学会で長崎に行ってきました。学会前日、早めに長崎入りし市内を見て回りました。長崎は3度目なのですが、前回はとんぼ返りだったので、市内を見て回ったのはD1の時以来ということになります。大浦天主堂、グラバー園、香港上海銀行長崎支店資料館、めがね橋などに行ったのですが、前回見たところも微妙に記憶が飛んでいて、「こんなところだったっけ」と思うことが何回もありました。前回来た時にはなかった香港上海銀行資料館は中高生の修学旅行ではほとんど立ち寄らないようで、百円で貸し切り状態でした。静かな部屋の片隅に置かれた椅子でうたた寝をしたり、展示物やガイドビデオを見たり。しばしゆったりとした時間を過ごしました。 長崎入りした夜は、佐賀大学のC氏、福岡大学のM氏、奈良産業大学のY氏と夕食。学会当日は、M山ゼミ関係者を含め、参加者がいつもよりも少なく寂しかったのですが、それでも大御所の話しに耳を傾け、いろいろな人と話ができたのでよかったと思います。M山ゼミ関係者の所属先、今春は結構動きがありました。 学会当日は長崎にもう1泊する予定だったのですが、前日、「せっかく九州まで来たんだから佐賀に寄っていけ、そのまま帰る手はないだろう」とC氏に言われましたので、佐賀まで足を伸ばしました。特急だと1時間ほどで行けるんですね。 その佐賀に行ったわけですが、地方経済の疲弊を再認識できた気がします。長崎も長期の不況にあえいでいるのは間違いありませんが、一応、観光資源に恵まれているし、市内を走る路面電車が中心街を活気づけているように思います(市電の走る町はどこもゆったりとした印象を受けます)。佐賀は、はなわがネタにして儲けたようですが、駅前のメインストリートは寂れ、貸店舗の看板が目立ちました。中心市街地の商店街は、他の地方都市同様、郊外の大型ショッピングセンターに客を食われています。夜の繁華街もほんの一角を除いて寂しい限りでした。無理して造った佐賀空港も予定していた東京直行便も少なく不便で、客を福岡に取られ閑古鳥が鳴いている状態のようです。NHKの特集でもやっていましたが、景気回復なんてどこの話し?という感じです。これもやはり構造改革の「短期的な」痛みなのでしょうか。夜明け前の産みの苦しみなのでしょうか。不況にあえぐ日本で、この程度の現状分析を引き出すような経済学なら、聴衆を失って当然です。 日曜日、佐賀大学内を案内してもらいながらC氏といろいろ話しました。中心市街地の活性化などは、市がマンションを分譲してもダメ。どうせやるなら、賃貸の市営住宅をドカンと何棟か建てたらどうか。一等地に市営住宅なんて、と判断するなかれ。空洞化し寂れていく一方の中心市街地を単発的なイベントで活性化させるなんて無理。中央とのパイプを強めて補助金もらっても無理。補助金もらって学生に何かやらせても無理。市営住宅を建て、まずは定住者を増やすこと。その際、保育園を併設すること。市営住宅の住民だけではなく、オフィス街で働く人の需要もあるはず。そして、高齢者センター(高崎市なら長寿センターですね)も中心部につくる。定住者を中心に人が集まれば、その周辺で様々なサービスへの需要が高まる。こんなシナリオ、どうですか?前夜、佐賀大学のT先生と飲んでいた時もこんな話しをしました。事は簡単ではないでしょうが、何のビジョンもなく、ただただ霞ヶ関の計画に乗っかるよりもいいと思いますよ。 人の集まる町。子育てのしやすい町。地方都市活性化にとって、ひとつのキーワードであると思います。わが高崎市は給食がいまだにセンター方式ではなく、各学校単位で作っています。栄養士さんがいて、給食技師さんがいます。地場でとれた食材を使って、作りたての暖かい料理を子供たちは食べています。こうした体制で食中毒、O157への対応も考えようとしています。他の自治体は前橋を含め、センター方式です。たしかに学校単位の給食づくりは、若干コストはかかります。でも、まさか自治体合併を機にこれを変えるなんてことはないでしょうね。周辺自治体の「事情」に合わせて。合併で効率化させるべきところは他にあります。ここは変えちゃダメ。効率化して浮いた分で、どんどんと都市の「育てる力」を上げていく。30人学級なんかも良いんじゃない?新卒の若い教師と、免許持ってる、社会経験豊富な人材を独自にたくさん集めましょうよ。 長崎、佐賀で町を眺め、いろいろな人と話をして、他愛のないことを含め、いろいろなことを考えました。Cさん、本当、お世話になりました。空港までの途中で立ち寄った武雄温泉もよかったです。皆さんによろしくお伝えください。

メッセージ
予備校【新加藤派顧問】
(2004-06-08 15:21:00)

 矢野師には、次回の『梁山泊』で、自身の予備校体験を思う存分語っていただきたい。戦争体験が多くの知識人の戦後思想を規定したように、矢野師にとっては、予備校体験がその後の生き方を大きく規定しているように思われる。それを解明するためにも、まずは自分自身で、浪人体験の衝撃を語っていただきたい。それを聞き出すことが、室井君と宮崎君の課題である。



無題【管理人】
(2004-06-08 00:15:00)

現地で矢野先生と一緒になった、MゼミOさんの写真を添付します。どうもありがとうございます。



RE:【O】
(2004-06-08 12:20:00)

サファイア・プリンセス(旧ダイヤモンド・プリンセス)じゃなくてすみません(笑)。



すまん、また予備校ネタや【矢野】
(2004-06-08 09:19:00)

 「新加藤派顧問」氏がまた反応するかもしれませんが、九州大学のIさんも同じ予備校のクラスだったことが今回判明しました。佐賀に行くための特急かもめの時間待ち。駅で出くわした学会関係者と少し話し込んだのですが、ひょんなことから九州産業大学のOさんの話しになり、Iさんも「私も実は・・・」ということになったわけです。何だか不思議な感覚になりました。二十数年前は、同じ教室で英語のO先生の講義に聴き入っていたわけです。