今回は私の今までで一番辛かった時のことを書こうと思う。
私の両親は教育熱心だったこともあり、中学受験で頑張って、中高一貫の難関校に入った。両親は大喜びだったし、周りにもちやほやされて、自分ってすごいのかなと思ったりした。
そこは、殆どの人が早慶や有名国立大に当たり前のように進学していく学校だった。
入学した時は、最終的に自分もそうなるのかなと思っていた。
まさか高3で中退するとは思ってもみなかった。
ここから何回かに分けて、私の高校~大学時代について書いていこうと思います。
今までは思い出すだけでも結構辛かったのですが、最近やっと気持ちの整理がついたというか、文章にしてみようと思って書き始めました。
学校に通うことが苦痛だったり、受験勉強が辛い人にとって、少しでも参考になることがあればいいなと思います。
①は暗いけど、最終的には立ち直って、大学進学と就職をしてるので、2.3と明るくなっていきます!安心して読んでください😄✨️
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何故、高校をやめたのか
色々な原因が複雑に絡み合っている。自分でも言語化できないところはあるが、大きく分けて2つあるのではないかと思う。
1.学校に通う意味が分からなくなった
そもそも高校1年生の時から、「学校に行きたくないな」という気持ちは薄々あった。1年生の後期くらいから、学校に通うことや、勉強する意味に疑問を持つようになったのだ。
でも学校をやめるなんてあり得ないと思っていたから、自分をごまかしながら通っていた。
何のために勉強するんだろう?
ここで学ぶことが何の役に立つのだろう?
何のために早起きして、6.7時間も座ってるんだろう?
他の人も少しはそういうことを考えるのかもしれない。しかし、私にとってはとても深刻な問題であった。
人間関係は良かった。友達と話しているのは楽しかったし、多少衝突があってもいじめられることはなかった。
それでも、授業を受ける意味だけは分からなかった。聞いている内容が試験以外に役に立つと思えなかったし、面白さを見いだせなかった。
とは言っても授業は毎日6.7時間あるから、意味を感じられないと学校の大半の時間が苦痛であった。
勉強をする意味を考えて、調べたり、本を読んだり、周りの人に聞いて回ったりしたが、納得のいく答えを見つけることは出来なかった。
当時、私なりに導きだした答えはこうだ。
「内容自体に意味はない。ただ、偏差値の高い大学に入る手段にすぎない」
偏差値の高い大学に入る必要性を感じていなかった私は、この答えにたどり着いてから勉強を殆どしなくなった。
普通の学校の授業なら、適当に聞き流して、テストものらりくらりとやっていたのかもしれない。しかし、私の学校は授業の内容がとても難しかった。ただでさえ意味を見いだせないのに、聞く気にもならなかった。
やがて授業も頭に入らなくなった。テスト勉強のために教科書を読み始めてみても、本当に全く覚えられなかった。
必要な情報ではないと脳がシャットアウトしてしまったのだと思う。本当に教室に座っているだけの状態になった。
勿論テストも解けず、試験時間は座っているだけ、記号問題以外は空白の答案を出していた。空白の答案を他人に見られるのが辛かった。
「辛いなら勉強すればいいでしょ?」
周囲にはそれを言われて辛い思いをした。白紙の答案を見れば、私が怠けているようにしか見えない。客観的に見ればそう思えてしまうのだろう。
言葉でこの時の私の気持ちを表現するのはとても難しい。説明して理解してくれるひともあまりいないだろう。
1つ言えるのは、
「辛いなら勉強すればいいだろ」
というのは私も勿論考えたことだし、試みたことだ。高1の前期は試験に使う文系科目だけを頑張ってみたりして、順位表に貼られたりもした。塾にも通って、真剣に授業を聞いていた時もあった。
それでもやっぱり、意味を感じられない勉強をすることが辛くて仕方がなかった。学校の勉強が嫌いな人は大半だと思うし、それでも皆仕方なくやっているのだと思う。
しかし私の場合は普通の人よりその気持ちが強く、心身に支障をきたすレベルだったということだ。
頭に入らない授業はひたすら苦痛だった。
それでも無理して通っていたが、学校から帰るとヘトヘトで何も出来なかった。家に帰るとお菓子をむさぼった。コンビニでお菓子を爆買いして、10キロくらい太った。
私は途中で学校をやめたが、通い続けていたらもっと酷い結果になっていたと思う。
