フィニッシュは左回りの逆転ワザ!、秘伝・軽天現場の逆ねじ利用法! | 八尾製鋲ブログ&<Amazon>情報

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タピックスで知られる木用ビスのメーカー・八尾製鋲のブログ。
<Amazon>に出品中の製品情報もあります(テーマ参照)。

こんにちは。今朝方、通勤途中のクルマから眺めた景色からは、桜が盛りを過ぎて散りつつある様子が窺えました。残念と惜しみつつも、こればかりは仕方がないことです。とはいえ、昨日の帰宅時には、綺麗に紫色を帯びたレンゲ(蓮華)が方々で咲いていて、この時季は、桜が散り果てても、ちょっと目を向ける先を変えれば、また違った花の彩りに出会えます。山の緑も少しだけ暗い色を残していますが、全体がライトグリーンの新緑に衣替えするのも、あと一週間ほどの由。真新しい緑が映えて<山笑う>の景色が見えるようになれば、風薫る5月を次に待たせて、いよいよ春も大詰めです。ところで、今年の某<大河ドラマ>では、平安時代に「源氏物語」を創作した紫式部が主人公となっていて、1月の放送開始以来、至って興味深く鑑賞中です。江戸時代や戦国時代が舞台の時代劇ドラマと違い、平安時代を描くとなると、衣装やら装置やらを整えるのに考証の難しさと高いコストが伴うため、当該のドラマもあちらこちらに苦心の様子が窺え、ストーリーと相まって、それを垣間見るのも、毎回の楽しみとして感じられます。

さて、色々と注目点がある中でも、放送開始が冬のさなかという時季であったためか、平安時代における冬の暮らしは、貴賤の区別なく、かなり寒そうであるように思えてならず、それが極めて印象的でした。何しろ、当時の貴族が日々を過ごす寝殿造りの住居は、常設された壁や仕切りを持たない、インテリアが全くがらんどうの造作。これはもちろん、夏の暑さと湿気を避けるための対策が第一とされていたためで、平安時代が<中世温暖期>と称される比較的に高温の気候であった事情に基づく、必然の建築様式であった訳です。反面、風通しが余りにもよすぎて、冬の寒さは尋常でなかったことでしょう。してみれば、優雅に暮らしていたとされる貴族の面々は、どのようにして、凍える冬を凌いでいたか?。幾つか方法がある中で、その内のひとつは、獣の毛皮を素材にした防寒着、すなわち、皮衣=ファーコートでした。実際、「源氏物語」でも、光源氏が深く関わる女性のひとり・末摘花(すえつむはな)は、くたびれた着物の上に豪華な黒貂のファーコートをまとった姿で登場します。その出で立ちには、作者の小説的含意があれこれと込められており、黒貂のファーコートがいささか皮相なニュアンスを帯びてはいるものの、現代と変わらず、特段に高価で貴重な値打ちを帯びていたファーコートが、貴族を象徴付けるアイコンとして、強く意識されていたことが察せられる趣向です。また、「竹取物語」では、かぐや姫が求婚者の一人に対して、<火鼠の皮衣>なる超レア級のファーコートを手に入れよという無理難題を出し、手を尽くして大散財の挙句、くだんの求婚者が差し出した品を、真贋を確かめるために燃やしてしまう(本物なら燃えない筈!)残酷なエピソードもありました。ネット上のレビューでは、ドラマのディティールに「源氏物語」の蘊蓄が上手く散りばめられているという指摘も多く、いずれイケメンと評判の藤原公任あたりがファーコートをダンディに纏う場面があるのではないかと、今後の展開に期待が募るばかりです。

 

今回のブログは、回す(締める)方向が通常のビスとは反対になる逆ねじがテーマです。

 

世の中には、<論破王>というような異名を取り、色々なテーマの討論めいた対談をweb上で行って、言葉の応酬の末に相手を打ち負かしては、盛んに顔を売っている人がいる由です。但し、本当に思考と認識の正しさによって勝利しているかは、やや不明な点があり、詭弁や論点のすり替えなどで、相手に対して優位に立っているかの如く印象操作をしているだけ、との辛口な批評も多く見られ、誠実に言論を発しているオピニオンリーダーといえるかどうかも、やや不明なように思えます。一方、きちんとしたロジックを綿密に積み重ね、論者Aと論者Bが正々堂々と対峙し、丁々発止と渡り合う討論といえば、議会政治の本場である英国のクエスチョンタイム/Question time(大臣・閣僚と議員の質疑応答)が、その典型となるイメージでしょうか。確かに、長く英国宰相を勤めたマーガレット・サッチャーのような大物政治家が、討論の敵手が述べた意見を受けて、「それは、あなたの主観ですね!」と、いささか筋の外れた逆ねじの反論をしたなどとは、ほとんど聞き及びません。しかしながら、世の中で多数を占める人々が、討論を見聞きするのは面白い思う反面、クエスチョンタイム型の真摯な討論が醸す緊張感と厳しさを嫌い、ある種のはぐらかしや、緩い小気味のよさ求める嗜好で<論破王>を持ち上げ、やんやと囃し立てていることは否定できないといえます。

