に
子供のころからの筋金入り
友達の遊びの誘いがあろうが
断ったらどうこうなんて
考えもせずに野球練習優先

某監督の2軍行き指示があろうが
媚びることなく
自分の思った通りを貫いて
花開いたのは認めてくれた新監督の下

より高いステージとして
大リーグがあるなら
日本球団なんて飛び出します

そして
見事に成功なさっているではありませんか

人相学の一説によると耳たぶ
ここがエルフのように
「切れ上がっている人」

つまり耳たぶがほとんどない
イチローのような耳の人は
人が何と言おうが
自分の信念を貫き通し
「素直なのは自分に対してのみ」
なのだとか

俗に耳たぶの大きいのは
福相だとか・・・?

だけどイチローに
大きな耳たぶはなくても
人生は福福ではありませんか

「素直」「頑固」
両方の成功例があるということは


素直や頑固はそれだけならただの個性
天はどちらでも既にお許しである




矛盾概念による二区分法
つまり反対語の対
「金持ち」「貧乏」
「太め」「細め」
「美人」「不美人」
「やさしい」「つめたい」
「賢い」「愚鈍」
「健康」「病気」
「強い」「弱い」
「上手」「下手」
「正義」「悪」
・・・いろいろありますが

両方見受けられ
存在が許されているのであれば

全部どちらでもOK


つまりほとんどの思い・印象・感情などで

人が勝手に決める尺度・ものさしは
天にはまるっきり関係なし

小林正観さんの講演会で教えていただいたこと
この世に存在するものは
神・仏・大いなる存在・Something Great・・・
宗教観抜きのすごい存在の許可のない者は存在しない

であれば
「悪」だの「病気」だのすらも
その存在にはなんらかの役割があってのこと
となります

では天の「逆鱗」っていったい何なのでしょうか・・・?


3 に続く




「はがき道」坂田道信先生をご紹介のホームページ


イチロー小学生時の作文

僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校と全国大会にでて活躍しなければなりません。
活躍できるようになるためには練習が必要です。
僕は3才の時から練習を始めています。
3才から7才までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは、365日中360日は、激しい練習をしています。

だから1週間中で友達と遊べる時間は5~6時間です。
そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。
そして中学、高校と活躍して高校を卒業してからプロ野球選手になれると思います。
そしてその球団は、中日ドラゴンズか、西部ライオンズです。
ドラフト入団で、契約金は、1億円以上が目標です。

僕が自信のあるのが投手か打撃です。
去年の夏、僕たちは全国大会にいきました。
そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、打撃では県大会4試合のうちホームランを3本打ちました。
そして、全体を通した打率は、5割8分3厘でした。
このように自分でも納得のいく成績でした。
そして僕たちは1年間負け知らずで野球ができました。
だから、この調子でこれからも頑張ります。

そして、僕が一流選手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待状を配って応援してもらうのも夢の一つです。
とにかく一番大きな夢はプロ野球選手になることです。



感謝を口にしながら幸せになる人と
感謝を口にしながら不幸でいる人

自他共に本当に幸せそうに思える人と
幸せだと本人は仰っているけど
傍から見ればイタイと思ってしまう人

「いつも笑顔で」
ホントに光輝いている笑顔の方もいらっしゃれば
どうしてもひきつった感じに思えてしまう
しんどさを感じてしまう無理な笑顔も

成功の黄金律
見聞きし読んで学んで学習し
成功する方と
しない方

同じことをやっているようなのに
世にまま見受けられるこの差異の原因は
果たしていったいどこにある?

この問いに対しての答えが
じつはもうぶっちゃけてしまっている
今回のブログのタイトル

ではなぜ結びつくのか
許されない「たった一つのこと」は
何なのかってことについて

今まで色々なお師匠さまから
学ばせていただいたことをもとに
ここしばらく考察してみますね
(勝手にやってますんで「違う!」と思われた方はどうぞ無視してやってくださいな♪)

塩おむすび

テーマ:


それは昨年9月
大好きで心から敬愛するお師匠さま
そしてそのお仲間のみなさんと
アイルランド・ロンドンの旅に
ご一緒させていただいたときの出来事でした

一週間ほど日本を離れる旅
訪れる先々で食べさせていただくもの
ご当地ならではのものも多く
同じものでも
ところ変われば・・・ってのもあり
これはこれで
もちろん大いなる楽しみなのですが