自分の心を殺して、ただ学校に行って6時間席に座り続けて、そのあいだじっと耐える。卒業できたとしても、本当に精神が崩壊してしまって何も残らなかったと思う。
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クラスの雰囲気が殺伐とし始めた
2つ目の理由は、高校2年の後期からクラスの空気が殺伐とし始めたことだ。
生徒は皆勉強熱心で、学校側も受験を意識し始めるので、この時期になれば仕方のないことなのだろう。神経が図太ければ気づくこともなかったのかもしれない。
しかし、私にとっては大きな変化であり、通う度に確実にメンタルをすり減らしていった。
私の学校では、高校からは英語などの一部の科目はクラス分けをしていたので、誰が成績が良くて、誰が悪いのかは何となく分かるのだった。
私は当然、どの科目も一番下のクラスにいたのだが、周りの人から見下されているような感覚があった。あからさまに表に出す人はいなくても、話していて何となく分かった。
学校の先生も私に対してどこか冷たかった。成績も悪くて愛嬌があるわけでもないから、苛立ってしまったのかもしれない。
成績の良い子を優遇するのは当たり前だし、勉強していないのだから見下されても自業自得なのは分かる。
皆が真面目に勉強するのが当たり前の環境で自分だけしていなかったら、周囲から奇異の目で見られるのが自然だ。
しかし心の中では
(私は自分の意思で勉強してないだけなんだから放っておいて欲しい、何でこんな思いしないといけないの?)
(何でこの人達は成績でしか人を判断しないんだ?)
っていう気持ちが確実にあった。理解はできても心で納得が出来なかった。
いじめに近いようなことに逢っている子もいた。周りは普通に受け入れていたが、私から見ればどう考えてもいじめだった。今思うと皆ストレスが溜まっていたのだと思う。
この頃から時々学校を休むようになった。辛いから休んでいるのだが、周りから見ればずる休みにしか見えない。休んだ次の日に学校に行くと、
「本当に体調が悪かったの?」
と含みのある問いかけをされた。自分は頑張ってるのに、私だけ休んでいてずるいと感じたのだろう。皆辛かったんだろうなと思った。皆も頑張っているから、休めばいいのにとも思った。
ただ6時間椅子に座り続ける日々。通う度に自己肯定感は下げられていく。
(こんなのもういやだ、辛い。行きたくない。)
ついに限界を迎えた。
ある時から、朝起きれなくなった。
それでも親は、頑張って私を学校に行かせようとした。
当たり前だ。高校中退なんてしたら将来どうなるか分からない。
その上お金をかけて難関校に入れたのだ。中退なんてしたら、これまでかけてきたお金や努力を無駄にすることになる(人生に無駄なことなんてないのだが、状況的にそう思ってしまうだろう)。
なんやかんやで3年生の夏くらいまで通い続けたが、限界を迎え、出席数も足りなくなりつつあったので、やめる形になった。
本当は2年の終わりでやめたかったが、親を納得させたり、通信制の高校を調べ、転校の準備をするのに時間がかかって、それくらいに延びた。私自身も高校を中退して親を悲しませたくなかったので、最後の足掻きだった。
高3は本当に辛かった。電車で向かうときには涙が出てきたし、授業は1.2時間聞くだけでも耐えられず、途中で下校した。クラスではずっと机に突っ伏していた。
スクールカウンセラーの人と話したりもしたが、その人もまた難関大を卒業した人であり、私の気持ちを理解してくれることはなかった。
友達も、私がこういう状態になってからは腫れ物を扱うような感じで、自然と距離が生まれて、独りになった。
皆自分の勉強で精一杯だろうし、病んでる人と関わろうとは思わないだろう。私だって同じような人がクラスにいたら、そっとしておくだろう。
そう分かっていても、辛かった。
「勉強させてくれる恵まれた環境にいるなら、努力するべき」
「勉強しないのは甘えでしょ?」
「皆辛くても学校に通ってる」
調べるとそういう情報が出てきたし、そういう周囲の声はあった。
私も、
(自分だけ嫌なことから逃げて、これって甘えなのかもしれない…)
と悩んだことがあった。
しかし、今はハッキリと分かる。
これは甘えでも何でもなく、自分の心が悲鳴を上げていたのだと。
高校をやめて正解だったと。
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