さて、上では少々ネガティブな意味合いで逆ねじなる言葉を用いましたが、本来の表記では<逆捩じ(さかねじ)>と書き、国語辞典で調べると、ある意見に対する反論、もしくは、反対意見を述べること全般を意味して、決して否定的なニュアンスを含んではいないようです。要するに、当該の言葉にある<逆>とは、英語のカウンター/counter(名詞ではなく動詞)に当たるような、対抗するという意味を含むと考えられます。とはいえ、<逆>と来ると、どことなく素直さを欠く、正当なオピニオンではないように思えるのは自分だけでしょうか。そんな感じがあったため、上で書いたような用い方をした訳です。つまり、「それは、あなた(私)の主観!」に他ならず、逆ねじ=不正や不適当ではないことを、ここでしっかりと明らかにしておきます。

ビスの分野においても、通常の回転とは反対に回して締める逆ねじが存在します。この場合、通常の回転=右側を指向する回り方=右回りです。逆ねじは、これに逆らう回り方をする訳ですから、当然ながら左側を指向する回り方=左回りとなります。工業製品全般に目を向けると、左に回して締める逆ねじ仕様のビスは、右回りのビスでは不都合が生じる用途であれこれと使われており、換気扇などのファンを固定する役割を持つビスがその代表格です。換気扇などのファンは、常に一定の強いトルクで回転するするため、これをビスで固定しようとすると、ファンの回転方向と同軌する右回りのビスでは、時間の経過と共に顕著な緩みの発生が避けられません。すなわち、当該の問題を解決するため、ファンの回転方向に同軌しないことで緩みの生じにくい、左回りのビスが用いられるという次第です。

それでは、八尾製鋲がラインナップする木用ビスに、左に回して締める逆ねじ仕様のビスがあるのかどうか?。その回答としては、ある!、です。とはいえ、当の逆ねじは、コーススレッドのような木用ビスではありません。軽天ビスのカテゴリーに属し、ニッチなニーズを担って独自のポジションを持つビスが、八尾製鋲がレギュラーで供給している唯一の逆ねじです。

くだんのニッチな軽天ビスについて、もう少し詳しく説明したいと思います。前言を翻すようですが、換気扇などのファンを固定するビスを正真正銘の逆ねじとするならば、それとは、ちょっと違う素性であることが否めません。言葉を換えると、逆ねじであるけど逆ねじでない、右回りのビスと左回りのビスが合わさった、正逆ハーフのようなビスであるといえます。写真を見るとご理解いただけると思いますが、軽天ビス特有の尖った先端から始まり、ほぼ3分の2強の長さまでは通常の右方向に回るねじ山が切られています。ところが、残り3分の1弱のねじ山は、打って変わって左方向に回る逆ねじ!、左右に回る向きが違うねじ山が正面衝突して、まるで喧嘩をしているかのような様子が何となく異様です。

 

このような正逆ハーフのねじ山を持つ奇妙な軽天ビス。もちろん、れっきとした存在意義があり、他にはないメリットが得られるため、プロユーザーが指名買いをする隠れた人気アイテムです。ご存じの通り軽天ビスは、軽量鉄骨材にプラスター(石膏)ボードを取り付ける工程で使われます。その際、ボードの取り付けは、横(水平)に向けてだけでなく、縦(垂直)に向けても行われるのが普通です。そうなると、ビスがボードに進入すると同時に、少なくない量の切削粉が出て、高い位置(天井)から床へと屑が降り落ちます。すなわち、これの対策ニーズが半逆ねじ軽天ビスのニッチなのです。

上にも書いたように、始めは右回りのねじ山を持ち、お終いが左回りの半逆ねじ軽天ビスは、当然ながら、右回りに方向をセットした電動ドライバーを使って正回転で打ち込みます、そして、先端が軽鉄骨に食い込み、ボードへと進入する訳ですが、瞬時の内にねじ山が右から左へと向きを変えます、それでも構わず工具のトルクに任せて、正回転のまま強引にビスを打ち込み続けると、当初とは逆の左回りで進入を完結することで、ビスの開けた穴を封印するような効果が生じ、切削粉を外(下)へと出さず、封じ込める対策が可能となるのです。

右から左へと方向の変わる逆ねじを用いることで、上手い具合に屑の封じ込めができるとは、現場での経験と工夫から生まれた知恵には、すこぶる感心させられます。してみれば、これを討論に置き換えてみるとどうでしょう。相手に押され気味であった論者が、時間切れ間際の大詰めに至り、寸鉄人を刺す秀句で逆捩じを食わせ、一挙に形勢逆転!、などとイメージすれば、逆捩じ=逆ねじの効用が、なかなか痛快にも思えて来ます。

 

【追記】

平安貴族のファーコートについて少し補足します。くだんの皮衣も含め、当時の貴族的な奢侈品は、その多くが大陸の唐(後に宋)や渤海などの外国から渡って来た、今でいうところのインポートアイテムでした。平安時代の初頭以降は、遣唐使が廃止されて中国からの影響が弱まり、日本独自の国風文化が確立したようなイメージが強いですが、大陸と国内とを結ぶ交流・交易が途切れた訳ではなく、様々な文物が流入するルートが保たれていたようです。ファーコートがもてはやされたのも、そういった事情があってのこと。平安のクールジャパンも、実際には、根強い外国品愛好趣味と隣り合い、パラレルする関係であったのかも知れません。