「世界経済論」は、ここ数年、グローバリゼーションを歴史的に振り返り、南北問題の現代性を浮かび上がらせるというスタンスで講義を進めています。まずは「100人の地球村」の話から説き起こし、『世界開発報告』の最新指標で南北格差の現状を確認します。世界の政治・経済に漂う不穏な空気がいったいどのあたりから醸し出されているのか、数字で確認してもらおうという趣旨です。格差が30年前と比べ、狭まっているどころか、拡大しているという状況を見て、言うまでもないことですが、グローバリゼーションの恩恵が必ずしも平等に行き渡っているわけではないこと、被害を被っている人々も多いという状況を見ていきます。その後、植民地支配・帝国主義の歴史、大戦間期世界経済の動揺・崩壊の過程を概観します。そして、第二次世界大戦後の国際経済体制がどのように作られていったのか、独立を果たした途上国はそうした国際経済体制のなかでどのような状況に置かれたのかを、国際通貨基金、世界銀行、ガットの形成過程とその後の展開、国連貿易開発会議創設とその後のプロセスを例に概説していきます。このあたりまで話すと、だいたい前期は終わりです。 例年、通常講義の合間にビデオ講義をはさみます。今年も、石油採掘地域に住むナイジェリアの少数民族オゴニ族が弾圧されている状況を扱ったものを観ました。民政移管前のナイジェリア軍事政権によるオゴニ族弾圧、石油メジャーの思惑、ケン・サロウイワの運動とサロウイワの処刑等々を内容とするビデオを観て、学生諸君はビデオ講義用のリアクションペーパーを書いて提出してくれました。このビデオは、何年かに一度、ビデオ講義のテーマにしているわけですが(ゼミ卒業生諸君のなかにも観た人は多いでしょう)、学生諸君の感想の中に毎度必ずみられるのが、「でも、私に何ができるというのか」、「何もできない自分がもどかしい」という類のものです。 正直な感想だと思います。そう、ビデオを観たからといって、こうした事実を知ったからといって実際どうなる?先進国で幸せに暮らす自分には何もできはしない。何かできることがあれば、やってみてもいいが、思い浮かばないし。「何ができるのか」と言われりゃ、そりゃ、私だって困ります。医者じゃないし、管理栄養士でもないし、土木技術があるわけじゃないし。つまりは文科系の人間だし。政情不安なところに出向いて、ボランティア活動やれるほど、根性、座ってもいないし・・・。学生諸君の正直な感想を前に、非力な教師は、「おまえは何をやっているのか」と問われているとも感じながら、戸惑います。それでも、「経済学」なるものにこだわり、研究し、大学の教室で学生諸君の前に立っているかぎり、自分なりに、彼ら・彼女らに「伝えたい」ことがあります。 自分にとって一番大事な「身の回り3メートルの世界」。その大事な世界に、国家だとか、大義だとか、国際貢献だとか、公共だとか、地球市民だとかを振りかざしながら土足で踏み込んでくるやつとは断固として闘おう。「身の回り3メートルの世界」をこんな風に否定してくるやつは最近多いし。でも「身の回り3メートルの世界」が大事だからといって、自らの認識・想像力までその中で閉じこめている必要はないし、閉じこめていたのでは、「身の回り3メートルの世界」を、その重要性を、本当の意味で理解できないんじゃないか。その世界を成り立たしめているものを「知る」ことが非常に重要なのではないか。自分にとって重要なこの「身の回り3メートルの世界」が、そこだけでは完結していないということを、物質的条件、歴史的条件を含め、本当の意味で「理解」することが社会科学のテーマなのではないか。そして「身の回り3メートルの世界」が大事なのは、「私」にとってそうであるだけではなく、「あなた」にとっても、「あの人(たち)」にとってもそうであるということを、本当の意味で「理解」することが社会科学の大きなテーマなのではないか。自らの浅学を顧みず、学生諸君には、こんな話しをします。 私たちに何ができるか。一人一人の環境、条件によって違ってくるでしょう。これだっていうものはありません。でもまずは「知る」ことが大事だと思います。知ることによって、もっと深く知ろうということになるでしょう。何ができるかを考えるきっかけになるかもしれません。そして「知る」ことができたら、「伝える」こともできます。でも他には?国家や石油メジャーのような大企業に対して何ができる?一部の学生諸君の意見に私なりの味付けをしつつ、今回はいくつかの具体例、考え方を紹介しました。ラルフ・ネーダーのことも話しました。商品をボイコットするという手もある。一株運動なんかもある。「社会的責任投資」という考え方も広がってきた。先進国であり、一応民主主義を標榜する国であり、世界的企業の本社が数多く存在する日本の国民であれば、実はやれることはいっぱいあるんじゃないか。日本の政府がどのようなものであるかによって、国際貢献の仕方も、開発援助のあり方も変わってくるはずです。 命がけで現地に出向き、難民を救済したり、現状を報告したりする人たちの営為は尊いものです。頭が下がります。でも、皆が皆、そんなことができるような状況にはありませんし、それだけが「私たちにできること」ではありません。たとえば、参議院議員選挙に出かけること。これなんかも、「できること」なのだと思います。無党派層、大いに結構。でも無党派が「無投票派」では世の中、変わらんでしょ。おまえは、こんな選挙に、所詮、ブルジョア社会の茶番劇にすぎない選挙なるものに、何らかの希望を託す気か!そう、託してるんです。選挙がすべてじゃないとは思いますけど。7月11日は参議院議員選挙です。みんな、投票に行きましょうね。 以上、群馬県選挙管理委員会的呼びかけでした。