最終稿の提出がままならぬ人がいたため、編集作業の大幅に遅れていた卒業論文集『経済学研究年報』第11号ですが、その編集作業が先週金曜日に終わり、昨日、印刷に回しました。表紙に金文字の入った上製本、レザック表紙のくるみ製本とも3月22日に出来上がる予定です(S山君、編集作業のお手伝い、ありがとう)。これまで、生協Uポックに依頼した卒論の印刷は、3度(!)不具合があっただけに、きちんと出来上がってくるか、心配な点もありますが、まあ完成を楽しみにしておきましょう。  今回の編集作業は、これまででもっとも「苦痛」を感じるものでした。いつも論文集の序文に書くように、苦痛なのは、自分の研究時間を割いて行うその作業が、ただ単にしんどい、面倒だということだけではありません。もちろんそれもありますが、それ以上に疲れるのは、原稿の出し方(約束した期日・時刻通りに提出しに来ない、遅刻する・すっぽかす、こちらが口を酸っぱくして言っておいた注意事項が守られていない、手元にあるはずの先輩の論文集を見てもいない、等)、あるいは原稿の内容などに、卒論への気合いが感じられない時、こだわりが伝わってこない時、原稿に一字一句目を通すのも、コメントを書くのも、返却時に細かく助言することも、すべて非常に大きな苦痛となります。逆に、気合いやこだわりが伝わってくる論文は、こちらの勉強にもなるし、目の前のこの論文がより良くなるような指導を、拙い自分の力の及ぶ限りではあるけれど、やってやろうという気になるものです。  「孫にも読ませられるような論文にしよう。」今年に限らず、繰り返し言ってきました。その意図するところは次のようなものです。  「二十歳代のある時期、自分が真剣に考え続けた問題に、自分なりの答えを出してから、大学を卒業しようじゃないか。真剣に考えぬき、答えを見つけ出そうとした論文なら、将来、それをふと手に取った君たちの孫にもきっと響くものがあるだろう。自分のじいさんは、若い頃こんなことと格闘し、こんなふうに考えていたのか、と。」  「孫にも読ませられるような論文にする」とは、こういうことです。本気で孫に読ませるつもりで卒論を書いたか。卒業論文が、その問いの立て方、問いの深さ、投入されたエネルギーという点からして、孫に読んでもらえるようなものになったと自信を持って言えるか。気合い、こだわりの伝わってこない論文(それは、上述の通り、論文の出し方と内容で分かります)の通読、指導は苦痛でしかありません。  それでも、11期生たちが最終的に論文を提出し、論文集が出来上がることは、私にとって、ホッとすることであり、喜ばしいことです。あえぎあえぎ書いた人もいますから、分量が足りない人も多く、これまでで最も薄い冊子になります。出すことを優先しましたから、最後は細かな問題点が残された論文もあります。それでも、彼らが矢野ゼミでの存在証明(「同じ釜の飯を食った」証し)を残せたことを、大変嬉しく思います。多くの人に厳しいコメントを書き残し、罵倒に近い助言、指導も行いましたが、彼らは互いに励まし合い、一人の脱落者も出さずに(出る可能性はありました)『経済学研究年報』第11号の完成を待つことができるのです。  編集作業の終わった先週金曜日、S木君の発案で、下小鳥の焼き肉屋に出向きました。急な話で連絡は行き届かず、11期生全員が集まれたわけではなかったのですが、楽しい飲み会になりました。人に気持ちを伝えるのが不器用な連中が、精一杯、私に自分たちの気持ちを伝えようとしてくれました。焼き肉屋も2次会も、私からは一銭も受け取ろうとしませんでした。2次会はビール、焼酎、つまみを買い込み、F君の部屋になだれ込みました。最近は自制しているはずなのに、飲み過ぎました。本当にこいつらの卒業論文集が出る!めでたいこっちゃ!F君のかわいい彼女にも会えたし、楽しいひとときでした。  11期生11人中6人は、これから進路を開拓しなきゃいけません。頑張るんやで。とにもかくにも卒業論文を書き上げた君たち。自信を持って就職活動、試験勉強に励んでください。朗報を期待しています。