昨日は居酒屋「こむぎ」で、卒業する26期生が謝恩会を開いてくれました(2次会は居酒屋「ゆうた」)。1期生からずっと続く恒例行事。というか、1期生が始めてくれたので、翌年以降、恒例行事になったのでしょう。以来、四半世紀以上にわたり、謝恩会は「ゼミとしての卒業式」という位置づけで続けられてきました。 謝恩会の日までに、卒業論文集『経済学研究年報』と文集『梁山泊』を完成させ、私からの卒業記念品を準備する。それらを謝恩会の席上、卒業生一人ひとりに手渡し、写真を撮る。卒業生も毎年、記念品や色紙、花束などを用意してくれており、学生としては最後の酒席を指導教員・同期生と共にする。 言葉にするとこれだけのことです。でも、ゼミにおける様々な営みを通じ、みんなで共有してきた時間が長い分、謝恩会は、いつも独特の雰囲気に包まれます。 昨日の謝恩会も楽しいひと時でした。去年に続き、2次会ではシャウトしちゃいましたけど、最近あまり学生とカラオケに行く機会がないので、最後に「合唱」できたのは良い思い出になりそうです。 明日は卒業式。「じゃ、また」と別れると、次に会うのは数年後、ということもあるのが社会人。スケジュール調整は学生時代のように簡単じゃないですからね。それでも矢野ゼミには2年に1度のゼミ総会があります。今年はゼミ総会の年。9月22日(日)、高経大での開催を予定しています(前日は高大コラボゼミの成果発表会)。うまくスケジュールを調整し、またみんなで会いましょう。それまで、みなさん、お元気で。 毎年似たようなことを書いていますが、昨日手渡した卒業論文集には以下のような序文を載せました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                    『経済学研究年報』第26号刊行に寄せて 高崎経済大学経済学部では「演習」(ゼミナール)が必修であり、「少人数教育」を標榜し実践する制度的基盤となっている。東京あたりのマンモス私学の文系では、必修にしたくともできない。担当スタッフも物理的施設も、経営的にまかないきれないからである。本学経済学部では、2年次後期から始まるゼミが「売り」である。ゼミを通じて専門的研究を深め、人間関係を培い、さらには就職戦線に挑む。 ある人によれば、「ゼミ」こそは、もっとも大学らしい「知の形式」である。ゼミ活動を充実させることによって、大学を「仲間・塾・学校の三段階を同時に持ち、自由闊達な議論と、底堅い基礎教養の習得と、優れた設備による専門教育の備わった制度」にすることができる(船曳建夫『知のエスノグラフィティ』有斐閣、2005年)。 まさに我が意を得たり、という指摘である。ゼミこそは、大学教育の命。そう信じて、長年、ゼミを仕切ってきた。卒業論文は多岐にわたるゼミ活動の集大成であるが、今年新たに26期14名が論文を書き上げた。これで私は合計349名の卒論を読んだことになる。 誰ひとりとして脱落者を出さなかった26期生は、ゼミで学んだ誇りを胸に、堂々と卒業していってほしい。日本には星の数ほど大学があり、経済学部も山ほどある。でも、これだけの論文を書いて卒業している経済学部生はそれほど多くはない。そして、ゼミ活動に励んだ仲間全員の卒業論文を1冊にまとめ、自分たちで貯めたお金で印刷・発行している学生となると、さらに少ない。この卒業論文集は、君たちの汗と努力の結晶であり、ある意味で「学位記」以上に意義深く、また尊いものである。卒論執筆に関しては反省点もあるだろうが、矢野ゼミで学んだ証である『経済学研究年報』第26号を手に、自信を持って社会に船出してほしい。 毎年、卒業論文集の序文で書くことだが、何かの縁でやってきた高崎の地、たまたま入ったゼミの2年半で培った人間関係はこれからも大切にしてもらいたい。君たちは、このゼミに入らなかったならば、ありえなかったであろうことを経験し、学んだはずである。ゼミ在籍中は、よく飲み、大いに語ったことだろうが、ゼミをきっかけとした人間関係、そして議論、勉強の場は、これから先も続く。 本学経済学部では、確かに基礎演習、演習Ⅰ、演習Ⅱが必修であるが、これらの合計10単位を揃えることと、矢野ゼミで様々な活動に取り組み、卒業論文を完成させることとはまったくと言っていいほど意味が異なる。先に引用した船曳の言葉を借りれば、ここで得た仲間とは、「ゼミで醸成された信頼の中で永遠に問答をやりとりする」。仕事にとって、人生にとって、生涯にわたり「批判する同伴者」となり、一生を通じて成長する過程、プロセスを共有することになる。ゼミというのは、大学のある時期、ある教室という特定の時間と場所にあるのではなく、持続するバーチャルな時空の中に生きていくもの。矢野ゼミもそうしたゼミだと思う。 こうしたゼミの本当の意味に気づくのは、卒業後、何年も経って、実社会の厳しさ、荒波にもまれたあとのことだろう。君たちはこのゼミで有形無形の大きな財産を得た。どんなゼミで、誰と、何を、どのように学んだか。「大学名」以上に重要だ。何年か経てば、みんなで過ごした時間の意味が分かるはずである。 これからも、いろいろなことがあるだろう。楽しいことばかりじゃない。でも、くじけずに生きぬこう。このゼミで卒業論文を書き上げた君たちには、思い立ったとき、たまに帰れる場所がある。みんなが笑顔で迎えてくれる。幸せなことだ。