その7 山本五十六がジョン・フォードのファンだったら真珠湾攻撃なんかおっかなくてできっこなかった | 山本昭彦のブログ

その7 山本五十六がジョン・フォードのファンだったら真珠湾攻撃なんかおっかなくてできっこなかった

 

 

金正恩の父である金正日が

外国映画のマニアであったことはよく知られている。

日本の映画もよく見ていたらしい。

その薫陶を受けたのだろう、

正恩氏もまた映画好きで、特に007がオキニなんだそうだ。

 

 

こういう話が報道ワイドショーなんかで出ると、

居並ぶ学級委員コメンテーター様たちは、

決まってこういう発言をする。

国民は飢餓に苦しんでいるというのに、

さすが独裁者!自分たちだけ優雅に映画ライフとは!!

いかにも学級委員だなえーおいw

 

 

それが優雅な趣味のわけがあるかい。

正日パパは息子に言っただろう。

いいか息子よ。これは娯楽ではない。

敵を知ることだと。

 

 

きみに贈る映画100選 No.144 一番美しく 1944 東宝

きみに贈る映画100選 No.008 トラ!トラ!トラ! 1969  日米

きみに贈る映画100選 No.030 活きる 1994 中国

きみに贈る映画100選 No.047 七人の侍 1954  東宝

 

 

 

しかし間違うな。

金親子が見つめていたのは、

映画に描かれた表面的な敵国や敵国人の姿ではない。

彼らがその映画を通して知ろうとしたのは、

その映画を作った精神性と、

そして、その映画を受け入れる国民の精神性だということだ。

それは「その映画にとっての日本」だったり、

「その映画にとっての米国人」なのだとも言える。

 

 

ウクライナ紛争が始まったころ、

日本のマスコミはこぞってロシア悪玉論をぶちあげた。

百歩譲って、ロシア=絶対悪だと決めつけることは、

日本の安全保障上は有効に作用すると認めてもいい。

だが、ここからが問題だ。

マスコミは大衆の喜ぶネタを探すのに必死で、

根拠薄弱な、まるでゴシップのようなロシアの悪口を

これでもかとばかりに毎日のように垂れ流した。

いわく、ロシア兵は士気が低い。

プーチンはロシア国民から人気がない。

西側の経済制裁によって遠からずロシアは干上がる。

挙句の果てがこんな情報隠蔽までやってた。

 

 

キーウをボロボロにしているのは、実はウクライナ軍のミサイルです。

撃墜したロシア機や、

目標を外した対空ミサイルが街に落ちて爆発してるんです。

「ひるおび」のリモート出演で、

キーウ在住ウクライナ人ボグダン氏はそう発言した。

ところが番組はその発言を完全シカトして

「ちょっとここでコマーシャルです」と、聞かなかったことにした。

それらのことは、すでにそのつど記事にしてきた。

日本のマスコミがこんなざまだから、

私はきみに「ナージャ三部作」を贈ったのだ。

 

 

敵に勝ちたければ、決して敵を憎んではならない。

憎めば心の目が曇る。正常な判断ができなくなる。

敵に勝つために絶対に必要なことは敵を理解することだ。

理解するためには、さあ映画を見ろと。

 

 

アメリカ人は個人主義で

享楽的で怠惰でスケベで拝金主義。

国のために命を捨てる気なんて全くない。

大和魂を持つ我々日本人が、そんな奴らに負けるわけがない。

これが、あの戦争を始めたときの、日本人の米国観だ。

敵を知らずに戦えばどういうことになるか

日本人は敗戦によってそれを思い知らされた。

昭和天皇や東条英機や東郷茂徳や山本五十六が

もし西部劇の大ファンだったら、

真珠湾のような真似はとてもできなかっただろうぜ。

 

 

誰だったか記憶していないんだが、

戦後になって初めて「風共」を見たときの衝撃をこう語っている。

「こんな映画を作れる国と戦争をして勝てるわけがなかった!」

風共は戦前に制作された映画だが、

日本では公開が認められず、

日本人がこの「総天然色」の一大叙事詩を見て度肝を抜かれるのは

敗戦から7年後のことである。

 

 

風共が日本で初公開されるおよそ一年前。

黒澤 明は生涯初めてとなる「世界最高の作品」賞を得る。

ベネチア映画祭の金獅子賞。

対象となった作品は「羅生門」だ。

この作品はその半年後にも、

アカデミー外国語映画賞のオスカーを得て二冠達成。

黒澤 明の名と、日本映画のレベルの高さを全世界にアピールした。

張芸謀の「英雄」

「羅生門」のプロットをまんまパクっていることは以前書いたな。

そのことはいずれ「活きる」について語るときに

重要なファクターとなるから憶えておくよーに。

 

 

海外でそれほどの名声を得た「羅生門」だが、

それに先立つ国内での封切り時には

あんまりウケなかったらしい。

斬新でテクニカルなプロットに観客が戸惑ったのではないかと、

私はそう推測している。

黒澤はやがて日本の映画界と観客に対し、

見切りをつけるというか、距離を置くというか、

それよか外国の観客のほうがぼくちゃんを理解してくれるから好きやし、

みたいな人になっていく。

黒澤が「七人の侍」を撮るのは、

二冠達成からおよそ二年後のことである。