卒業論文集『経済学研究年報』第31号の編集作業が終わり、先ほど印刷に回しました。これで、31期生が3月24日に開いてくれるという「謝恩会」に間に合います。

 

 1期生から続く謝恩会は、ゼミとしての卒業式です。正式の学位記は、大学が挙行する卒業式で授与されます。謝恩会では、ある意味で学位記以上の重みをもつ卒業論文集の上製本(ハードカバー、金文字入り)が、ゼミ文集『梁山泊』、私からの卒業記念品とともに手渡されます。

 

 昨年は卒論からの脱落者が多く、30号はゼミ開始以来、最も「薄い」冊子となりました。立てようと思っても、立てられない「薄さ」でした。薄くて、薄くて、背表紙には文字が1行分しか入りませんでした。それに対し31号は、2.5倍ほどのボリュームとなり、立てられます!いつもどおり、卒業論文集らしい「体裁」を整えられました(「体裁」は、ね)。

 

 31号の編集作業は、「執行猶予」期間中に卒業論文を書き上げた30期K君に手伝ってもらいました。そう、K君はついに「刑の執行」を免れたのです。

 

 高崎経済大学経済学部では、卒業論文が「必修」とはされていません(地域政策学部は形式上、卒論必修です)。したがって当ゼミでも、卒論を書かなくても必修の「演習Ⅱ」という単位は出せます。ただし、その場合、ゼミは破門、永久追放となります。高崎経済大学を卒業しても、矢野ゼミ卒業生を名乗れませんし、卒業後のタテ・ヨコの関係には加われません。卒論も書かずに、矢野ゼミの輪に加わるなど、できるわけがないのです。どのツラ下げて、私の前に現れるのか、ということです。

 

 昨年の今頃、K君は、卒論を提出しませんでした。昨年度は途中からバックレました。1年留年することを前提に米国留学し、5年生突入が確実だったので、今年度に書くチャンスがあるにはあったのですが、バックレる奴にチャンスはありません。

 

 当然「破門」という措置が執行されるはずでしたが、彼は私に詫びを入れ、31期生とともに卒論を書き上げることを誓いましたので、執行猶予となりました。期日までに書かなければ、ゼミ追放措置の執行です。

 

 K君は、今年度早々に希望通りの就職を決め、後期は、約束通り、卒論に取り組み、このたび完成させました。そして、自分の卒論が収められる、後輩たちの31号の編集作業を手伝ってくれました。あらためて、卒業おめでとうございます。英語も得意なK君です。実社会での活躍を大いに期待しています。

 

 毎年のことですが、卒論を書き上げてもいないのに、旅行だ、コンパだ、バイトだと予定を入れる阿呆が多すぎです。卒業論文を完成させるために最後の力を振り絞らなければいけない、まさにクリティカルな時、旅行に出かけていたのでは、まともな卒論が書けるわけがありません。当然ながら、できはボロボロですし、最悪、提出できなくなり、ゼミ追放の措置が下されます。

 

 昨年度は、そんな連中ばかりでした。優先順位のつけかたを間違えれば、人生、うまくいくはずがありません。まあ、その人にとっては、ゼミよりも、目の前の旅行やバイトの優先度が高かったということなのでしょう。合掌。

 

 毎年、卒論編集の時期は、いろいろな思いが交錯します。そんな編集作業が今年も終わりました。