安倍政権の暴走が止まりません。一般市民の雇用、生活への影響を考えれば、アメリカ大統領選の両候補でさえ「反対」を表明せざるを得ないTPPの関連法を今般の臨時国会で強引に通そうとしています。非常に正直な「農林水産」大臣(!)は、まだ紛糾するような場面でもないのに「強行採決」を口走りました。発言について陳謝しましたが、政権内の空気を早めに伝えてくれて大変よかったです(もっとも、安保関連法を含め、アベノポリティクスのこれまでのやり口を見れば、彼に口走っていただかなくても、分かりきったことではありますが)。 世界のGDPの4割を占め、人口8億人を擁するアジア太平洋の12か国に自由で公正な巨大市場ができれば、日本にとっても14兆円の経済効果、80万人の雇用増加が見込まれる。政府は以前からこのように主張し、TPPの早期締結・批准を訴えてきました。そして、交渉過程を含めTPPについて情報開示を進めぬまま、臨時国会での強行採決を画策しています。外交交渉を理由に情報開示を進めないというのは、帝国主義時代の秘密外交を彷彿させます。 TPPで最大の問題は、ISDS条項に端的に見出せるように、GVC(グローバル・バリュー・チェーン)の効率的運用を図ろうとする多国籍企業の利益が最優先され、民主主義的手続きを経て各国が作り上げてきた様々な法律・制度がないがしろにされるということです。TPPについては、「アメリカ対日本」というよりは「多国籍企業対市民社会」「経済グローバリゼーション対民主主義」というのが見逃せない図式であり、だからこそ、アメリカでも日本でも反対論が出てくるのです。  かつてOECDが多国間投資協定(MAI)締結に向けて動き出したとき、多国籍企業の自由ばかりが尊重され、市民生活が脅かされる危険性を指摘する声が世界中で沸き起こり、MAI交渉は打ち切られました。都留重人氏は「現代帝国主義分析のために」という論文(『経済』1998年12月号)でMAIへの反対を明確にしていましたが、日本の主流派経済学者は、今も昔も、滅菌加工したうえで「グローバリゼーション」という言葉を使い、その効用を謳います。当時、MAI締結に向けて日本が積極的な役割を果たせと主張した人たちは、TPPについても同じセリフを繰り返しています。しかしながら世界を見渡せば、スティグリッツ、バグワティ、ロドリック、オカンポなど、TPPに反対する経済学者が大勢います(自民党情報通信戦略研究会に遠慮する日本の「マスゴミ」はまともに報じませんが、今年来日した時、スティグリッツは消費税増税に否定的見解を述べただけではなく、TPPに対し明確に反対姿勢を示しました)。 よく言われるように、「自由貿易」について定める協定文書なら数行あれば足ります。関連文書を含め6300頁にもなるTPP協定は、アメリカの多国籍企業が数百人の弁護士などを雇って作り上げた、事細かな「ただし書き」だらけで、多国籍企業による利益追求活動を阻害する動きを阻止・排除するものとなっています。「あまり」にもひどい日本の交渉担当者は、腰の引けたフロマンを一喝しながら合意にこぎつけたのだ、と胸を張っていましたが、TPPの協定正文は英語、フランス語、スペイン語しかありません。日本語の協定正文がないのです。このことだけをとっても、TPPがいかに「国益」に反するものか分かります。TPPが各国で批准され、発効し、実際に運用され始めたとき、日本語の協定正文がないことの不利性が一挙に露呈することになるでしょう。 最近、元農林水産大臣で弁護士でもある山田正彦氏が各方面の支援を得ながら協定文書の内容を検討し、『アメリカも批准できない協定の内容は、こうだった!』(株式会社サイゾー、2016年、1500円)を出版しました。中身そのまんまの書名ですが、TPPを議論する際の必読文献だと思います。 特定秘密保護法制定、武器輸出解禁、ODA大綱の見直し、集団的自衛権行使容認、安保関連法の一括強行採決、避難計画・廃棄物処理計画なき原発再稼働・核燃サイクル事業維持、辺野古軍港化をはじめとする沖縄の軍事基地強化(沖縄でのヘリパッド建設反対運動弾圧の中では、ついに官憲が市民に対し「土人」「シナ人」との暴言を浴びせました)、そしてTPP強行採決の動きなど、安倍政権の暴走は止まりません。また天皇生前退位問題や小池劇場に隠れ気味ですが、政権の暴走に関し、私がさらに危惧してやまないのは、「軍産学連携」による「軍事経済化」の進展です。 1950年、日本学術会議は、第二次世界大戦時の反省から「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」と決議しました。しかしながら、この決議は今や風前の灯火です。日本学術会議の現会長・大西隆氏は、「私見」と断りながらも「個別的自衛権のための基礎研究なら許容されるのではないか」と発言しているのです。 