航空艦隊は無敵だった
操縦室に入るとにーちゃんがヤポンスキーだと紹介した。
パイロットとコパイがちょっとこっちを振り向いた。
機長は振り向いただけ。コパイが私を見てうなづいた。
そこにはもう一人いた。
あのイワンのかーちゃんだ。
チーフパーサーってとこなんだろう。操縦席の後ろで横向きに腰掛けてる。
位置的には私に一番近いのがこのかーちゃん。
彼女はギロリと私をにらんだ。歓迎の成分ゼロパーセント。
私は10カ国以上の言葉を話すことができる。
こんにちはハローぐーてんたーくニイハオぼんじゅーる、これですでに5カ国。
あとアレコレなんたらプラス佐伯弁で10カ国以上。
私がその、最初の挨拶だけは完璧という語学力を駆使しても完全シカト。
彼らの雰囲気としては 「やれやれ」って感じ。
どうもコレ、彼らにとって初めてのことではないようだ。
にーちゃんの毎度まいどの退屈しのぎなのかもしれないな。
しかしシカトされたのはむしろ好都合。
私は余計な会話に残り少ないエネルギーを浪費せずにすむ。
説明が難しいんだが。
この当時、日本で使われていた機体はボーイング747やダグラスDC10。
それらのコックピットがデリカスペースギアとするやろ。
すると、そのソ連機のそれは昭和時代の2トントラックなみ。
むき出しの鉄板のパネル。しかもペンキで塗りました感ありありのテキスチャ。
そこにトグルスイッチと豆電球の芯が見えそうなランプ類が並ぶ。
たまらん。なんてクラシックなんだヘビーデューティなんだ。
こんなかんじな。操縦桿中央にメモ紙ホルダーってのが泣かせるぜ。
ソ連の国営航空アエロフロートのパイロットはほとんどが空軍出身だ。
うまいやり方だ。そいつらを採用すれば訓練経費はゼロですむ。
軍としても退役者に高給再就職先を提供できる。どっちもハラショー。
つーかそもそもこういう国では、
パイロットになりたいと思ったら空軍に志願するのが普通。
だってタダで操縦を教えてもらえて給料までくれるんだもん。
この飛行機だってすぐに軍用輸送機として転用できるようになっている。
むろん搭乗員もコミコミの話だ。
そんな連中だから着陸がうまい。
接地した瞬間のドスンがほとんどない。スイッと降りる。
客のためじゃない。デリケートな兵器や爆発物とかを積むことだってあるからだろ。
アエロフロートを邦訳すると航空艦隊。
なんか俺いまスゲーのに乗ってるんだな。下痢の神様スパシーボ。
にーちゃんに促されて窓の外を見る。
海だ。そんなアホな。ここは中央アジアのどまんなか。
カスピ海か? いや全体が見えてきた。丸い。アラル海だ。
ほんとか?
だいたい、あの広大な国土に無数に存在する湖の中で、
私が知っている名はみっつだけ。カスピアラルパイカル。
よっしゃあれはアラル海だ。そうに違いない。それに決めたッ!
岸に沿って灰色の部分がある。
干上がって底が見えているのだ。
こんな大荒野にいきなり巨大湖。使われほうだい汚され放題なんだろな。
沿岸に住む漁師が、
昔は宝の海だったが今はもうサッパリだ、とか言ってるんだろうな。
そこからこの飛行機は見えるだろうか。誰かが見ているのだろうか。
見ている誰かと私は生涯会うことがないが、それでもそいつはそこにいる。
飛行機はいいね。
自分が70億分の1であることを教えてくれる。2020年当社比。
機体が空港について乗降ドアが開く。
最初に降りるのは誰だ? 機長ほかの運航クルーである。
当時はそうだった。今は知らん。10年ほど前に行ったときはJALやったし。
これは、彼らが 「人民のために働いた者」 だからだ。
お疲れさまでしたご苦労さまでしたという意味で彼らを先に降ろす。
客は乗ってただけ、食ってただけ、飲んでただけ、寝てただけ、
そして約一名、コックピットで感動してただけ。
クルーが降機するまでおとなしく席に着いたまま待たなきゃいけない。
いやサイコーのフライトだったわw
そんなことを思いながら出口に進んでいたら衝撃の再会。
ギャレー=客に機内食や飲み物を用意するためのミニキッチン。
その横を通ったときだ。
目が合った。
そしてその目を疑った。
この飛行機に乗りこんだ時、私たちの座席を占領していたダブルブッキング客。
彼らがそこにいた。
キャンセル席でもあれば乗れただろうが、まず27時間待ちだろうなと思ってたら、
航空艦隊は彼らを見捨てていなかったのだ。
彼らは自分の荷物を尻にしいてそこにうずくまっていた。
「あんたらもしかして、その状態でずっと乗ってたわけ?」
普通なら信じがたい。
だがこの飛行機なら十分アリエール。
この便のクルーは飛行中のコックピットにガイジン客を招待する連中だ。
しゃーないな。ギャレーにでも座ってな、離着陸のときは気ィつけてな。
そんな感じで乗せちゃったんだ。
なんたるうかつ! 画竜点睛を欠くとはこのことだ。
それを知っていればラスト一時間、俺が代わるよとか何とか言って、
生涯初の 「ヒコーキに床に座って乗ってました」 体験ができたものを。
私は彼らに向かってなんとなくうなづいて、そのまま降機した。
あとで、ひとことスパシーボを言っておけば良かったと、ちょっと後悔した。
KGBは待っていた。
私たちの場合、そこから向かうのはホテルではない。駅だ。
モスクワには宿泊しない。次の目的地は黒海のほとりオデッサ。
ほとんど捕虜状態の私たちを乗せて、車はオデッサ駅へひた走る。
つまり羽田から博多駅へ向かったわけで、なんか変だな?
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次回 今度こそ 夢かうつつかポーリュシカ に続く。