善通寺でたっぷりと歴史に浸った後は楽しみにしていた今夜の宿、こんぴら温郷「琴参閣」へ向かいます。
着いたところはまあ、なんてステキ~
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館内には備前焼の立派な壺があちらこちらに展示されています。 
 
 
 
 
 
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美味しい食事の後は幾種類ものお湯に浸かり、マッサージ機のサービスに身をゆだね、しあわせ~イメージ 5広いお部屋でおやすみなさいぐぅぐぅぐぅぐぅ
 
朝5時半、おはようございます。至福の朝の露天風呂にはなんとバラの花がたっぷり浮いているではありませんか、何てゴージャス、ロマンティック、、、、ラブラブ
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イメージ 13ロビーは広く一面ガラスの向こうは美しい庭と山を借景に、こんなに素敵なホテルでゆっくりしたい、、、
でもでも何せお遍路の旅ですからそうそうに出発です。今日は朝から雨模様、7時半にはバスが迎えにきました。
 
79番札所 金華山 高照院 天皇寺 ご本尊、十一面観世音
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イメージ 18「弘仁年間(810~24)、弘法大師がこの地を巡錫し近くの八十場の霊泉を通りかかると霊験を感じた。そこで十一面観世音菩薩を刻み、堂宇を建立し、寺号を妙成就寺として開基。保元の乱(1156)に敗れた崇徳(ストク)上皇はこの地へ流され長寛二年(1164)崩御。都からの指示を待つ間遺体を八十場の泉に浸けて保存され、五色台の白峰山で荼毘(ダビ)に付された。現在の寺号である「天皇寺」は、天皇ゆかりの寺ということで呼ばれるようになった」。
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「八十場の泉は太古の昔、日本武尊(ヤマトタケル)が瀬戸内海の悪魚退治のためにこの地へきたが、悪魚の毒で八十八人の兵とともに倒れてしまう。横潮明神が泉の水を与えると日本武尊とその兵は回復し、以来八十場の霊水と呼ばれ今も清水が湧き出している。」 
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黒びかりのする小石「サヌカイト」です。この辺りではそこここで見つけられます。本当にいいものは打つととても美しい音色が響くのだそうです。
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80番札所 白牛山 千手院 国分寺 ご本尊、十一面千手観世音
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 「奈良時代の鋳造で県内最古といわれる銅鐘には大蛇伝説が伝わる。昔人々に恐れられていた大蛇を戸継八郎が本尊の千手観音に祈願し、退治する。大蛇は銅鐘をかぶり抵抗したという」。
 
 
 
 「天平十三年(741)、聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺のひとつ。行基が観世音菩薩像を安置して開基した。弘仁年間(810~24)に弘法大師がこの地に来錫し、本尊や堂宇を修復。他の寺と同様に戦国時代の兵火にあい、荒廃するが慶長年間(1596~1616)に生駒氏によって再興され江戸時代には高松藩主松平家によって庇護され現在に至る」。
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 見事な枝ぶりの松が茂り、参道の両側には八十八ヵ所の石仏が並んでいる。ここに来れば一度に八十八ヵ所巡りができます、でもご朱印はもらえませんよ、とはお先達さんの言。
 
 81番札所 綾松山 洞林院 白峯寺 ご本尊、千手観世音
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イメージ 33雨が降り出していた。濡れた石段の上に降り積もった落ち葉が光る。
本堂に着くとパラパラとあられが降ってきた。冷たく凍えそうな中で般若心経を読んだことはこれはこれでありがたく記憶に残るものです。 
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五色台の西にある白峯(標高336.9メートル)に白峯寺はあるが崇徳天皇の御陵があることで知られる。バスが駐車場に入る手前に車窓から二基の十三重の石塔が見える。小さいものですがそれは古く、崇徳天皇の菩提を弔って建立されたものだといわれます。
たくさんの石段を下っては上がると静寂から霊域に引き込まれるようです。
「弘法大師が登山して宝珠を埋め、閼伽井(アカイ)を掘られ、後に智証大師が山上の瑞光を見て不思議に思っていると山の鎮守が現れて山中に導き霊地であることを告げたので智証大師は瀬戸内海で異香を放つ流木を引き上げて千手観世音を刻まれ、本尊として安置した。本堂は再三火災に遭い、現在の建物は慶長四年(1599)、高松城主生駒近規によって再建された」。
 
「崇徳天皇が都を偲んで「啼けばきく きけば都の恋しさに この里過ぎよ やまほととぎす」と詠んだ。門前に「玉章木」と呼ばれるケヤキの木があるが、玉章木で鳴いていたほととぎすが、上皇の心中を察し、この木の葉を巻いて口ばしを入れ鳴き声が漏れないようにしたと伝えられている」。
 
 82番札所 青峰山 千手院 根香寺(ネゴロジ)  ご本尊、千手千眼観世音
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 イメージ 45イメージ 43「白峰の名は残雪に由来し、青峰は松が多いためといわれ、弘法大師は入唐前にこの山に登って「花蔵院」を建立し、霊場とした。天長九年(832)、弘法大師の甥、智証大師が青峰の麓に巡錫した時、ケヤキの木の下に白猿を連れた白髪の老翁が現れ、「ここは観世音の霊地で三谷ある。毘沙門谷に行場を、法華渓に本堂、後夜谷には法華三昧の道場を作り、また蓮華谷の香木で本尊の観世音を刻むように」と告げた。そのため香木を刻んで千手観世音菩薩像を刻み千手院を建立した。この香木の根の香りがあまりにも高いので寺名となり、また川に流れて香ることから「香川」との県名がつけられたという。
智証大師が伽藍を建立後盛んになり、後白川天皇の勅願所にもなった」。
 
本堂は回廊形式になっており、信者により奉納された三万以上の万体観音像が奉安されている。
 
 イメージ 41「五色台、青峰山の山中に牛鬼という怪物が棲み村人を困らせた。弓の名人、山田蔵人高清がこれを退治しその角を納めたといわれる」。境内にはこの牛鬼の像や白猿伝説にまつわる白こう欅(ハッコウケヤキ)がある。
 
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午前中に四か寺を巡り終え、山を下りお昼の食事に向かいます。
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このあたりは木無(キナシ)、といって「盆栽の里」といわれたくさんの盆栽が店頭に置かれていました。