新型コロナウィルスの感染拡大が止まりません。そして、武漢からの帰還者、クルーズ船乗客・乗員への対応から直近の休校要請に至るまで、安倍政権の対応がチグハグかつ場当たり的で、国民生活が混乱しています。 もちろん、新型ウィルスへの対応は、誰がやっても容易なことではないでしょう。それでも、これまでの状況から、安倍政権の危機意識の低さ、危機管理能力のなさが露呈したように思います。安倍首相が日頃から口癖のように呟く「国を守る」だの「国民の命を守る」だのというのが、いかに底の浅いものか、あらためて、よく分かりました。 安倍首相は、今まで同様、「やってる感」を出すために、先月末、全国の小中高、特別支援学校に対し、一律に3月2日からの休校を要請しました。いきなりです。専門家会議ですら実施を想定していなかった「全国一律一斉休校」をいきなり要請したわけですから、教育現場や各家庭、企業、自治体、病院などは大混乱です。 学習の機会をどう確保するのか。公平な成績評価をどうすればよいのか。卒業式等、年度末の重要行事をどうするか。共働き家庭は子供をどこに預ければいいのか。休業補償はどうなるのか。子どもの世話に人手を取られた企業・組織はどのように日常業務を動かせばよいのか。テレワークや在宅勤務などというのは、すべての企業、すべての職種で可能なわけではありません。医師、看護師は対面対人サービスが基本。医師や看護師がいなければ、新型コロナに限らず、患者の検査も診察も治療もできないのです。 「立法府の長」を自任し(!)、検察にも手を突っ込んでいる(!)、日本国首相(!)たる自分(ああ、三権分立よ、何処!)がこれだけの要請をするわけだから、国民は危機意識を共有し、すぐさま自分の言うことを聞くはずだとでも思ったのでしょうか。学校関係者への政府・文科省の締め付けは長年続き、日教組の組織率は下がり続け、今や20%ちょっとしかありませんから、教育現場の上意下達は徹底し、保守化も進んでいます。ですから、現場の教員に考える時間を与えず、反論も許さず、上から「命令」することは可能かもしれません。でも各家庭の賛同はそう簡単には得られません。 休校要請の「受け」が悪いと見るや、あくまでも「要請」であって、最終的な判断は自治体に任せるとして、責任逃れのようなことを言い出す始末。サクラ問題、検事長定年延長問題等では逃げ回っていた記者会見をようやく開いたと思ったら、20分の間、プロンプターを一方的に読み上げ、あとは形だけの質疑応答を行って、江川紹子氏らの質問を遮って35分で終了という出来レース。「危機」のさなか、財界のお友だちや自分をヨイショする「文化人」との会食時間はあっても、ちょっと手厳しいことを言いそうなマスコミ関係者はシャットアウト。あきれた記者会見でした。 全国一律一斉休業にどれほど感染拡大防止の効果があるのか。子供を留守宅に置き去りにするわけにはいかない家庭は、学校以上に狭い場所での学童保育に朝から子供を預けざるを得ない。塾に通わせる余裕のある家庭は、子供を朝から開いている塾に向かわせる。高校生に至っては、ここぞとばかり、仲間とカラオケボックスにお出かけ、そして熱唱。ニュースを見ていると、こんな状況ですが、これだと感染拡大防止がどこまで果たせるのか、疑問です。感染拡大防止の効果よりも、学校閉鎖、一律休校の問題のほうが大きくなるように思います。「やってる感」だけが空しく漂います。 「ここ1~2週間がきわめて重要な時期」であり、イベントは自粛してもらうんだそうです(自民党の政治家の資金集めパーティーはやるけどね)。専門家会議ではそこまで言っていないが、一国の首相として、自分の責任(!)で、全国一律一斉休業を要請したんだそうです(どんな責任を取るんでしょうか)。しかしながら、国民生活に多大な不便を強いる決定の根拠は何ひとつ示していないのです。ここまでの要請をするのだから、国民の大多数を納得させられるような、まともなエビデンスでもあるのか。それを質問しようにも記者会見はシャットアウト。国会審議ですら、明らかにならない。 本来実施すべきPCR検査を実施していないことがすべてです。安倍政権による今回の対応への不信の根源はここにあります(森友・加計問題、サクラ問題、日本版IR問題等、「息をするように嘘をつき、まばたきをするようにズルをする」と評される安倍首相のこれまでの言動が底流にあるのはもちろんです)。