11月1日、ついにマクド開店。突貫工事の末、間に合わせました。昨日は開所式らしきものが行われました。後援会や同窓会を含め、大学の偉いさんたち、一部学生団体代表などが招かれ試食会なども行われた模様です。 コーヒーハウス後のあの建物。誰がどうみてもマクドナルドなのですが、「コミュニティハウス」と称するのだそうです。あくまでも財団法人高崎経済大学後援会の所有するコミュニティハウス。そこでの食堂業務をマクドナルドに委託しているという形なんですね。書類上の建前は、このように保たれるわけです。使用料金を取らないまま、高崎市有地において一民間企業に営利活動をさせるという無茶がとうとう始まってしまったわけです(民法、地方自治法の問題はホンマに大丈夫なんやろな?)。 今後はゴミの問題、駐車場問題といったトラブルが出てくるでしょうね。「マクドに食いに来た」と車でやってくる客(学生とは限らず)を、正門の衛視さんはどう扱うのでしょうか。足りないのは、食堂や教室だけではありません。駐車場もまったく足りていません。マクドの客に車を停められては、講義にやってくる専任、非常勤の教員が車も停められないという事態が生じるかもしれません。後援会で駐車場まで借り上げてくれるのでしょうか。 そしてあらためて思ったこと。「景観」には「臭い」も含まれますね。 高原の朝。澄みきった青空。森の緑。鳥のさえずり。目の前には豊かに水をたたえた湖。いい「景観」です。が、そこに脱臭装置の故障した化学工場から出てくる、変な臭いがしてくれば、その景観は台無しでしょう。 大学の正門を入ると、もろ、マクドナルドの「臭い」が鼻をつきます。図書館前まで充満しています。臭いが記憶と結びつく。よくあることです。高崎経済大学に学んだ人、高崎経済大学を訪れた人の記憶に残る臭い。今後は確実に、マクドのあの「臭い」になるはずです。季節によって微妙に違う、ほんのり漂う木々の香り。研究棟に入ると、どこからか運ばれてくるコーヒーの香り。少し古びた書物の臭い。そういったものではなく、ファーストフード特有のあの臭いが大学を、そして大学を訪れた人の記憶を、支配するのです。 「コミュニティハウス」ですか。またもや、この大学に特徴的な、趣味の悪いブラックジョークを聞かされている思いです。父兄からお預かりした2000万円という大金をつぎ込んだ末のこういう「でたらめ」は、いくらなんでも、このへんで終わりにせねばなりません。

メッセージ
無題【矢野】
(2005-11-07 08:58:00)

 サロン派の意見も分からなくはないのですが、反対「運動」などには、いずれにせよ、なりようがなかったとも言えます。すべては2005年6月27日(月)に行われた後援会の理事・評議員会で決められた、ということで押し通し、情報すらまともに提供しなかったわけですから。 「矢野さんの意見に反対なわけではないが、やり方が過激だ」などという人も一部いました。でも、あのやり方のどこらあたりが「過激」なのでしょう。あんな状況・条件で、他にどのような対応があったのか、教えていただければ幸いです。やり方を問題にした人は、「いやあ、矢野さんがマクドナルド出店に賛成さえしてくれれば、協力するのに」という感じなんでしょうね。やり方なんて、どっちゃでもええわけです。そんななか、私とともに質問状に名を連ねていただいた方々の「勇気」と「良識」には、あらためて感謝いたします。もちろん私が感謝するのもおかしな話で、皆さん、それぞれが判断されたのでしょうが。 まあ、いずれにしても、コーヒーハウス=マクドナルド問題なんて、本学における構造的問題の現象形態の一つにすぎません。「理」がどちらにあるのか、という問題ではなく、ガバナンスないし権力構造の問題です。このままやと、この大学、やばいことになりまっせ。すでにやばくなりかけてますが、今やったら、まだ間に合います。



コーヒーハウスへの愛着【新加藤派顧問】
(2005-11-06 02:14:00)

