コロナショック。こうした状況なら、本来別の形で話題にならなくてはならない、あの大学が「らしい」形で週刊誌のネタになっています。安倍トモが作った加計学園・岡山理科大学獣医学部の推薦入試で、韓国人留学生が全員不合格とされた問題です。安倍ファミリーの文科大臣が調査するとのことです。韓国でも注目されているようですが、行方を見守りましょう。 また昨日は、新型コロナウィルスの感染拡大を受け、4月に予定されていた習近平の来日延期が決定されました。結論そのものは、まあ、想定の範囲内でしょう。 中国側からすれば、全人代の開催を延期するほど感染症が蔓延し、いまだ完全には終息しない中、国家主席が中国を離れ、日本に向かうことなどできないでしょう。下手をすれば、体制の根幹が揺らぎかねません(今回の中国発コロナショックをソビエト体制崩壊前のチェルノブイリ原発事故になぞらえる識者もいます)。日本でも、4月と言えば、感染のピークとの予想もあるし、ウィグル族迫害など人権問題で世界から批判される人物を国賓として招くのはいかがなものか、という批判が保守派を中心にありましたから、新型コロナウィルスの感染拡大は、双方の面子を傷つけることなく、「国賓としての来日」という微妙な問題を延期・回避するための格好の口実を提供したのかもしれません。 「口実」と言えば、中国からの旅行者シャットアウトなどの強い対応に出られなかった理由を、習近平の「国賓待遇来日問題」に帰する政府関係者もいるようです。国家主席を国賓として招く以上、その国からの旅行者を完全に締め出すような措置は、外交儀礼上取れなかったのだ、仕方ないじゃないか、というものです。政府の対応に対する「後手」だ、「悪手」だという批判を、習近平来日問題まで持ち出して、かわそうということかもしれません。政府は、来日延期の決定を経て、中国、韓国からの人の流入に、これまで以上に厳しい制限をかけることを発表したわけですが、国内感染がここまで進んでいる中、どれだけ効果を持つのか、私には分かりません。これも、「やってる感」を醸し出すイメージアップ作戦にすぎないのかもしれません。 新型コロナウィルスが、こうして外交、国際交流に影響を与えるのみならず、世界経済にも大きな打撃を与えているのは周知のとおりです。株価は各国市場で軒並み下落し、米中摩擦等で、ただでさえ下振れが懸念されていた世界経済にさらなる低迷圧力を与えています。「打撃は大きいものの、影響は短期的」とみるエコノミストが多いのですが、楽観はできないでしょう。今後の展開次第では、れいわ新選組の政策をパクって、安倍政権が「消費税の一時引き下げ」なんてことをおっぱじめるかもしれません。このあたりも行方を見守りましょう。 コロナショックは身近なところにも影響を与えています。文科省のお達しや各大学の様子を見ながら、高崎経済大学でもコロナ対策を打ち出しています。 3月5日から19日までの2週間、ゼミやクラブなどの課外活動に自粛要請が出されました。学内の教室も貸出禁止です。はまゆう山荘、クラインガルテン、ゆうすげ、牛伏ドリームセンターの宿泊には、高崎経済大学後援会から利用補助券が出て、格安で使えるのですが、「自粛要請」が出た関係で、この期間中は補助券が利用できなくなりました。 3月25日の卒業式(学位記授与式)は保護者抜きで行われることになりました。時間も短縮される予定です。卒業生を送り出す下級生の音楽センター集合も遠慮してもらうことになっています。春季休業中の学生の海外研修、学内企業説明会も中止となりました。東京のマンモス私大に比べれば、正式決定は遅く、対策の内容は小規模ですが、コロナ対策として、一応の体裁は整えられました。 矢野ゼミの活動にも影響が出ています。3月13日には、東京・八重洲で恒例の就活サポート事業が予定されていたのですが、ゼミ卒業生とも相談のうえ、安倍首相の様々な自粛要請よりも早く、2月21日には中止を決定しました。大企業が社員の安全、業務の継続性をより確実なものにすべく、早い段階で、時差出勤、テレワークを模索し、不要不急の出張や大規模会議・イベントの中止・回避を決定するなか、善意のゼミ卒業生に無理をお願いするわけにはいかないと判断したからです。3月中旬の状況が読み切れない中、ゼミ生を大都会・東京に向かわせるリスクも勘案しました。 自粛期間中にあたるので、3月18日に予定していた矢野ゼミ文集『梁山泊』第27号の印刷・製本日も変更です。今回は、卒業生も数多く寄稿してくれています。現役学生のものと合わせ、結構バラエティに富んだ内容になると思うのですが、安く上げようとすると、何せ人海戦術です。