やはりそこは日本人
旅の間にはどうしたって
「お米」が恋しくなりますよ

私はお米が大好き
砂糖醤油の焼餅や
ミニチャーハンをおかずに
御飯が食べれるほどです
マジで

生まれてこのかた馴染んだ
「日本のお米」と「いつもの炊き方」

この条件が揃ってしまえば
私は塩とお茶だけでも
大御馳走として
十分おいしくいただけます

そして
「炊き立て」
なんて加わった日にはああた

盆正月のドンドンヒャララ
私にはこのうえない至福・極楽・天国飯でありますよ

で企みましたる「現地炊飯」
アイルランドで日本のお米を炊いて
炊き立てをみんなで一緒にいただいちゃおう!

日本から炊飯器とお米をさげてアイルランド入り
ある日の晩は
みなさんといそいそ炊飯の支度です
お米をといで
おかまにセット
後は小一時間待つだけで
炊き立て御飯の出来上がり




・・・のはずだったんですけれど
なんと・・・・

炊飯器がアイルランド電圧220Vに耐えきれず
火花一閃
煙モクモク

一瞬にして炊飯器は
あろうことか2度と使い物にならなくなってしまいました
ああ!

この企画に先立ち
日本出発前
お師匠さまに現地炊飯企画をご相談申し上げ
それはいいですねで実行したこと

その時にお師匠さまは
海外電圧対応アダプターについて
「コンセント口が合うだけじゃダメ
 熱を使うタイプは強力だから
 ドライヤーが使えるタイプだったら
 炊飯器でもいけるかしら」と

今にして思えば私の記憶では
3度くらいは仰っていただいていたような気がします

なのに
なのにこの傲慢な私は

自分が用意した変圧器で問題なしと思いこみ
これでオッケ~とばかり再確認することなく
現地で使ってみれば全然アウト

あっという間の閃光
その時
真っ白なお米が
まるでネガフィルムのように
一瞬白黒反転

モノクロの
濃い黒色に見えた
おかまの中のお米の幻影は
救いようのない絶望感とともに
消し難い残像として
私の瞼の裏に今でも鮮明に残っています

お師匠さまもお仲間も
責め心で言葉や態度の刃を向けることのない方々
ああそうなのそれならと
さらっと流してしまわれておかずの準備

なんと同時進行
用心で手配されていた
ガイドさんに聞いた韓国料理店で
ごはん調達のウルトラC!

なんとかごはんの食事会はできたのでした

炊飯器は買ったばかりではやジャンク
これは仕方ないにしても
では炊きかけたお米はどうするのか

お師匠さまに尋ねられた時
あきらめていただこうと
「処分しておきます」
と答えました

もちろん実はお米を捨てるなんて
私にはとてもできゃしません

この旅から帰国後は
成田でそのまま飛行機を乗り換えて
中国無錫へ行く予定でした

乾かすか凍らせるかして
彼の地に持ち込めば
そこはそれお米の国で
メニュー豊富な食の国
粥でも炒飯でもなんとでも

で料理してもらって
中国の友達と食べる気でいました


さて、その夜も夜更けの深夜のこと・・・

私の部屋へお電話をいただいた後
ドアをノックされたので出てみると
そこにはお師匠さま

「お米だけはどうしても捨てるのを
 見過ごすことはできないのよ」
と仰って
ご自分のお部屋に炊きかけたお米を引き取っていかれました

さらに日付もとっくに変わった1時間後くらいのこと・・・

またドアがノックされたので出てみると
そこには再びお師匠さま

「御飯が炊けましたよ」
両手で包み込むようにして差し出されたお椀を見れば
なんとその中には
ふっくらと炊きあがった御飯が!!!




一瞬どんな魔法を使われたのか
どうして炊きあがった御飯があるのか
思考停止状態の中かろうじて

「先生、どんな魔法をつかわれたのですか?」
とお尋ねすれば先生は

「お部屋にあった電気ポットの湯沸しで炊いてみたの
 うまく炊けたみたい」
なんとも素敵な笑顔で仰いました

翌日は自由行動の一日
私は日本でレンタカーを手配していて
お宿のある東のダブリンから
西海岸のゴールウェイまで
アイルランド縦断ドライブの予定を組んでいました

お師匠さまはさらに言葉を続けられて
「あなたは明日はドライブでしょ
 塩おむすびにしておいたから
 お弁当にどうぞ」って・・・



この時の私の気持ちをお察しいただけますか?

