大学の講義・演習で「世界経済論」を担当し、それらしい論文や本も出していますが、日本の「地域経済」に興味がないわけではありません。それどころか、もともと興味は「ありあり」です。最近では、高崎経済大学地域科学研究所の研究プロジェクトや地域貢献事業に関わっていること、地元信用組合の経営諮問会議の委員を務めていることなどから、(世界経済の影響をもろに受けている)地域経済、中小企業への関心をさらに高めています。 昨年は、共同研究を行ってきたメンバーとともに『地方製造業の展開―高崎ものづくり再発見』(日本経済評論社)を出版し、7月には、高崎経済大学創立60周年記念として開催された「高崎市製造業の特性と振興」というシンポジウムでコーディネーターを務めました。10月には、地域科学研究所が主催する「地域めぐり」で、高崎市民による「ものづくり」の現場見学(昭和電気鋳鋼、キンセイ産業、秋葉ダイカスト、牧野酒造)に講師として帯同しました。 信用組合の経営諮問会議では、異次元金融緩和、マイナス金利という状況下、「水のないところで泳げ」と言われているかのような地方信用組合の苦闘、中小企業の苦悩を目の当たりにしています。弁護士、公認会計士、商工会や商議所の専務理事、産業支援機構の理事長にまじり、諮問会議でアドバイザー的な役割を与えられているわけですが、その名に恥じない仕事ができているかというと、誠に心許ないものがあります。それでも、求められてメンバーに名を連ねている以上、それなりに筋の通った、具体的な意見を述べなくてはなりません。 会議では、わずかばかりの研究の蓄積をベースとし、新聞・雑誌の記事や解説、テレビやネットのニュース・番組などで最新情報を得ながら、コメントをしてきました。もちろん、日々手に取る本も重要な情報源であり、アイデアの宝庫です。金融業界志望の学生、金融業界に身を置いている卒業生なら読んだことがあると思いますが、橋本卓典『捨てられる銀行』(講談社現代新書)なども、そんな本のひとつです。 橋本氏の近著『金融排除―地銀・信金信組が口を閉ざす不都合な真実』(幻冬舎新書、2018年)も面白そうです。読了はしていませんが、パラパラ目を通すと、興味深い事例がいろいろと出ています。 異次元金融緩和が続く中、金融からの排除とは、と訝る人もいるかもしれないが、「十分な担保・保証がある企業にしか貸しません・貸せません」という銀行が実は多いのではないか。こうした「金融排除」によって、本来、芽吹くはずのビジネスを枯れさせ、地方の衰退を加速して、自らの首を絞める結果となっている銀行が多いのではないか。排除などしていては、金融機関は生き延びられないぞ、というのが本書の主張です。ただ問題点を指摘するだけではありません。金融排除とは別に、地域に寄り添い、志ある人から信頼を勝ち取って、自らの成長につなげている地銀・信金信組の取り組みが紹介されています。 第三章「見捨てない銀行」では、まず青森県の「みちのく銀行」が取り上げられています。そう、高崎経済大学経済学部卒業生・杉本康雄氏が会長を務める、あの「みちのく銀行」です。詳しくは省きますが、弘前で、三沢基地の元米兵がクラフトビール醸造所を造り、そのクラフトビールを、地元産食材を使った料理とともにレストラン「ギャレスのアジト」で出している、クラフトビールを東京両国「麦酒倶楽部 ポパイ」ほか全国で売り出している、というくだりに接したとき、思わず、弘前在住6期Y君にメールをしてしまいました。「米軍あがり」「聞いたこともないクラフトビール」というだけで、他の金融機関が見向きもしないなか、みちのく銀行が真摯に耳を傾け、融資にこぎつけて事業化をバックアップしたという話です。 第三章の途中には「私は、こういう仕事をするために銀行に入ったんです。今、お客様に感謝される仕事ができて本当に嬉しい」というみちのく銀行員の言葉が紹介されています。綺麗ごとばかりではないのは承知のうえですが、金融機関で働く人、金融志望の学生に届けたい言葉です。 『金融排除』の終章「排除の終焉と協同の時代」では、ホームレスサッカーの日本代表チーム「野武士ジャパン」の監督(本業は日本政策投資銀行員。サッカー監督はボランティア)の話が出てきます。ホームレスが選手として出場する「ホームレス・ワールドカップ」という世界大会があり、これはESGに関心を持つ世界各国の有名企業がスポンサーとなって2003年から毎年開催されているそうです。 「野武士ジャパン」監督の蛭間芳樹氏は、ホームレスサッカーの目的について問われ、「サッカーをやめること、チームを卒業すること」だと答えます。社会から排除された者たちが「サッカーを通じて自助努力、集団行動、協調性、自分が果たす役割、責任感、自立心、仲間を持つことで、社会の構成員として復帰していく。僕らの使命は彼らの居場所づくりです」(『金融排除』268頁)。 どこかで聞いた言葉です。私にとっては懐かしくも感じられるもの。そう、アルバート・ハーシュマン『連帯経済の可能性―ラテンアメリカにおける草の根の経験』(法政大学出版局、2008年)で同じようなことが指摘されているのです。 「サッカーをするとは、家と村の生活にひきこもっている状態を打ち破り、内気な自分におさらばして、より広いコミュニティの一員になるための手段である。…中略…サッカーは人びとを結びつける機能を大いに果たした。サッカー愛好家は、サッカーを通じて、グループ行動、組合組織、教育プログラムのある生活へと導かれたのである。」(『連帯経済の可能性』112-113頁) 『金融排除』は、連帯経済を支える連帯金融について書かれた本とも言えます。「排除」の終焉に向け、「金融」はどのようなものであるべきか。新書1冊で片づく話ではありませんが、深く、重要な問いだと思います。関心のある方は、ぜひご一読を。