
昨日、娘にとっては、父ちゃんに言われて仕方無しのお囃子奉納でしたが、
私としては、特別意味のあるお囃子奉納でした。
娘が書ききっていない所を少し書きます。

この写真の様に何処にでもある、ありふれた小さな神社が、我が地区の産土様、天満宮です。
でも、明治、大正時代には、毎年10月19日には、舞台が作られ、近郷から沢山の人が
関下の獅子舞を見に来ました。
獅子舞には、神事としての獅子舞と、芸能としての獅子舞、二つの要素があります。
関下の獅子舞は、芸能としての獅子舞が突出して優れていて、師匠村と呼ばれ。
九十九里一帯の獅子舞に影響を与えました、今でも各地に関下流と言う言葉が残されています。
しかし最後の獅子舞が上演されてから、40数年たちます。
その間に、名だたる名人達は他界され、地区の長老達もかすかに獅子舞の記憶を残すだけとなって、
関下獅子舞は、獅子頭だけが残されました。
獅子舞を何とか復活させようと、有志が集い、その道を探り始めたのが2年半前です。
つてをたどり、成東の日本屈指の篠笛製作者、長谷川蘭情先生にご指導を賜り、
笛の持ち方も解らなかった連中が、昨日、40数年ぶりに再び天満宮にお囃子の音を響かせることが
出来ました。
娘達には、その意味は十分には解っていないでしょう。
でも、私としては、とうとうここまで来たか、
まだまだ道半ばですが、一つの区切りをつけられた、
感無量な一日だったのです。

誰一人、お囃子など経験の無いメンバーが、この写真のようにそこそこ形になったわけです。
鼓、大鼓、などは蘭情先生からの借り物です。
まだまだ、これからの道のりのほうが長いでしょう、
でも、数年後には、ここに獅子舞も加わった完全な獅子舞を奉納したいです。
このメンバーなら、何とかなるでしょう。
練習の時間より、飲む時間のほうが長い、たのもしい人達ですから。