まるで
天壌無窮の神勅 てんじょうむきゅうのしんちょく
斎庭の稲穂   ゆにわのいなほ
天照さまを思い出さずには居れませんでした

さらに翌朝集合時
お師匠さまは旅のお仲間方に
「おにぎりがあるの
 ランチにどうぞ」

・・・って
果たしてお休みになる時間はあったのでしょうか
旅のお仲間はもちろん感激大喜びでした




そしてこんな刹那
短い時間の間にも
お師匠さまは色々と
教えてくださいます

上品の定義

さてお仲間と別れレンタカーをピックアップ
おおトヨタだ
英車でも良かったけど
日本車ならこれはこれでこれで
何となくうれしい



アイルランドの皆さんの交通マナーは素晴らしく
加えて景色も田園牧場風景も多く
目にも緑豊かなハイウェイを
ドライブを楽しみながら
されど真剣に安全運転で西の果てを目指します





何時間かのドライブ
昼飯時
お腹がすいてきたので
助手席に置いていた
お師匠さま心づくしのおにぎりに
手を伸ばします

指先におにぎりの包みがふれたとたん
あふれだしましたとも!
ええ、雨など降っていないのに
ワイパーなど役にも立たない
目の前がぼやけ潤み
運転が出来なくなって
路肩に停車

ありていに正直に申し上げます
私はそこでしばらく
号泣しました

ひとしきりの後
次のパーキングに入り
塩おにぎりを大切に
もちろん最後の最後の一粒まで大切に
ありがたくいただきました




私はこの時の塩おむすびの味は
生涯決して忘れません


心から敬愛する素敵なお師匠さま
お名前は「今野華都子」先生と申し上げます

今野華都子先生ブログ 伊勢神宮「神の計らい」
伊勢やまとごころの伝承館「華雅庵」
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母の覚悟

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前回父のことを申し上げたので
今回は母について記そうと思います

母は大正15年・昭和元年の生まれ
2人姉妹の妹
子供の時から教員を志し
勉学に励み
学業優秀でした

当時ピアノだのオルガンだのは一般家庭では高級品の高嶺の花
お寺で引かせてもらったり
紙の鍵盤でけいこして
ピアノのある家の子よりうまく引き
先生を驚かせました

戦前の普通の農家は現金収入などあまりなく
子供も貴重な労働力
家督は長男もしくは長女が婿を取り相続
次女以下は独身時代は家事手伝い
時機が来れば嫁に行くことが一般的な流れでした

師範学校進学は父親(=この上なく優しかった私の母方おじいちゃん)から猛反対
「百姓の子は家の手伝いをすりゃあええ」
されどあきらめきれない母は
資格試験に向けて勉強を続け
なんと独学で教員試験に見事合格!
現代で言えば大学受験資格検定をまずとって
その後に大学受験で合格ってとこでしょうか
晴れて国民学校の教員となりました

その経験からでしょうか
母は私のやりたいと思ったことは
大概のことは陰日向応援してくれて
うまくいったことも
いかなかったこともそれぞれでしたが
母からの抑圧なんて感じたことはありません

私は母から一度も叱られたことがありません

もちろん教え諭されたことは何千回もあります
だけどその中に私を責める心はこれっぽちのかけらもなく
ましてや怒りの刃を向けられたことなど
まったく微塵もありませんでした

絶対的強者で厳しいと感じた父のもと
一時期私は不良っぽいことをやらかしていました
今思い出すと冷汗が背中を伝い
寝る時など布団をかぶって枕を噛み
大声を出したくなるほど恥ずかしい

人様に迷惑をかけてしまった私に
母は「情けない、情けない」と泣いていました

その「情けない」は不出来な息子に向けられたものではなく

そんな行為をしでかすような育て方しかできなかった
自分のしつけ教育が至らなかった


自分の力不足が「情けない」
というものでした

お母さんを泣かせてしまった
人に迷惑をかけることなど
一度たりとて母から教わっていなかったのに
愚かな行為で私は大好きな母を悲しませてしまった

いつからか母の眉間には険しい縦じわが入りました
入れさせたのは私です

母方のおばあちゃんは
『静の顔に「きっぽ」ができた』
(静:母の名・静子 きっぽ:傷)
といいました
そんな縦じわは私が悪さを繰り返すようになった時まで
ついぞなかったものだからです

