りりりの炭酸水 | 山本昭彦のブログ

りりりの炭酸水

 

 

「シェーン」 を見ていちばん衝撃的だったこと。

主人公は原野に住む開拓者の家に居候をしている。

ある日、街に買い出しに行くことになったので、

その家の子に、おみやげは何がいいかと尋ねた。

少年は屈託なくおねだりをする。

「ソーダ水がいい」

 

 

はあ?

ソーダ水ってあれやろ? 

オレンジとかグレープとかファンタとかサイダーとか?

 

 

そのころ私はまだ中学生ぐらいで、

西部劇=アメリカの時代劇みたいな認識しか持っていなかった。

だからシェーンが酒場に入ってそれを注文するシーンなぞは

素浪人花山大吉が居酒屋でラムネを頼んでるようにしか見えん。

そこにもってきて相対したヒゲ面のバーテンが

「イチゴとメロンがあるぜ」 なんて答えるもんだからダメ押しだ。

頭の中で、少年忍者青影がクリームソーダを食べ始める。

当時はメロン味の炭酸飲料なんてレストランメニューだったから、

アメリカってのはすげー国やなーと、妙な感心をしたものだ。

 

 

 

日本でも天然の炭酸水は大昔から飲まれていたようだが、

嗜好品として一般に飲まれるようになったのは明治以降らしい

銀座の有名な天ぷら屋の息子だった人が書いた、

「たべもの歳時記」 という本にソーダ水が出てくる。

昭和のはじめごろのことだ。

銀座のカフェにソーダ水というメニューがあって、味が選べた。

客がソーダ水を頼むと、ウエイトレスが 「お味は?」 と聞く。

天ぷら屋の知り合いの紳士はそこで、「きみの好きな味で」 と頼んだ。

やがて彼女が運んできたのはプレーン・ソーダだった。

天ぷら屋は彼女のことを 「粋なモダンガール」 とほめている。

 

 

それは味のついていない、今で言う 「炭酸水」 だ。

プレーン・ソーダは外国ではよく飲まれている。

ドイツあたりでは炭酸水も水のうちだから、

レストランで普通の水が欲しければ 「ノーガス」 と断らないといけない。

そういうことも知っていたのだろう。さすが銀座だモダンガール。

 

 

 

 

これを初めて見たときにはやっぱ違和感を抱いたぞ。

炭酸水は清涼感が売り物だ。

ふつうパッケージに使う色は青だろ、青しかないやろ。

コカ・コーラは赤だけどアレにはどぎつい味がついている。

プレーンでピュアで粋でモダンなら青やろ。

 

 

だけどこの炭酸水は店ののれんを背負っている。

西友のPB=プライベートブランドのひとつ、きほんのき。

その統一デザインは赤白ツートン。

もしくは赤と無色だ。

これな

 

 

この缶を担当したデザイナーは言っただろう。

「でも炭酸水ですよ。炭酸水で赤はないでしょう赤は?」

 

上司であるディレクターは答えただろう。

「しょーがねーだろPBなんだから。統一デザインなんだから」

 

「赤にしちゃうと、清涼感とか、さわやかさとか皆無じゃないですか」

「そこを何とかするのがデザインだろうが」

 

 

デザイナーは頭を抱えただろう。

PBである以上、統一デザインは守らなければならない。

それは理にあてはまる。

だが仮にも炭酸水のパッケージが赤白でいいのか?

これは利に反する。

せめて赤と無色だ。

無色なら缶の素材はアルミニウム。ひんやり感は出せる。

うん、そのあたりでよしとするか、と思いつつ、

彼はPC画面の赤と無色のツートンデザインを見つめ続けた。

いや、これじゃだめだ。ひんやりだけじゃだめなんだ。

今度は清涼感を表現するために、泡を置いてみる。

 

 

泡の数、レイアウト、何パターンも試しに試して3時間当社比。

頭の中で鈴が鳴った。

りりりーん。

 

これや! 

 

 

見事にというか、困ったことにというか、

離の結果ついにここにたどり着いたデザイナーは、

この禁断のアイディアをベースに決めた。

彼はそれを元に、ちょい足し、ちょい触り、ちょい妥協して、

私たちが西友で手にするあのパッケージデザインに仕上げることになる。

 

 

言っとくが、この西友炭酸水ばなしは私のでっちあげだ。

製品化されたパッケージからウルトラマンを連想するユーザーはまずいない。

だが、このデザイナーがウルトラマンを全く意識しなかったとも思えない。

そうでなければ製品化されたデザインの、まるで 「微炭酸」的な、

「泡の微妙な中途半端さ」の説明がつかない。

この炭酸水は「強めの炭酸」 だと商品説明にある。

広告主サマの言い分に忠実であろうとすれば、

私がでっちあげた泡がいっぱいの、右のやつなんかが相応しいはずだ。

だがこのデザイナーはそっちに行かなかった。

 

 

彼は平面デザインで音を感じさせようとした。

それをもって清涼感を表現しようとした。

思えば野心的なクリエイティブとも言えるぢゃないか。

残念ながらおそらくほとんどのユーザーには、このユーモアは届かない。

確実に届けるには、惜しいかなまだちょっと弱い。

それはひそやかに忍ばせたジョーク、というほどのものだったのだろう。

だけどデザイナー君、俺にはしっかりと届いたぞ。

きみのユーモアと、それを生んだデザイナーの意地ってやつがな。

 

 

昭和の初めの、銀座のカフェのモダンガール。

天ぷら屋は江戸っ子だ。

その彼が彼女をほめたのは、

イチゴだのメロンだのと野暮な味のついたソーダ水ではなく、

シンプルでストレートでピュアなプレーンソーダを選んだからだ。

なるほど粋でナイスでスマートな対応と言えなくもないが、

しかし彼女は、もしやこう言いたかったのではないか?

 

「私は甘くないわよ」

それはそれでクールだな、シュワッ!