ミッキー・ゴジラ | 山本昭彦のブログ

ミッキー・ゴジラ

 

 

マーベル・ムービーをスコセッシはこう喝破した。

「あれらは映画ではない。テーマパークだ」

 

 

 

贈るも贈らんもなんつーか、な映画 ゴジラー1.0 2023 東宝

 

 

 

「ファイナル・ウォーズ」にこういうカットがあった。

確かラドンがアメリカに出現したあたりで、

子供がゴジラと亀の人形を戦わせて遊んでいる。

でもって子供はこう言って、亀のほうを放り投げるのだ。

「えい!このノロマな亀めッ!」

言うまでもなく、この亀はガメラを意味している。

 

 

「マイナスワン」にはこういうシーンがあった。

神木隆之介や吉岡秀隆が小さな木造の掃海艇で出動させられる。

任務は東京に接近しつつあるゴジラの足止めだ。

そこでの吉岡と山田裕貴のやりとり。

タカオが来るまで時間を稼げってことだ」

「タカオってジュージュンタカオ?

しかも山田が早口すぎて実に聞き取りにくい。

 

 

この音声を脳内で即座に「重巡高雄」と変換できるのは

私のようなグンカン大好きなやつか、

「艦これ」好きかミリオタだけである。

普通の観客はそのふねのことを知らないし、

ましてや重巡が重巡洋艦の略で、

戦艦に次ぐ強力な武装を備えた戦闘艦であることなど

わかりっこない。

しかし映画は、そんなの知ったことか、

知らん奴は知らんでええ!

とばかりにガンガン進む。

 

 

やがて高雄がいきなりその海域に姿を現す。

私の知る限り、高雄もしくは高雄型重巡が、

実写映画の中で描かれるのはこれが2本目。

初出は東宝の「連合艦隊五十六」だ。

ミッドウエイ海戦のシーンで、

史実ではそこにいなかったはずwwwの高雄型重巡が、

炎上する赤城の手前を横切っていた。

 

 

ところがマイナスワンは史実に沿っている。

高雄は終戦時、損傷した状態でシンガポールにいた。

大和は沈み、

長門もまた水爆実験の生贄に饗されたこの時点で、

高雄こそは戦後日本に残された最強の軍艦だった。

これって使えるんじゃね?と、

この映画の脚本家が考えたとしても無理はない。

 

 

高雄型重巡は日本海軍艦艇の中でも人気が高い。

ゴジラと高雄の対戦。

このシーンで私がまず思い浮かべたのは、

「ファイナル」のアメリカのガキの、あのカットだ。

それはゴジラとガメラの対決と同じ。

アントニオ猪木vsモハメッド・アリ。

大山倍達vs闘牛横綱雷電号。

夢の顔合わせ。ドリームマッチというわけだが、

私はそこに、すげー嫌なオタク臭を感じ取って、

なんつーかハッキリ言って不快な気分に沈まされたのよ。

 

 

作品の中盤で、駆逐艦「雪風」の元艦長が登場する。

彼の自己紹介の言葉がこうだ。

「もと雪風クチクカンチョウの〇〇です」

元艦長ではなく、元駆逐艦長と名乗っている。

ここまでくるとお見事だ。

 

 

軍艦の指揮官ってば艦長だよね。カンチョー。

普通は誰でもそう思っている。

しかし日本海軍には妙なルールがあって、

「軍艦」と呼んでいいのは、

戦艦とか空母とか巡洋艦とか、

ある一定の格式を認められたふねに限られており、

駆逐艦や潜水艦は「軍艦じゃなくて艦艇」とされていた。

艦長=軍艦の指揮官である以上、

駆逐艦の指揮官は

「艦長じゃなくて駆逐艦長」という身分に規定されていたのさ。

ついでに書くと軍艦の艦長は大佐と決まっており、

なんたら艦長の階級は中佐以下だ。

 

 

もっとも現場では、

駆逐艦長も潜水艦長も「艦長」と呼ばれていたらしい。

いーやんそれで。そんぐらい融通がきいていた。

でもこの映画では、その人物に公式な身分を名乗らせている。

むろん、彼がそこで公式身分を名乗る必然性はある。

だけど私はそこにも感じたのさ。

なんつーかオタクなやつが作った映画なのかねコレは?と。

「え?鬼畜カンチョーってなに?」

そう聞き間違いをした奴がいたらどうしてくれるんだ。

普通に艦長と名乗らせればいいものを、

なぜそこまでオタク知識を振りまく?

リアリストは、

決してリアリズムにこだわらないものだぜ。

 

 

ゴジラと高雄が戦う。

それはやらせちゃいけないことなんじゃないか?

雪風をこんなふうに持ち出していいのか?

そんな想いで見ていた私の目の前に、

こんどはアレが登場する。

福岡人、もしくは九州人の

「俺が俺が」な精神性が産んだ幻の傑作機。

ここに至って私は確信した。

この映画はただのおもちゃ箱やん。

 

 

次回「震電編」に続く。