私は母の心までか姿にまで傷を負わせてしまった
それも大切なお顔に
いつも笑顔を向けていた
いくら悪さをしようとも
いつもやさしく接してくれていた
大切な母の顔に


申し訳ありませんでした・・・ごめんなさい、おかあさん


永い年月にわたり民生委員を勤め上げ
そんな母も3年前
つれないほど見事に
ある日突然と
あの世に帰っていきました

おかあさんが教えてくれた大切なことの一つ
すべては自分の責任
その覚悟

特異なことは何も感じない私ですが
それでも少し精神世界のことに触れる機会がふえると
余計にそう思え
今では確信一歩手前です

「環境」ではありません
「あの人が」でも
「◯◯だから」でもありません
自分がそうしたということ
その「環境」も「あの人」も「◯◯」も
自分が自分の目の前につくりだしているということ
自分の思い・考えが具現化したものであること

これは私の勝手な考えで勝手に言っているたわ言です
違うという方は無視してやってください

お母さん、見ててくださいね
あなたの息子は
お母さんから教えていただいた
ホントにたくさんのことを
少しづつでも行動していくからね

連鎖を断つ

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父は大正14年生まれ
地元名門中学校から陸軍士官学校へ
戦前では帝国大学に進学するのと同レベルの
出世コースを歩みました

進学上京時には村を挙げて送り出していただいたけど
敗戦を迎え帰宅は恥ずかしくて
夜裏の土手道から帰ってきたと聞いています
あと一年、あるいは半年
戦争が長引いていたら父もあるいは・・・でした

私は昭和36年生まれ
終戦のおかげで
私はこの世に生を受けることができたと
申し上げても良いかもしれません

その後父は労働基準監督官となり
公務員として奉職
私は何不自由なく生活を送らせていただきました

父の教育は
今ではほぼ死語のいわゆる「スパルタ式」
そうです、正しいのはいつも父でした
悪役はいつも私でした

期待に応えられない私は
持って行き場のない
尾崎豊や「エデンの東」のような怒り

期待に応えられない私
やんちゃなこともしその度ごとに父に問い詰められ
「何でこんなことをやったんだ!」と問い詰められても
言い分・ホントの理由なんて言いやしません
言ったところでぶっ飛ばられるのは一緒でしたから
でいつもぶっ飛ばされていました

高校1年生の試験中
試験勉強もせずにグータラしていた私を
父は呼び咎めそれは厳しく叱りました

当時まだ存命中だったおじいちゃんは
孫がただ怒鳴られているのを憐れんで
ある時父に

「弘、そんなに厳しゅう言うちゃるな」

と声をかけました
(弘:ひろむ:父の名です)

すると父は
私の記憶では後にも先にも
この時限りのたった一度
自分の父親であるおじいちゃんに口答え

「あんただって俺を厳しゅう育てたじゃないか!」

口にした途端
父は感情あふれだし涙、涙
鼻水まで出してました

父の言葉を受けたおじいちゃんも
泣きながら鼻水を出してました

その時ようやくわかったのです

ああそうだったんだ
父も同じだったんだ

孫の私にはただの一度も厳しい一面は仕掛けなかったけど
父も父親であるおじいちゃんには厳しくされたんだ

私と父親はおんなじだ
私とおじいちゃんはおんなじだ

なら私はどうする?
今回の人生で私の役割の一つは?
それはきっと

連鎖を断ち切る

これだ
この連鎖を私の代で断ち切ること
それがこの世でいただいた私の役割の一つだったんだ

そう思えた時から
この愚鈍な私も
ようやく自分に
向き合えることができ始めました

同時に私には厳しすぎた父のことも
少しは理解でき始めたような気がしました

親子関係において
正義の「刃」は私には必要ない

人は知らないことなど出来ゃしません
私の子供達がなにをしようとも
ただそれは自分の反映
私が教えたこと

15年以上前に亡くなった父
今、父がただただ恋しいです