yanu風呂

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ゆっくりしてってください

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決めなければならないことがあるとき、ぎりぎりまで理詰めで考えて、ここまで考えたんだし、あとはやっちまえばどうにかなるか!と最後の最後に楽観的になれる。

この性分。ひとりで実行する場合はいいのだけれど、複数でとなると、自分がそういう性分だから、そうでないひとの気持ちがわかってあげられなくて、どうしてもイライラしてしまうところがある。

なにも言わないのですすめていたら、急にやっぱりやめとこうかな…とか、そもそも実はしたくなかったんだけど…とか言い出す人が必ずいて、思わず、はあ?何を今更?と思ってしまう。

でもきっと、その「なにも言わない」のなかに、たくさん不安や思いがあって、それを出させてあげられなかったのは、自分のこの性格のせいなんだろうなぁ、とこの歳になるとわかってくるのもあり、反省する。

しかし、だいたい分が悪いのは、こういう事態になったとき、「悩んでも仕方ないよ!大丈夫だよ、やってみよう!」といえば、だいたい強行できるけれど、あとで「あのときやっぱり、やめておけばよかった。そう言ったのに」などと言われてしまう点である。

というわけで、いいよいいよ、悩むだけ悩んで、決断できたら教えて。もちろんやめてもいいよ、好きにして、もう…。と言うしかなくなる。

そしてたいてい、頓挫するかもしれない計画のことを考えてもやもやと眠れなくなったりするのはこちらだけだったりするから、いやになっちまう。

こういうことを書きながら、だからわたしは計画というものを立てなくなったのか、と思いいたる。
昔はしきってみたりすることもあったような気がする。
いつからか、一切しなくなった。
思い出せば思い出すほど、苦い思い出しかない気がする。
過去の自分に、向いてないんだよ、大人になってもうまくできてないんだ、うまく逃げなさい、と言ってあげたい。
仕事をしていないので時間があるが、やりたいこともたくさんある。でもすべてが自己完結するか自分のテリトリー内におさまるようなことであり、自分はまったく何者でもないということに向き合わなくてはならず、ぞっとする瞬間もある。

でも、仕事をしていたらそれを意識するひまがないだけで、仕事をしているから何者かになれるというわけでもないだろう。

明日のためにキッチンを片付けて寝るとか、
半身浴をして汗をかいてみるとか、
読めずにおいていた小説を読むとか、
そういう自分にしか矢印の向いていないことが…というよりはそういうことができるような気持ちの余裕が、どれだけ心とからだにいいか、これは今しか感じられそうにないから、忘れないようにしないと。

忙しいとき優先順位を下げがちなことって、こころに優しいものが多い。それはきっと、他に影響しないからだ。やっぱり相手のあることは、緊張や不安がつきまとう。楽しいことであっても。

ハードなことは、中毒になってしまうのかな。心を奪われてしまいがちで。
仕事に悩む、人間関係に悩む、そういうことも大事だけれど、単純にこころに優しいことは、どうにか生活に組み込んでいこう、優しくあるために。

会社を辞めないとなー、、
と思ってはじめて、自分のだめな部分をはっきり認識した。

いますぐ会社を辞めるということには今のところならなくて済みそうだけど、この延長線上に、なにもないことも、はっきりわかった。

最低限、お金をもらえて、きちんと生きていけたらいい。
そう思っているのは今も変わらない。
好きなことを仕事に、とか、やりがいのある仕事を、とか、そういうのには相変わらずぴんとこないけど、
「なぜお金をもらえるのか」を、意識していなかったのは甘かった。
甘すぎた。

歳はとっていくのに、わたしは停滞している。

自分にお金をもらえる「なにか」がないと、もらえないんだよね、当たり前だけれど。
そして、身に着ける「なにか」は、「この会社でしか通用しないなにか」ではいけない。
(この会社に固執しない、と思っている以上は。)

30歳になるまでに、キッチリ道筋作ろう。

頑張るぞ!