大晦日のK-1ダイナマイトに矢沢永吉が出てくるというから驚きです。30年前、私が高校生のころなら、考えられなかったようなコラボレーションです。ロックと立ち技系格闘技の融合なんて。 永チャンと空手。私の高校時代を語るとき、欠かせないファクターです(あえてもう一つ付け加えれば、Z会でしょうか)。「欠かせないファクター」がこれでは、今風の青春テレビドラマからすると、何とも汗くさく、色気のない高校生活だったということになりますし、若干の後悔の念は否定しないにしても、本人としてはそれなりに楽しい生活を送っておりました。永チャンと空手はどちらも今に至るまで「生活」に絡んできてますしね。日頃聴く音楽に、その後いろいろ付け加わったものの、車の中ではいまだに時折、キャロルや永チャンが流れます。今に続くウェイトトレーニングやパワーウオーキングの根っこも、空手に行き着くでしょう。正直なところ、現在の自分と高校のころの自分とでは、そんなに変わっていないのではないかと思います。 『巨人の星』や『あしたのジョー』、『空手バカ一代』・・・。梶原一騎原作の劇画にはどれも心動かされ、感動しました。小学生のころ、『巨人の星』のコミックは何度も読みました。漫画なんですけど、これだけはおやじが自分で買ってきてくれました。手渡されるときには、おやじ好みのセリフにはすでに赤線が引いてあった(!)。「おまえ、心して読め!」と言わんばかりに。 高校時代は、だからもちろん『空手バカ一代』です。これも何度も読みました。当時は、ドキュメンタリーだ、ルポルタージュだと思い、「そうか、ブルース・リーもデビュー前には極真にいたことがあるのか」なんて、本気で思っていましたから(『空手バカ一代』については、木村修『空手バカ一代の研究』なる本が出ており、『空手バカ一代』の神話性を見事に否定しておりますので、興味のある方はどうぞ)。関心はあるものの、わざわざ極真の京都道場にまで行くほどの余裕と根性がなく、高校時代は近くで剛柔流の空手を少しばかりやりました(審査を受けず白帯を貫くことで、『空手バカ一代』に対する忠義を立てている気になっていたのが、今となってはお笑いです)。 大学入学後、極真から分かれた芦原会館(『空手バカ一代』で非常にカッコよく描かれていた芦原英幸氏が館長)というところで空手をやり始めましたが、院試勉強を理由に3年の途中でやめました。一時期は、ゼミで先生と話すときの受け答えでも、「押忍!」なんて言葉がたまに出てくるぐらいでしたが、結局、黒帯はとらず自然退会。本学に非常勤講師で来ていただいているK氏を知ることになるのも、このころですね。今から20年ほど前、極真会館が初めて開いた西日本大会に出場していました(極真からの各派枝分かれについては、通の皆さん、ご承知の通りです。今をときめくK-1の正道会館もそのひとつ。石井氏は芦原氏の弟子でした)。 私と同年配では、梶原一騎の劇画の影響を受けた人が多いでしょう。ほぼ同世代といっていい『機会不平等』の斎藤貴男氏も一時期、極真空手にはまったようですし、東大の松原隆一郎氏は、極真から分かれた大道塾空手の師範も務めています。 書き出すといくらでもかけてしまうネタですが、このへんにしておきます。年末の忙しい時期、やらなければいけないことも多いので。大晦日のコラボレーションを楽しみに雑用を仕上げます。永チャンは何を歌うんでしょうか。「鎖をひきちぎれ」か、「トラベリン・バス」か。はたまた「ONLY ONE」か。まずは子供とのチャンネル争いに勝たねばなりません。 そう、そう、最近、森達也『悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」グレート東郷』(岩波新書)を大変面白く読みました。プロレスという生業について、日本の格闘技の流れ、その流れをつくった男たちの生きざまについて、そしてナショナリズムなどについて、関心のある方は読んでみるといいのではないでしょうか。恥ずかしげもなく日常化する国粋主義を中和するにも良い素材です。

メッセージ
公言してるし【矢野】
(2006-01-06 13:17:00)

Z会の件、「顧問」にもお話ししたことがあるはずですけど。



丹念に読むこと【新加藤派顧問】
(2005-12-31 00:54:00)

 専門書を読む時には、重要な箇所に線を引きながら、丹念に読むものである。また、受験生は現代文の入試問題に取り組む時に、「しかし」「つまり」といった接続詞を目印にしながら、筆者の主張となる文章にラインマーカーを引くものである。今回の矢野師の投稿を読むと、矢野師の父は、漫画本にも線を引きながら読んでいたことが分かる。専門書だろうが漫画本だろうが、丹念に読むことこそが本の読み方である。 それにしても気になったのは、なぜ矢野師は高校時代にZ会をやっていたことを、今日まで公言しなかったのだろうか。