その昔、マーガレット・サッチャーは「市場競争以外、他に手はない」「社会など存在しない」と嘯き、市場競争の万能性、自己責任の不可避性を謳って、新自由主義政策を展開しました。ざっくり言って、ポスト冷戦期の中心的イデオロギーは、「方法論的個人主義」に基づき「私的利益の極大化」を称揚する新自由主義経済学でした。
 

 冷戦終結後の新自由主義的グローバル化によって、大企業・富裕層の利益が拡大し、新興国が台頭する一方、先進国中間層は疲弊し「絶望死」が広がりました。金融危機が相次ぎ、気候変動が深刻化しました。地域紛争も絶えませんでした。先進各国では社会の分断が深まり、反グローバルの動きも高まり、今に至っています。
 

 2020年代に入ると、「ポスト冷戦の終焉」と言われるようになりました。アメリカの単独行動、ロシアによるウクライナ侵攻などによって多国間主義が大きく揺らぎ、グローバル政治経済の不確実性が大いに高まっています。時代を覆う中心的イデオロギーは、「方法論的ナショナリズム」に基づき「国益」「国家安全保障」を最優先する地政学です。国民国家が自己完結した唯一至高の分析単位、ガバナンス単位となり、身も蓋もない自国第一主義が蔓延り始めています。
 

 1970年代あたりから、エレガントな経済学モデルが政治学や経営学など、社会科学の他領域にまで適用されるようになり、「経済学帝国主義」などと言われました。今や、地政的利益が国家運営のみならず、企業経営、学術研究で最優先されるようになり、「地政学帝国主義」の様相を呈しています。経済学帝国主義に続く地政学帝国主義の浸食によって、国家運営も企業経営も学術研究も危うくなり、現在世代のみならず将来世代の暮らしが脅かされつつあるように思います。
 

 「社会」は本当に存在しないのか。「社会」は国家の下位概念に過ぎないのか。国家が人の集まる唯一至高の単位なのか。ポスト冷戦が終焉したとされ、万能・無謬の国家を前提に国益と国家安全保障ばかりが崇め奉られる今、人々の「まとまり方」「つながり方」をあらためて考えるべき時が来ているのではないか。
 

 経済地理学会の第73回大会共通論題シンポジウムは「オルタナティブな経済を模索する経済地理学のアプローチ」というテーマで開催されました。私は非会員ですが、基調報告に対するコメンテーターとして招かれ、上記のような問題意識で「連帯経済」に注目する意義を述べました。人は目先の私的利益を超えてつながれるのか、「市民」は「国民」を超えられるのか、世界各地の「連帯経済」活動、コモンをどう評価すればいいのかといった観点からコメントしました。
 

 私など連帯経済の実践活動に携わった経験も、現地調査を行った経験もない「書斎派」ですが、企画を担当した明治大学N教授のお声がけに応じた次第です。Nさんとは、地域政策学部のN先生(現・高経大名誉教授)が在職されていた時期、何度か研究室でお目にかかっていましたし、N先生の退職祝賀会でもご一緒しました。
 

 5月23日、日大経済学部で行われたシンポジウムは、コロンビアに関するH先生(上智大学)の報告、フィリピンに関するN先生(東京農業大学)の報告、またもう一人のコメンテーターA先生(東京農工大学)によるコメントも興味深いものだったので、結構盛り上がりました。
 

 私は「継起的問題解決」「社会的エネルギーの保存と変異」といったアルバート・ハーシュマン『連帯経済の可能性―ラテンアメリカにおける草の根の経験』(法政大学出版局、2008年)の議論を紹介しながら、両先生の報告にコメントしました。
 

 「連帯経済」を評価するうえでは、「すべてを変えなければ何も変わらない」という「冒険主義」から脱却する必要がある。「社会改良のためには、まず国家権力を奪取しなければならない」と「大文字の政治」の動向に注目するよりも、世界各地で繰り広げられる「プロジェクト・スモール・エックス」の本質を見極める姿勢が重要ではないか。何をもってオルタナティブと捉えるか、組織運営一般にまつわるガバナンス、コンプライアンス、アカウンタビリティの課題をどう乗り越えるかといった課題はあるものの、ハーシュマン的な観点からすると、お二人の報告は、非常に意義深い、というのがコメントの骨子です。
 

 アウェー感に苛まれるかと危惧していましたが、懇親会では思わぬ再会や新たな出会いがあり、経済地理学会当日は楽しい1日となりました。各方面で頑張っている人と対面し、直接話をすると、いろいろな意味でエネルギーがもらえますね。定年退職後の研究者にとっては貴重な機会となりました。お世話になった方々に心から感謝いたします。いただいたエネルギーを糧に、原稿の執筆に励みます。