なぜ、こんな初歩的なことを実施しないのか。新型コロナウィルスに感染しているかどうか、PCR検査によって診断を確定しないことには、治療も入院もできないでしょう。喘息薬が効きそうだ、抗エイズウィルス薬が効きそうだ、と言っても、確定診断が出ないことには使えないでしょう。 「軽症」の場合は家で静かにしてろと言われても、素人にどう判断しろというのか。「軽症」「重症」という「症状」がいったい何に由来するのか、分からなければ、動きようがないでしょう。新型コロナウィルスに感染していた場合、重症化したときには手遅れということになりかねません。昨日あたりからは、「不顕性感染」や「軽症」の若者がウロウロ出歩くのが悪いとされ、若者がターゲットになっていますが、これも、かかっているのかいないのか、症状の原因が何であるのか、特定できなければ、「不顕性感染かもしれんから、家におれ!」「軽症だから、家におれ!」と言われても、「ハア~?」ということになるでしょう。何より必要なのがPCR検査です。治療するにも、在宅をお願いするにも、感染率の算定や感染拡大予測をするにも、感染予防するにも。やれるはずのPCR検査をやってこなかったのがそもそもの問題です。 近日中にPCR検査の保険適用を決定する、つまり、現在よりも幅広く検査を実施できる体制を整えるということをようやく決めたようです(どこまで検査件数が伸びるか、伸ばす気があるのか、現時点では不明ですが)。それにしても、実施可能なPCR検査を、安倍政権は、なぜもっと大規模にやってこなかったのか。 これまでの状況から、素人なりに思いつく原因は2つ。第1に、当初は、新型コロナウィルスの感染を軽く見ていた、つまり危機意識が低かったのではないかということです。うがった見方をすれば、「これでサクラ問題から国民の目をそらすことができる」程度にしか考えていなかったのではないかとすら思えます。WHOが騒ぎ出してからも、いつも通り、勝手に法律の解釈を変えて検事長定年延長に踏み切っています。数に任せ、どさくさ紛れにやりたい放題というのは、この政権の常套手段です。 第2に、東京オリンピックへの影響を懸念したことです。検査をすれば、新型コロナウィルスへの感染者は拡大し、「感染大国・日本」というイメージができあがります(世界的には、すでにできあがっているでしょう。日本、中国、韓国はひとまとめで危険視されるのです。欧米人にとっては、世界史的に有名な「黄禍(yellow peril)」の扱いです)。「感染大国」のイメージがオリンピックの中止、延期、規模縮小、あるいは代替地開催などにつながれば、国家財政、スポンサー企業にとっては大打撃です。  事がここまで進むと、PCR検査に保険を適用し、幅広く実施せざるを得ないということになったようです。どの程度「真面目に」検査をするかによりますが、おそらく感染者の数は、けた違いに増えるでしょう。もはや隠蔽できません。それに備えて、まずは「やってる感」を醸しだしておかなくてはならないというのが今回の全国一律一斉休校要請の本質だと思います。そして、国民の危機意識を喚起し、感染拡大を早期に抑え(かなりの難題です)、東京オリンピックを無事実施することを目指すのだと思います。 ただ、安倍首相の思惑がどうあれ、東京オリンピックは「国民体育大会」ではありません。全世界から代表団が集まります。仮に日本で感染拡大を抑えられたとしても(「アンダーコントロール」のポーズをとれたとしても)、世界的パンデミック(WHOはその可能性を否定していません)となれば、IOCが東京オリンピックの中止を決定するかもしれません。東京だけ、日本だけが安全でも、世界的スポーツイベントの開催は困難なのです。 政府や組織委員会がどれほど否定しても、東京オリンピックには、今や黄色信号が灯っていると考えた方がよいでしょう。東京オリンピックの開催延期、規模縮小も当然あり得ます。観客動員、視聴率の見込める有名選手の出場辞退、来日拒否もあるでしょう(金を稼ぐ機会は他にもありますから)。テレビ局をはじめ、日本の大手マスコミは、オリンピックのスポンサー企業なので、なかなかこれを正面から取り上げませんが、十分あり得る展開だと思います。 