6番札所 壺阪山 南法華寺ー壺阪寺ー 本尊 千手千眼観世音菩薩
立派な山門をくぐります。とても広くお寺というより寺院のようです。最初に目に入ったのがなにやら施設のような建物があります。ここは千手千眼観世音菩薩が祀られており、眼病に悩む老人を救済するための社会事業として昭和36年に日本で最初の盲老人ホーム「慈母園」が境内に誕生したのだそうです。

白い大きな仏像が見えてきました。
天竺渡来 大釈迦如来石像「壺阪大仏」、平成十九年にインドから渡来したものだそうです。

左手奥に灌頂堂と手前にあるのが多宝塔です。
石段を上ると本堂に着きました。

「大宝三年(703)元興寺の僧、弁基上人がこの山で修業をしていたとき愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した像を刻んで祀ったのがはじまり。その後元正天皇は養老元年(717)、八角殿を建てて壺を納め、観音像を安置し、壺阪山南法華寺の寺号を与えた」。
その頃より眼病に悩む人を救う観世音として知られるようになったそうです。


三重塔、重厚感と品格、趣のある三重塔は重要文化財です。
ご住職のお話を聞き、本堂に続く八角円堂でご本尊の千手千眼観世音菩薩を拝顔させていただきます。千眼といわれるだけあって眼はぱっちりと大きく見開かれ西洋的な感じです。


本堂横の壁石に彫られた「仏前伝図レリーフ」は釈迦一代記の絵図です。


「明治の頃、失明回復祈願にまつわる沢市お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壺阪霊験記」が巷に大きな反響を呼び、寺への信仰も広がりました」。


盲目の沢市が身を投げ、お里が後を追ったという「お里 沢市の像」と底深い森がありました。身を投げたお里、沢市は観世音によって救われ、沢市の眼は開き、二人の生命は救われたのだそうです。

天竺渡来の石像、高さ20メートルの大観音石像とそこから下りたところに大涅槃像が横たわります。荘厳な空気が漂います。
「壺阪寺は昭和40年よりインドにてハンセン病救済活動に参加し、平成元年には(財)アジア・アフリカ国際奉仕財団を設立し、奨学金事業、学校運営助成事業などなど様々な国際交流を展開しています。多くの石彫文化はこのような日印交流のご縁で招来されたものです」。
大石堂は納骨永代供養堂ですが入ることができます。延べ12万人の日本・インドの人々によって彫刻、壮大な石堂は内側全面に石仏像が彫られ、圧巻な御堂でした。
ここからは北方への視界が開け、万葉のふるさと大和三山奈良盆地を一望できます。また南には桜の名所、吉野山が控えているとのこと、ここはまさに異空間でした。


