明日は憲法記念日です。しかしながら、現況から判断するに、日本国憲法の先行きは暗澹たるものです。現行憲法を「記念」する祝日は、あと何年もつのか。昨今の政治状況は、そんな不安をかき立てます。日本国憲法は今や風前の灯火です。国会における圧倒的な勢力を背景に、政府・与党はこの先、「戦後政治の総決算」を行なう算段です。憲法の「改正」、教育基本法の「改正」、治安維持法を彷彿させる「共謀罪」の制定、等々です。 テレビ・新聞のニュースによれば、米軍基地再編に関する日本側の負担総額は3兆円だそうです。外国の軍隊を本国領に移転する費用を拠出する。積算の根拠も分からない。アメリカ側の言い値の3兆円。総額に関し、政府はうやむやにしており、今後の議論しだいという空気を作り出そうとしていますが、「今後の議論」で、仮にこれが2兆円になったら、首相の「手腕」を、政府の「交渉力」を、褒めちぎるべきなのでしょうか。常日頃からマスコミに露出し、国や自治体の財政赤字を大声で追求している新古典派経済学者・エコノミスト諸氏は、今こそ、こうした税金の使い方を率先して問題にすべきでしょう。 「ごまめの歯ぎしり」にすぎませんが、文部省教科書『あたらしい憲法の話』について、以前「研究室だより」に書いたものを以下に再録しておきます。1947年に中学校の教科書として採用されたにもかかわらず、日本がいわゆる「逆コース」を歩むなか、1952年に姿を消したものです。 J.K.ガルブレイスが亡くなりました。P.ドラッカーに続いて、またもや社会科学における巨人の死去。世界恐慌、世界大戦の「現実」を知る学者が次々といなくなり、格差、差別を屁とも思わぬ者どもが跋扈し始めるとき、「究極の差別」たる戦争を、いろいろな「理屈」をつけながら、日本もまた始めるのかもしれません。すでに半分、足を突っ込んでいますけどね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(再録) 1947年(昭和22年)、文部省は中学校1年生用の教科書として『あたらしい憲法のはなし』を出版しました。新憲法の考え方、理念をやさしく解説したものです。1952年3月まで使われていましたが、その後姿を消しました。 2001年の2月になって、東京の童話屋という出版社が「小さな学問の書」シリーズを発刊しましたが、その1号が『日本国憲法』(英訳および教育基本法付き)で、第2号が『あたらしい憲法のはなし』です。日本国憲法の理念が危うくなるなか、復刊が試みられたわけです。どちらも1冊286円(税別)。こんな時代です。手にとって読んでみてください。以下、『あたらしい憲法のはなし』の第6章「戦争の放棄」のところを抜粋しておきます(原文のままですが、送りがなは省きました)。「みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませか。 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。『放棄』とは、『すててしまう』ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。」 ついでに、今や風前の灯火である「教育基本法」の序文も抜粋しておきましょう。11条からなる教育基本法は、時代が変わったからといって変えねばならないような内容ではなく、普遍的価値・理念が語られているものです。序文にそれが反映されています。「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」 教育基本法のどこを今変えなければならないというのでしょうか。教育基本法「改正」の次に(あるいはセットで)出てくるのは、日本国憲法の「改正」です。

メッセージ
ご検討下さい【新加藤派顧問】
(2006-05-03 01:54:00)

 先週送ったメール、ぜひご検討下さい。



Clear and Present Danger【じんましん男】
(2006-05-02 23:09:00)

今日の新聞によれば、20代のうち「東京裁判」が何なのかわからないという人が90%という調査結果がでていました。ということは、当然、靖国問題が何なのかも基本からわかっていないということになります。もちろん、若者の不勉強だけに問題があるわけではなく、高校教育の現場で、本来よりウェイトが置かれるべき現代史が、時間配分上、丁寧に教育されていないこともあるでしょう。ひとついえることは、歴史の教訓から学ばなくなると、みなが忘れ去ったころに、同じ間違いを繰り返すということでしょう。学校教育法の「改正」の条文も読みましたが、(K師匠じゃありませんが)「あほらしいんで、辞めさせてもらいますわ」といいたくなりました。いったい大学をどうしたいのかまったくわかりません。教育現場をよく知らない「エリート」の考えそうなことだな、という感想を持ちました。(あのまま、法律を適用すると、約半数の教員が違法行為をしているということになるかもしれません。) われわれの踏ん張りどころであることだけは確かです。頭頂部にに降りかかる酸性雨に負けないようがんばりましょう。もちろん、大切なのは、頭に生えているものの「量」ではなく、その中身です、よね?