【到津八幡神社(いとうづはちまんじんじゃ)】(福岡県北九州市小倉北区) | 八百万の神の浮世絵師 持田大輔

八百万の神の浮世絵師 持田大輔

日本最古の歴史書『古事記』を題材に絵を描き活動しています。
八百万の神々が織りなす天地創造、天岩戸伝説など神様の喜怒哀楽が記された神話を少しでも多くの方に知って頂きたいと思います。

【到津八幡神社(いとうづはちまんじんじゃ)】(福岡県北九州市小倉北区)


@art.mochida.daisuke

 


到津八幡神社は小倉北区の高台に鎮座する神功皇后所縁の神社です。

 


社伝によると、神功皇后が三韓征伐の後、宇美の里(福岡県糟屋郡宇美町)で御子15代応神天皇をお産みになり豊浦宮(山口県下関市)へお帰りの時、御座船を当地に着けた後に祠を建て皇后の和魂(にぎみたま)をお祀りしたのが起源といわれています。

 

この時に神功皇后が津に着いたことから「到津(いとうづ)」と呼ばれるようになりました。

 


応神天皇を無事に生んだ神功皇后の御霊をお祀りしたことから、人々は安産祈願として崇敬をあつめ、社前の川水を汲み、産湯として使われるようになったといわれています。

 


現在、この川は板櫃川という名称ですが、別に「産川」(ウブカワ)とも云い、川の付近には「産川町」という町内もあり、当時の安産祈願の名残が見て取れます。

 



文治4年(1188年)に82代後鳥羽天皇の命により、宇佐神宮(大分県宇佐市)から八幡神を勧請し、祭祀には宇佐大宮司の支族が任ぜられ、この時から到津八幡神社と呼ばれるようになったとされます。

 


永禄4年(1561年)大友義鎮(おおともよししげ/別名:大友宗麟)が宇佐神宮を攻め廟社堂一宇も残らず焼きはらってしまいました。

 

やむなく、宇佐神宮の神官・社僧は神輿を守護し奉り、天正11年(1583年)までの23年間、神璽を到津社に遷座していました。

 


天正14年(1586年)に行われた豊臣秀吉(とよとみひでよし)の九州平定の影響によって、社殿は荒廃し、多くの宝器が失われ、小さな祠のみが残るのみという状況でしたが、慶長5年(1600年)に小倉の地に転封された細川忠興(ほそかわただおき)によって再興され、以後、小倉藩主となった細川氏・小笠原氏の篤い崇敬を受けつつ、荒廃した社殿等の改築がなされ現在に至っています。

 



◆ご祭神
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)
市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)
豊日別命(とよひわけのみこと)

 

 

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