特に製本作業は。都合のつく人に集まってもらう日を3月21日(土)に変更し、今年度卒業生(27期生)への配布に間に合わせる予定です。 今、実施内容を検討中なのは、4月1日・2日に行われる春合宿です。春合宿は、毎年実施しているゼミの恒例行事で、新年度開講に向けたゼミとしての「始業式」であり、3・4年合同で行う輪読の場でもあります。4年(28期)生の就活、3年(29期)生のコラボゼミ、原書講読に備え、今年はリチャード・ボールドウィンの『世界経済 大いなる収斂』を輪読予定です。牛伏ドリームセンターで行う予定なのですが、今後の状況次第では、宿泊を伴わない「プレゼミ」の形にするかもしれません。 同じ釜の飯を食う。裸の付き合いをする。交流の深さは様々な言葉で表現されますが、ゼミ合宿というのはまさに、学年を超えたゼミ生が、同じ屋根のもと、長時間議論し、寝食を共にし、大きな風呂で汗を流す行事です。日頃のゼミ以上に濃厚な付き合いです。だからこそ「もしもの場合」は「リスク」も高めます。こうしたことから、恒例の春合宿の意義や目的はそのままに、少しでも若者たち(とオッサン1人)のリスクを下げるべく、学内で「プレゼミ」を行う可能性もあります。 今のところ、二正面作戦です。どちらにも対応できるようにしてあります。学内は三扇祭実行委員会が、新歓企画で図書館ホール・会議室やほぼすべての教室を(トロール漁船的に?)押さえているので、高経会館会議室を確保しています。今後の状況をみながら、ゼミ春行事の内容を決定します。 3月23日に、27期生による謝恩会が予定されています。春合宿がゼミの「始業式」なら、謝恩会はゼミの「卒業式」です。1期生以来、ずっと続く(1期生がやってしまったから、続けざるを得ない?)恒例行事です。今年も丁重な招待を受けました。 「謝恩会がある」ということは……そう、あのグダグダだった27期生の卒業論文が提出されたのです。卒業論文が整ったのです。しかも全員。締切を延ばしまくった関係で全員提出できたのですが、そのために、「犠牲」も払いました。上製本(ハードカバー金文字の卒業論文集豪華版!)の完成は間に合いませんでした(上製本は手作業のプロセスが残る分、高価であり、また完成に時間がかかります)。でも、何とかレザック版は3月23日に間に合う算段がつきました。 我ながら、お人好しなことに、27期生どもの「出します詐欺」に遭い、締切を何度も、何度も延ばす羽目になりました。おかげでずいぶん長い時間を取られてしまいましたが、全員参加の卒業論文集が完成し、ホッとしているというのも正直な気持ちです。積み残し、除名なんて、嫌なもんです。論文の質、内容にはとりあえず目をつぶりました。矢野ゼミ卒業論文集『経済学研究年報』第27号の完成を喜びたいと、今は素直に思います。 せっかく27期生が招待してくれた謝恩会です。大学が要請した「自粛期間」も過ぎていますので、喜んで参加したいと思います。ただし、矢野ゼミ史上、最大限の注意を払う懇親の場となるでしょう。「小道具」を持ち込み、互いのリスク低下に努めます。どんな小道具かは、当日をお楽しみに。 こぼれ話をひとつ、ふたつ…。 「何でこんなアホ学生のために、人生の貴重な時間を割かなあかんねん!」 卒論集第27号の編集作業に疲れた夜、研究室のパソコンに向かって悪態をつきながら、電源を切る前にメールのチェックをしました。すると、ミネルヴァ書房の編集部からメールが入っていました。アルバート・ハーシュマン著/矢野修一訳『離脱・発言・忠誠―企業・組織・国家における衰退への反応』の増刷決定(700部)との連絡です。8刷です。2005年初版で15年かけて8刷にまでなりました。地道なロングセラー。訳者冥利に尽きます。 「一生懸命やってると、たまには、ええこともあるもんやなあ…」上記悪態を胸の底に落とし込み、静かに電源を切って、研究室をあとにしました。家に帰り、全員の論文が揃った卒業論文集の完成と拙訳書の増刷を、妻と2人、ビールで祝いました。ささやかな幸せです。 4年の後期まで単位を残しまくっていた27期のぼんくらども。だからこそ、卒論への取り組みもお粗末になったぼんくらども。一昨日の判定会議で全員卒業が決まりました。留年となれば、就職が取り消され、600万円を超える「奨学金という名の借金」だけが残ることになりかねなかった学生(日本にバーニー・サンダースはいません!)を含め、全員の卒業が決まりました。家に帰り、全員の卒業を、妻と2人、ビールで祝いました。赤の他人の子どもの卒業ですが、本当にホッとしました。これまた、ささやかな幸せです。

