新首相の所信表明演説、代表質問や予算委員会での答弁を見聞きしていると、前政権の体質がそのまま受け継がれるとともに徹底されていると感じます。官房長官時代の経験も生かしつつ、こうまで徹底されると、「スガスガしい」とさえ言えます。「日本学術会議会員任命拒否問題」に如実に表れているように、「2012年体制」に特徴的な「改竄」「破棄」「隠蔽」「論点逸らし」といった体質は、今後ますます際立つことでしょう。
 ネットの「Newsポストセブン」でコラムニストの石原壮一郎氏は、新旧二人の首相から、論点をずらすための「コツ」を学び取ろうと言っています(2020年11月2日配信)。大人の社会で「風向きの悪い立場に追い込まれて」しまった良い子のお友達は「3つのコツ」をぜひ見習うように、とのことです(もちろん、皮肉です)。

 その1 「そもそも論」を持ち出して対象全体を悪者にする
 その2 支離滅裂でも何でもいいので問題ないと言い張る
 その3 事実無根でも何でもいいので適当な理由を付ける

 新首相は、「総合的かつ俯瞰的観点」だの、「そもそも名簿を見ていない」だの、「多様性」だの、「旧帝大に偏っている」だの、「前例にとらわれない」だの、「正直言ってかなり悩みました」だの、アベノミクス「三本の矢」のごとき上記「3つのコツ」を頼りに、批判をやり過ごし、国会答弁を乗り切るつもりです。国民の税金から巨額の歳費を受け取ってきた割には、国民をなめきっていますね。
 「スガスガしさ」漂う新首相は、10月28日現在、約500の学協会が抗議声明を出しているにもかかわらず、なぜ6人の任命を拒否したのか、「理由」を明らかにしません(日本のマスコミはあまり報じませんが、欧米先進国の科学ジャーナリズムでは批判、そして懸念の声が上がっています)。法律違反の可能性が指摘されているにもかかわらず、壊れたレコードのように(「昭和な喩え」で済みません!)「法律違反との指摘は当たらない」「個別人事についてのコメントは差し控える」の繰り返しです。確かに、壊れていますね。
 ジャーナリストの津田大介氏が『朝日新聞』の「論壇時評」で、「日本学術会議会員任命拒否問題」について論評しています(2020年10月29日朝刊)。500学会の抗議に目を通したうえでのコメントですが、そこで「イタリア学会」の抗議声明に言及しています。私も早速、声明文を確認してみました。 そこでは、スガスガしく野卑で粗雑な政治家に対し、ギリシャ・ローマの史実や思想にも言及しつつ、しっかりと抗議の「理由」が提示されています。スガスガしい政治家は、事を軽く考えているかもしれませんが、イタリア学会の抗議声明では、「説明」をしないで批判勢力を黙らせることがいかに反民主主義的かということが、(津田氏の表現を借用すれば)「流麗な文体」「豊かな文学的想像力にあふれる」文章で述べられています。 こうした抗議の声は届くでしょうか。血税を投入している機関であれば、お国の役に立つ研究、軍事力を高める研究、すぐに儲かる研究をやれ、という頭しかないような方々にとっては、イタリア学会会員も日々いそしんでいるはずの人文・社会科学など、個々人が趣味として細々とやっていろということなのかもしれません。
 現代日本のスガスガしい政治家だけではなく、今般の事態は、権力一般にまつわる、ある意味、「常態」なのでしょう。歴史的に権力者は、こうしたことをやりがちです。手元に歴史の教科書があるよい子のお友達は開いてみるとよいでしょう。
 たとえば「焚書・坑儒」って、聞いたことがありますよね。秦の始皇帝が行った愚策として語り継がれています。教科書では「儒者が始皇帝の改革に批判的であるとの理由から、前213年、医薬・占い・農業以外の民間の書物を焼き払い(焚書)、翌年には儒者など数百人を穴に埋めて殺した(坑儒)とされる事件」との説明が一般的です。権力者は、紀元前の昔から、意に沿わぬ思想や学者を弾圧し、すぐに役に立つ「実用的な」学問を推奨していたのです(以前、下村という文科大臣が発した通達に内包される「文系不要論」を想起させます)。歴史に名を残す始皇帝ほどの大物ではないにしても、現代日本のスガスガしい政治家も、悪魔のささやきに身を委ね、権力者一般が陥りがちな手口で統制を図っているようです。 ただし、現在は、とりあえず民主主義の時代です。まだ何とかなるはずです。でも大半の国民が現在進行中の事態を、一部の特権的な「学者センセイ」の身に降りかかっている、自分とは無関係なこととやりすごしていたのでは、「空がまた暗くなる」でしょう。「丸山真男をぶん殴りたい」の気分で事態を放置すれば、めぐりめぐって自分の首を絞めることになるでしょう。