 なぜ、マクドナルド反対の運動は拡がらなかったのであろうか。これは推測であるが、マクドナルド反対を表明した教員も、それほど頻繁にコーヒーハウスを利用していなかったのではないか。反対を訴えた教員の中に、コーヒーハウスに対して人一倍愛着を感じている教員が、はたして何人いただろうか。マクドナルドを批判することではなく、コーヒーハウスを守ることに力点を置いた教員が何人いただろうか。 コーヒーハウスが持つサロンとしての役割に較べれば、昼食の供給能力の問題など些細なものである。そもそもコーヒーハウスに愛着を感じているのは、教員よりも学生であり、何より卒業生である。その学生や卒業生が、マクドナルド建設反対の意思決定に何ら関与できなかったことも無念である。学生や卒業生と、うまく連帯を取ることのできない教員中心の反対運動は、拡がりようがなかった。 コーヒーハウスへの愛着がうすい反対運動は、いきおいマクドナルド批判に走りがちであり、食堂の供給能力の問題や、さほど根拠があるとは思われないマクドナルドの食の安全性を批判する方向へ傾斜してしまった。コーヒーハウスへの愛着やそのサロンとしての積極的な意義が後景に退いてしまい、マクドナルド批判が前面に出てきた時、私は今回の反対運動に限界を感じた。コーヒーハウスが廃止され、マクドナルドの営業が開始されてしまった今、マクドナルドを批判することにどのような展望が期待できるのであろうか。



無題【アンチマクドナルド】
(2005-11-05 23:22:00)

そもそもマクドナルドという低俗なものは、大学という場にマッチしない。私は先日座禅で寺に泊まりこんだ。そこで、日本人が本来もっていた食べ物に対する畏敬の念、感謝の気持ちを学んだ。厳しい環境ではあったがよい経験になった。マクドナルドに代表されるファーストフードは食べ物を徹底的に「商品」にしたててきた。その勢いはとどまるところをしらない。ただ何も考えず「商品」として腹を満たすのでは、人間じゃなくて豚だ。健康面だけではなく、「気持ち」まで壊してしまうファーストフードはせめて大学からは撤退していただきたい。



そういや,三扇祭ですね。【西国住民】
(2005-11-04 13:11:00)

とうとう出来てしまいましたか。建物ほか周りがどうなったのか,写真が見たいのですがどこかでアップされていないかな…



はあ~?【つぶらな瞳のウサギちゃん】
(2005-11-04 11:03:00)

ですね。看板には、マクドいうて書いてありまっせ?その完成後のお披露目しているところは見かけましたよ。 それに、さっそく、お持ち帰りセットが学内に散乱してました。まあ、名前をどうつけようと、本質は変わらない。マックの「店舗」じゃないなら、何も買わずに、そこで勉強会開いてもいいんでしょうね。学生には「マックに来ました、いうて車で構内はいってみな」って入れ知恵しました。守衛さんは、学生乗り入れ禁止の学内規定と市民の経済活動の自由(憲法レベル!)との間で悩むでしょう。 いいのかな?だいじょうぶかな?大学の品格を落とすようなことにならないといいのですけど・・。かなり心配です。



大学内の喫茶店には何が求められているのか?【新加藤派顧問】
(2005-11-04 03:01:00)

 大学には、貴族趣味的なサロンが必要である。1杯100円の珈琲を出すことよりも、1杯700円の珈琲を出すことが、大学内の喫茶店には求められている。本来、大学内の喫茶店に期待される風景とは、ひとりで慌ただしく1杯100円の珈琲を飲むことではない。大学内の喫茶店には、教員と学生、または学生と学生が、多少高価な珈琲を飲みながら、高貴な雰囲気の漂う空間の中で、学問について意見を取り交わす風景が求められている。そのようなサロンとしての役割こそが、大学内の喫茶店には求められている。 私はどちらかというと庶民派を自認しており、エリート臭が漂う空間を嫌悪する。しかし、庶民派の私も、「市中のハンバーガーショップ」と「大学内の喫茶店」は同じ飲食店だとしても、はっきりと区別すべきものであると考える。市中のハンバーガーショップが1杯100円の珈琲を出すことは、何ら構わない。しかし、大学内の喫茶店が、1杯100円の珈琲を出すことを真似る必要はない。大学内の喫茶店には、大学内の喫茶店にしか担うことのできない役回りがあるはずである。その役回りこそが、サロンとしての空間を、教員や学生に提供することである。 例えば、京都大学の学内にある喫茶店は、サロンとしての雰囲気を保ちながら、1杯400円程度で珈琲を出していた。京都大学は資金的にも恵まれすぎており、特殊なのかもしれないが、大学内の喫茶店(サロン)の一事例として紹介する。http://www.kyoto-u.ac.jp/sisetu/11_tokei/salon.htm



高経のアメニティ【総合】
(2005-11-03 16:52:00)

マクドナルド、そしてその臭いが経大生の記憶として焼きついてしまうのはさびしい限りです。マックはどこでも同じ価格・品質という普遍的な価値を売りにしています。我が母校には大学正門前の雰囲気のように、市場価値では表現しにくとも、固有の価値を有する景観やアメニティを大切にしてもらいたいと、いまさらながら思いました。大変遅くなりましたが、先生、学会ではお世話になりました。近いうちに、お礼に高崎へと参りたいと思います。