私が20代の頃に出会い、心の病から救ってくれた精神科医の小林絢子先生は、自己と自我についてよく話される。 自己とは何かをする行為そのものであり、自我とは、それをどう感じるか。 この自我が確立できてない人は、自分に自信がなく社会での人間関係がうまくいかないと言う。 これについては、もっともっと興味深い内容の話しがあるのだが、この言葉を聞いて私は
初めて自分の自我が成長していないことに気付き、心の病の原因らしきものが見えてパッと目の前が明るくなったのを覚えている。
また、小林先生は「妻が夫に服従している家の子供は温和には育ちますが、社会に出たとき、
押したり引いたりのかけひきや、いろんな葛藤に弱いと思います。」とも言われている。
家庭は安らぎの場と言うよりは自我のぶつかり合う自我の戦場みたいな場で、意見が違い衝突する中で、どうやって折り合っていくかを学ぶ場だそうだ。
その為には、「自分はどう感じるか、どう思うか」が明確でなければいけない。 子供の自我は9才までは母親が決めるらしいがそれ以後は違う。 自我が育ってない子はいつまでも親の自我に合わせて自分がない。
そんなこんなを考えていたら、我が子の事を思い、更に私も自分の自我を確認しながらきちんと生きていかなきゃ!と思う。
初めて自分の自我が成長していないことに気付き、心の病の原因らしきものが見えてパッと目の前が明るくなったのを覚えている。
また、小林先生は「妻が夫に服従している家の子供は温和には育ちますが、社会に出たとき、
押したり引いたりのかけひきや、いろんな葛藤に弱いと思います。」とも言われている。
家庭は安らぎの場と言うよりは自我のぶつかり合う自我の戦場みたいな場で、意見が違い衝突する中で、どうやって折り合っていくかを学ぶ場だそうだ。
その為には、「自分はどう感じるか、どう思うか」が明確でなければいけない。 子供の自我は9才までは母親が決めるらしいがそれ以後は違う。 自我が育ってない子はいつまでも親の自我に合わせて自分がない。
そんなこんなを考えていたら、我が子の事を思い、更に私も自分の自我を確認しながらきちんと生きていかなきゃ!と思う。
わたぼうしの日。毎週月、水曜日は南岩国駅まで母が迎えに来てくれて、それから「わたぼうし」まで乗せて行ってもらう。しかし昨日は母がどうしても私に見せたいものがあるから家に寄ってくれと言う。実家に寄っても「わたぼうし」着に10分程度の遅れしかないだろうから言われるままにした。実家に着くと