安倍首相は「安全保障」に大きな関心をお持ちのようですが、その中に、本当の意味での「感染症対策」はなかったのかもしれません。グローバル化だ、インバウンドだ、観光立国だと騒がしかったのですが、健康で、善良な、大金持ちだけが都合よく日本にやってくるわけではありません。安全保障に関する「金のかけ方」「予算のつけ方」を考え直すべきです。 昨年のサウジアラビア石油施設空爆は、ドローン兵器の威力を世界に示しました。1機たかだか軽自動車ぐらいの価格の武器を飛ばせば、重要施設を破壊できるのです。自律型ドローン兵器の開発が進み、その性能は日々向上していると言われています。こうした状況下、地対空ミサイルシステムのイージス・アショアを、これから数年後に配備完了したところで、「無用の長物」化しかねません。こんなものに数千億円使うなら、「安全保障」のため、別のことに使う方がいいでしょう。 たとえば、「病院船」です。感染症拡大が安全保障にとって大いに脅威であることを見せつけた今般の事象に鑑みれば、日本の安全保障に必要なのは、「空母」ではなく「病院船」ということになるのではないでしょうか。病院船が配備されていれば、今回のクルーズ船の乗客・乗員への対応も、もっとスムーズにできたはずです。 ある試算によれば、それなりの機能を備えた病院船は約350億円かかるそうです。しかしながら、高速船の新造ではなく、アメリカのように中古タンカーの改装であれば200億円程度で済むそうです。軍事評論家の田岡俊次氏は次のように述べています。「昨年まだ十分使えるのに更新した政府専用機「ボーイング777」は2機で940億円。イージス・アショアは別売りのミサイル代や一部の用地取得費などを含めると約6000億円に達しそうだ。辺野古のヘリコプター基地建設には9300億円、18年余も戦いが続くアフガニスタンの治安回復と経済支援にはすでに約7300億円出している。 これらと比較すれば、数百億円で日本人の生命を救うのに役立ち、国際貢献で国の評判も高められる病院船のコスト・パフォーマンスは悪くないだろう」(『AERA』2020年3月2日号)。 頭と金は、使いようです。賢い使い方をしないと、金はいくらあっても足りませんし、ドブに捨てるような無駄をすることになります。安倍政権の金の使い方には、安全保障に限っても疑問を覚えます。国民にとっては、空母よりも病院船のほうが緊急性が高いように思います。 病院船は、今回のダイヤモンド・プリンセス号の一件で初めて注目されたわけではありません。阪神・淡路大震災の時から、そして東日本大震災の時にも、「病院船保有」を訴えてきた政治家がいます。田岡氏によれば、それは、自民党衆議院議員の衛藤征士郎氏です。阪神大震災の状況をヘリコプターで視察し、海上からの救援活動の必要性を痛感した衛藤氏は勉強会を結成し、病院船保有の必要性を検討、東日本大震災後は、超党派で病院船建造に向けた議員連盟を立ち上げました。予算要求もしてきましたが、この動きを安倍政権はまともに受け止めず、今回のような事態に直面しました。個人的な思想・信条に賛同するかどうかはともかく(そして不祥事もあるけど)、国難を直視する政治家が自民党にもいるということは、頭の片隅に置いておきます。 日本が直面する安全保障問題で感染症とともに「現実的」なのが、台風、地震といった「自然災害」です。今後はメガ台風の頻発、東京直下型地震も懸念されています。熊本地震や西日本豪雨などへの対応(赤坂自民亭で飲み会やってたもん!)、そして今回のコロナショックの状況(お友だちとメシ食ってるもん!新聞各紙の「首相動静」を確認のこと)を見るにつけ、首相本人の気合いはともかく、安倍政権では、日本の安全保障は危ういと思います。浜矩子氏が言うように、「愛国」主義と「愛僕」主義は異なります。【最近いただいた本】☆諸富徹『資本主義の新しい形』岩波書店、2020年、2600円; 1970年代以降、進展した資本主義の構造変化を「資本主義の非物質主義的転回」ととらえ、構造変化に対応できていない日本の現状を診断。「社会的投資国家」の必要性を訴える。無形資産こそ利潤創出の中核的要素となっている現状を直視し、「人的資本投資」を進めるべきことを説く。『人口減少時代の都市』(中公新書)の理論的背景説明も盛り込まれている興味深い1冊。