メッセージ
こちらこそ【Y.ゲシュキン】
(2020-03-10 23:33:25)

 下関のAさん、深いですね。社会科学と向き合うなら、今こそ私も襟を正し気合い入れ直しです。
(ご卒業各位)
 私でもさすがにボンクラ筆頭格の自覚あります。20世紀の終わりに先生が卒論指導に下宿までいらしたのに、部屋が酒瓶で埋まっていたので、下宿の共同浴場着替場で指導を受けた伝説のボンクラは私です。
 27期生のボンクラ(?)さん達のこと、偉そうに話題にしてすみません。でもこの話題に会えた六期のボンクラはラッキーでした。オンラインで繋がる威力はすさまじいですね。いい時代になったと思います。
 27期生のみなさん、ありがとうございました。




無題【yano】
(2020-03-11 11:09:50)

あの時は……寒かったです。



卒業おめでとう!【Y.ゲシュキン】
(2020-03-07 20:28:27)

 全員卒論提出できたのですね。おめでとう!
 卒論ハチャメチャなのは、私をはじめ結構いると思います。不景気なのは昔っから。時代は激変してるかもですが、多分それはイギリス産業革命以来、ずっと激変しているまま。
 でも、こんな世の中でも、まっとうに働きたい人間に食わせる飯くらい、いつでもあるはず。
 いつかどこかで、皆さんとお会いすることを楽しみにしています。私が気がつかなかったら、そのときは是非、矢野ゼミ卒業生だと告げてください!



無題【yano】
(2020-03-08 13:08:16)

 ご心配をおかけしました。今後とも、ぼんくらどもをよろしくお願いします。たぶん「ぼんくら」はすぐには治らないと思うので、叱咤激励をお願いします。



無題【下関のA】
(2020-03-07 21:46:46)

昨年の合同ゼミでは、大変お世話になりました。
いつも先生の「研究室だより」を楽しく読ませて頂いております。シビアなこともウィットに富んだ文章で華麗にまとめあげる先生の鋭くも温かい文章はとても魅力的です。
この度は、『離脱・発言・忠誠』の増刷、誠におめでとうございます。
本日、指導教員のY先生に飲み会の席で強く薦められ、新品を購入し、読むに至ったのですが、私も『離脱・発言・忠誠』を読了したところです。
補論、訳者補説、あとがきは勿論、訳注まで読ませて頂きました。
あとがきにありました、「本書で展開されたように、単純ともいえる概念を駆使しつつ、いろいろな場面を照射していくと、社会のあり方に関し、経済学だけ、あるいは政治学だけに依拠していてはみえなかったような問題が明らかになる。ハーシュマンの真骨頂はまさにこの点にある。既存の理論枠組みでは「これしかない」「このようにしかならない」という状況のなかで、「生起しつつある現実」に目を向け、ありうべき可能性の領域を広げようとするのが彼の主張する「ポシビリズム(possibilism)である。」 また、本書ではハーシュマンが「逃げたつもりでも逃げきれない局面があるという議論を展開し、個人の選択を出発点としながら社会的共同性へとつながる道筋を提示したのである。」

という記述には、非常に感銘を受けました。
これを機に、より深く政治経済学を学ぼうと思っております。
最後になりますが、お身体には十分にお気をつけください。先生の、今後のご健勝・ご活躍を祈っております。




無題【yano】
(2020-03-08 13:06:20)

 拙訳を購入いただいたうえ、コメントまでいただき、ありがとうございます。
 オリジナルがしっかりした「古典」であるからこそのロングセラーですが、若い人の知的関心にほんの少しでも沿うことができたのなら、これまた訳者冥利につきます。
 またお目にかかることもあるでしょう。いろいろな壁にぶつかることがあるかもしれませんが、これからも「政治経済学」の研究に励んでください。