すすけた街の川岸に立ち | 山本昭彦のブログ

すすけた街の川岸に立ち

 

 

「速水御舟が描いた、炎に蛾が群がる絵というのはコレ一枚ですか?」

そう尋ねると石橋美術館のスタッフさんはとまどった。

「いえぼくは日本画についてまったく知らないんで」

あくまでもシロートの質問ですという意味で、私はそう付け加えた。

 

上京したとき 「炎舞」 が収蔵されている石橋美術館を訪ねた。

作品自体は展示されていなかったが、

フロントで売っていた絵葉書の中にそれはあった。

前回の記事できみが見たあの絵だ。

しかしそれは、私の記憶の中にある 「炎舞」 とは違う絵だった。

だからそういう質問になった。答えは判りきっていたけどな。

 

 

きみに贈る映画100選  No.091   サスペリア 2018 イタリア+USA

 

 

戦後ドイツの歴史、特に内政についてなんて私は何も知らない。

東西分裂について初めて意識したのは小学生のとき。

石森章太郎の 「サイボーグ009」

東ドイツの青年アルベルト・ハインリヒ、のちの004。

彼は西への脱出行のさいわるものに拉致されてサイボーグとなるのだが、

そのさい恋人を東ドイツの警察だか軍隊だかに射殺される。

 

 こいつな

 

ガキにとってこれはかなり衝撃的なストーリーだったわけよ。

だけどそれが東西対立という問題意識につながることはなくてさ、

単に西側NATOはいいもん、東側W条約機構はわるもんという、

あくまでも庶民のガキが抱く敵味方イメージとしてしか記憶しなかった。

 

そこでイメージされた東側諸国と、そこに暮らす人々は

独裁政権に支配され貧しい暮らしを強いられており、

その街並みは、今風な言葉でいうと、

インフラ整備がてんで遅れた、石造りのカビ臭いすすぼけた街だった。

つーか日本の教育もマスコミもそういう宣伝をしてた。

 

ずっと後年2003年ごろ旧東ドイツのドレスデンに1日だけ滞在した。

WW2末期に連合軍の無差別爆撃を受けた都市。

いまだにすすぼけていた。

直前に訪れた旧西ドイツのミュンヘンやローテンブルグとは全然違う。

それに加えて以前書いたベルリン郊外の航空博物館。

西と東の戦闘機が仲良く翼を並べるメインホール。

すでに過去の歴史となっていた東西ドイツの対立が、人びとの痛みが、

このとき初めて、私の中でリアリティを得た。

 

博物館といえばミュンヘンにすげーのがある。

工業とか科学系に特化した博物館なんだがちょっとした万博レベル

めちゃ広い敷地にいくつものパビリオンがある。

自動車系の建屋、船と飛行機の建屋、カメラと楽器の建屋とかいっぱい。

ひとつひとつがこれまたでかい。

許された自由時間は1時間ちょい。宿舎から早足で歩いて駆け込んだ。

パビリオンひとつ見るのが精一杯。とーぜん飛行機と船のやつを選ぶ。

 

わはははオイオイすげーな。

Uボート一隻がまるっと展示してある。最初のUボート。その名もU-1。

全長40メートルぐらいの小型だが本物一隻丸ごとだぜ。

しかも右舷は外板を取り外してあって、いわゆるスケルトンモデルになってる。

そんなスケールの博物館。

飛行機もうひゃひゃひゃレベルの展示数と質。

 

「空軍大戦略」 という映画がある。背景はバトルオブブリテン。

出演している英独空軍の飛行機の多くが本物。

戦後日本にゃ飛べるゼロ戦なんて一機もなかった。

敗戦国ドイツの機体がなぜそんなにたくさん残っていたのか?

一部はコンドル軍団だ。フランコに貸与されたスペイン内戦の遺物。

ゲルニカに爆弾おとしたやつな。

だけどドイツ国内にもそれなりの数が残っていたらしい。

 

戦後日本では軍国主義国家解体のために、そういう遺物は全部処分された。

航空機は全部スクラップもしくは生き埋めまたは合衆国へお持ち帰り。

だから1万機以上生産されたゼロ戦でさえ一機も残してもらえなかった。

だけどドイツには残っていた。残されていた。

「戦後」 に備えてのことだろうよ。

ドイツは敗戦のときから、すでに新たな戦場としての運命を背負っていたんだ。

 

そんでもって分割占領。ベルリンも4分割、事実上東西の2分割。

チャーチルの演説 「鉄のカーテン」。ベルリン封鎖。大空輸作戦。

ついにベルリンの壁の建設にいたる。私が学んだ戦後ドイツはそこまでだ。

 

大日本帝国は連合国に無条件降伏したということになっている。

だけど違うぜ。百歩譲って怪しいぜ。

ポツダム宣言には、日本の降伏のための条件がちゃんと記されている。

そのうちのひとつが 「日本の無条件降伏」だ。

「日本に民主的な政権が誕生したら占領軍は撤収する」 という条件もある。

だが戦後、トルーマンや吉田茂の発言の中で

日本という国家が無条件降伏したのだという歴史解釈が定着したらしい。

「条件付きの無条件降伏」 だったという解釈まである。

苦し紛れの言葉の遊び。学者もつらい商売だなえーおい。

 

ネトウヨみたいに、イーヤ日本は無条件降伏してないしッ、みたいな

どーでもいいことを論じたてる気はないぜ。

ドイツはマジに国家として無条件降伏をしたってことさ。

それはこの先どのように扱われても一切文句は申しませんってことだ。

背負わされた十字架の重みが日本とはまるで違うってことだ。

同じ「無条件降伏」でも日本の戦後と同じ感覚でいたらおおまちがい。

ドイツの戦後について考える時、このことは知っていたほうがいい。

 

 

その程度の乏しい知識だが、

そこに立って 「サスペリア」 にとっての私をこの先語っていくことになる。

きみのインタレストにわずかでも響けばうれしい。

 

 

私の記憶の中にあった 「炎舞」 はこんな絵だった。

深い闇。炎は紅蓮。モスラはでかくリアルだった。

映画も私たちの中で変化する。

変化しない映画なぞ忘れてしまっていい。

そこに、その映画にとってのきみはいないからだ。