2013年、安倍政権は「2014年防衛大綱」と「安全保障戦略」を閣議決定し、大学・研究機関との連携充実による「デュアルユース技術」(防衛にも応用可能な民生技術)の積極的活用に努めることを明記しました。そして2015年、防衛省は、競争的研究資金として「安全保障技術研究推進制度」を創設し、各大学・研究機関に応募を呼びかけましたが、研究者によっては、この資金は魅力的なものと映るかもしれません。 文科省による国立大学運営費交付金は、2004年の法人化以来、年々減少し、地方国立大学を中心に教育・研究環境が悪化しています。実用性を求める文科省は、(今年のノーベル賞受賞者の大隅先生が苦言を呈されているとおり)基礎科学研究を軽視し、2015年6月8日の大臣決定「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」にあるように、「文系の軽視・切り捨て」を鮮明にしています。兵糧攻めにあう大学は、補助金や競争的資金を獲得するため、文科省の方針に従った大学「改革」を進めたり、真理を追究し社会に貢献するという大学の理念に反する可能性もある金(=毒まんじゅう)にも手をつけざるを得ない状況になってきています。背に腹は代えられないというわけです。 上記「安全保障技術研究推進制度」の予算は2015年度は3億円でした。2016年度は倍増されて6億円になりました。そして何と2017年度予算については110億円が概算要求されています。この予算が全額つくかどうかは分かりませんが、安倍政権ですから、少なくとも現行予算の10倍以上の額になるのは間違いありません。日本の政治権力は時間をかけて大学を兵糧攻めにして、権力の望む研究に大学を駆り立てようとしてきました(たとえば、国立大学が法人化された2004年度から防衛省技術研究本部と大学・研究機関の「技術交流」開始!)。安倍政権となり、いよいよそれが本格化しています。大西会長の言動からして、日本学術会議の「お墨付き」も出そうですし、研究環境の悪化する大学の先生たちは「安全保障技術研究推進制度」に手を出さざるを得なくなるでしょう。池内了氏は、この状況を「研究者版経済的徴兵制」と呼んでいますが、けっして大げさな表現ではありません(『科学者と戦争』岩波新書、2016年、140頁)。 非常に危うい状況です。自衛のためなら核保有も認められると主張する議員・大臣がいるわけですから、「シビリアン・コントロール」など望めません(首相も防衛相も「南スーダン・ジュバでは、武器を使って殺傷あるいはモノを破壊する行為は起きているけれど、法的な意味における戦闘行為ではなく、衝突だ」と詭弁を弄する今日この頃です)。安倍政権内では、軍産学共同がデフレ脱却に向けた「成長戦略」の一環になっているのかもしれません。 大学・研究機関の置かれた状況など、一般市民にすぐさま影響するわけではないと思われるかもしれません。でも今のままでは、長期的可能性として、日本の大学・研究機関での研究が基礎となる武器・兵器により戦争が拡大したり、まさにその武器・兵器により日本人が殺傷されるような事態が生じたりすることもあるでしょう(2014年7月、PAC2のカタール転売問題で明らかになったとおり、防衛装備移転三原則は「ざる」原則です)。 RCサクセションに「空がまた暗くなる」という曲があります(RCサクセションのCD『KING OF BEST』に入っています)。作詞・作曲は忌野清志郎です。無関心のままやり過ごしていると、あるいは、仕方がないと手をこまねいていると、いつのまにやら、また暗い時代がやってくるよと清志郎は歌います。  おとなだろ 勇気をだせよ おとなだろ 知ってるはずさ  悲しいときも 涙なんか 誰にも見せられない   ・・・・・・・・・・・・・  悲しいときも 涙だけじゃ 空がまた暗くなる You Tube でも聴けます。清志郎と斉藤和義が絡んで歌ってます。空がまた暗くならないようにすることを願って。このままじゃ、確かに「空がまた暗くなる」でしょう。【最近いただいた本】☆大島堅一・高橋洋編著『地域分散型エネルギーシステム』日本評論社、2016年、3000円; 再エネというと、とかくコストが問題になるが、原発のコストが高いことは、大島さんの研究をはじめとして、もはや立証されている。でも、再エネなら何でもありで、気合でうまくいくというものでもない。巨大資本が地域経済も景観も無視して、メガソーラーを敷設しまくればよいわけではないし、固定価格買取制度を持続可能なものにしなければ、良い試みも長続きしない。 エネルギーの地産地消、地域独自の財源確保、エネルギー民主主義を確立し存続するには、どのような制度設計をすべきなのか。多方面から論じている。