高崎経済大学同窓会の掲示板に、「思い出の地~高崎~を訪ねて」と題する次のような投稿を見つけました。お書きになったのは、徳島県のNさん(1968年経済学部・経済学科卒。所属サークルはESS)。・・・・・・・・・・・・・・・・・ 健康なうちに訪ねたい――そんな気持ちから、暑いさなかの8月18日と19日の2日間、家内と2人で高崎を訪ねました。 卒業以来42年経過して初めての訪問。 木造の古い駅舎が、駅ビルに変わり、大学周辺の桑畑は、住宅街に変貌を遂げ、大学構内の木立は、大きく育ち、構内を散策する老夫婦を、炎天の日差しから優しく守ってくれました。 先ず、駅から徒歩15分位の“北通町14”に在った下宿を訪ね、驚いた事に、42年前の建物が、そのまま廃屋となってそこにありました。何か(おばちゃんが)私が訪れるのを待っていてくれたかの様に――Nさん!お帰り!って―― 次に、バイトでお世話になった“うなぎの銀直”を訪ねましたが、当日は定休日。更に、よく通った喫茶“あすなろ”を訪ねましたが、廃業したのか?見つけられませんでした。 最後に、“大学50年史”と“同窓会名簿”を購入する為、大学の同窓会事務局を訪れました。学生時代の昭和39年~43年が何だったかを知る為に、――帰りの電車の中で50年史を読みました。真面目で、真剣な、そして葛藤の日々だった。 驚いた事がもうひとつ、50年史の中の数少ない学生のスナップ写真の中に、若い自分の姿を見つけました。家内に見せると“高崎に来て良かったね”の一言。 ともあれ、こうして若い日の思い出の地を訪ねた旅が終わりました。 先輩、同輩、後輩の皆さん!ご無沙汰しています。お元気ですか?小生は、仕事で11回の転居を重ね、やっと2年前に郷里徳島へ帰りました。・・・・・・・・・・・・・・・・・ Nさんは願いが叶い、こうして高崎を訪問されたわけですが、行きたい、行ってみたいと思いながら、卒業後、一度も高崎を訪れたことがない。こんな卒業生は数多くおられると思います。そんな卒業生の方々の思いに応えるためにも、「ホーム・カミング・デー」を開催し、高崎訪問の「きっかけ」を作るべきだと思います。「行きたい」という思いの背中をそっと押してあげるために。 2012年、創立55周年というひとつの節目。“Go! Go! 高経大”と銘打って、ホーム・カミング・デーを実施してみてはどうでしょう。学生の打ち上げコンパじゃありませんから、今日相談して、明日実施、なんてわけにはいきません。2月、3月に、今年6月の同窓会総会に合わせて「ホーム・カミング・デー」を実施するぞって号令をかけても、そんなの無理に決まっています。大学で一度も開催したことがないホーム・カミング・デーを実施するとなれば、準備期間が必要。予算も必要になるでしょう。創立55周年まで、もはや2年を切ってしまいましたから、今から全力で準備して、ギリギリ間に合うかどうか。 この提案、実は非公式には、あちこちで話したことがあります。具体的な動きにはなっていませんけどね。 ホーム・カミング・デー開催の意味と意義については、拙稿「地方公立大学にとっての卒業生の重要性―ゼミを媒介としたネットワークの形成」(高崎経済大学附属産業研究所編『地方公立大学の未来』日本経済評論社、2010年、所収)でも述べたとおりです。今や日本の各大学では、ホーム・カミング・デーが年中行事としてしっかり根づいています。大学と卒業生の、そして卒業生同士のネットワークの重要性を、大学組織として認識しているからです。したがって、大学をあげて、ネットワークの形成に取り組んでいるのです。 ホーム・カミング・デーの意味と意義を理解し、本当に開催する気があるのなら、大学と同窓会の両組織にプロジェクトチームを早急に立ち上げ、ただちに準備にはいるべきでしょう。卒業生は2万7000人。「きっかけ」を待っている方々は全国各地に大勢おられると思います。 ホーム・カミング・デーの開催がなるかどうか。しかるべき立場の人たちの具体的な動き次第です。 Nさんの書かれた「うなぎの銀直」は今でもあります。群馬交響楽団を育んだ喫茶店「あすなろ」は残念ながらなくなりましたが、高崎は、昔から文化と若者を育てる町だったのでしょう。