ながいこと、こちらにお世話になってきましたが、これからは「note」に書き込んでゆくことにいたします。

 

 すでに、このところ、それぞれに同じ書き込みをしているのにお気づきの方もいらしゃいましたが、こちらへの書き込みは、これを最後とすることにいたします。

 

 PCでご覧いただくには「note」で検索して、そこから私の名前を検索していただければ、すでにいくつかの書き込みをご覧いただけます。

 

 

スマートフォンだと、アプリをいれるようになるかと思い、ご不便をおかけする方もいると思いますが、あれこれ考えたり、相談に乗っていただいて、切り替えることといたしました。

 

一区切りになりますが、どうぞこれからもよろしくおつきあいください。

 昨日、家に帰ると、庭にある、モッコウバラが小さな花を咲かせていた。

 これから、どんどん咲いて、1㎡ぶんくらいの美しい壁になる。

 

 と、いうものに目が行くくらい、ちょっとお疲れ気味。

 なので、昨夜は9時過ぎには寝たのだが、その少し前に入ってきた嬉しいニュースが、こちら。

 

「I氏賞」大賞に工藤あゆみさん 奨励賞は加瀬野さん 花房さん:山陽新聞デジタル|さんデジ  岡山県は9日、県にゆかりのある新進気鋭の美術家をたたえる第14回「I氏賞」の大賞に、美術作家の工藤あゆみさん(40)=イ www.sanyonews.jp

 

 I氏賞は、児島虎次郎と同じ岡山県の成羽出身で、京セラの会長も務められた伊藤謙介さんが、岡山県へと私財を託して創設された賞。

 40歳以下の制作者が対象となるが、多くの委員から推薦された作り手が、1次の書類審査、2次の作品を展示しての(なので一般の方も見られます)審査を経て、大賞1名と奨励賞2名が選ばれる。

 2次審査に進むだけでも、作品公開が実現するわけだが、受賞ともなると、かなりの額の経済的な支援のみならず、やがては県立美術館での、これもかなりのスペースを使っての展示&図録制作の機会も与えられる。

 

 さらに、岡山県としては、県域の美術館などが、受賞者を取り上げると、そこにも助成をしてくれる。

 

 

 それゆえ、このところ、県下の美術館で若手作家が取り上げられる機会が増えたわけだが、この前の土曜日の私の津山行も、そうした流れの上に乗ったもの。

 

 その津山でご一緒した花房紗耶香さんが奨励賞!

 おめでとう。

 

 すでにVOCA賞も受賞し、そして大原美術館のARKOも経験し、他の方からすると、すこし前をゆくキャリアの彼女だが、そんな彼女がARKOの後に、結婚して岡山に移り住んで、岡山ゆかりの賞をもらえて・・・。

 ARKOのリサーチの時、倉敷美観地区の土産物店で「お嬢さんかわいらしいですね」と声をかけらた、偽父としもて嬉しいよ。

 

 

 そして、それ以上に、嬉しかったのが、工藤あゆみさんの大賞。

 

 今回の展示を見ると、近年になく、それぞれの作品に力があり、審査はたいへんだろうなと思っていた。

その中にあって、絵本を、見開きずつ額装したような工藤さんの小さな作品は、これまで以上の優しさと強さをもった作品ながら、その小ささゆえに、うまく見つけてもらえるといいな、と思っていた。

 

 審査員のみなさん、ほんとうにありがとう!

 そして、工藤さん、ほんとうにおめでとう!!!

隙あらば、取り掛かりたい大きな山が、重くのしかかるのだが、今日も隙がなし。

結局、自席でデスクワークができたのは、賞味1時間もなし。

 

 

窓の外では、この梯子に昇った皆さんが、松の剪定。

一日中、高所で黙々と作業されているが、ガラス窓の内側で、私は一日中、あれこれ違うことのハシゴでした。

月曜日なれど出勤。

学芸課のみなさんは、作品の写真撮影などに励んでいるが、私はオンライン会議2つ連続やら、デスクを離れられない休館日。

 

 

そろそろ集中力もつき欠け、一休みをしようかというタイミングで、知人からの電話で、スマフォが鳴る。

聞けば、なにかの取材で美観地区を散策しているのだが、お薦めの場所として大原美術館を取り上げたいのだが・・・しまっている・・・とのこと。

そこで、美術館前で周囲の景観を楽しんでいる一行と合流して、いつでもみなさんが行き来できる分館前にご案内。

 

そのご案内の途上で、倉敷川のあちらの方が、いつもと異なる様子であるのに気づく。

そこで、ご一行と分かれた足で、そのまま中橋のあたりまで。

その様子が、これ。

 

 

 

倉敷観光コンベンションの方々などが清掃中。

だいたい、この倉敷川は、川とは言いながら、運河であり、それも大原美術館のすぐ前から水が湧き出して、「始まっている」。

なので、この水門?を閉じればこのように水位をさげることもできるので、時折、こうした川底清掃の様子を見られる次第。

 

暖かくなり、観光客も相応に出始めてきた。

こうした光景をご覧になっていただくのも、それはそれでよいのだろう。

 

月曜日は、あたりいったいメンテナンスDAYなのです。

鳥取まで我が家から車で3時間ほど。

午後から、津山でお仕事もあるので、頑張って遠出。

 

大原美術館の所蔵作品を貸し出していることもあるが、COVID-19の影響で、諸々変更されて、ようやく実施となった、こちらの展覧会を見に行く。

 

もろもろ変更されたがゆえに、「なぜ鳥取で岡本太郎?」とか、「焦点はどこ?」ともなりがちだが、こちらは、もともとやりたかった内容も、狙いもわかっているので、ほんとうによく実現した、という思いの方が強くなる。

 

靉光の《眼のある風景》も出ているし、参考になる作品も多数。戦後間もない時期のなかで、表現者や縄文の発見者というだけではなく、フランスとパイプを活かした紹介者としての岡本太郎の活動もよくわかる。

何より、朝からお客様が相応にいらしていたのが、なにより嬉しい。行ってよかった。

 

 

続いて、鳥取民藝美術館。

 

 

こちらで吉田さんの紹介となると見なくては。

小ぶりな空間だが、丁寧に作ってある。

 

でも、となりの鳥取たくみ工芸店で、せっかくなのだから、牛ノ戸焼をもう少し並べればいいのに、とか、巧のご飯には時間が早すぎた、とか、そんなことの方にも気が行ってしまう私は、まだまだ修行がたりない。

 

 

 

そこから取って返して、勝央町まで1時間ちょっと。

ちょうど、12時前に到着。お目当てはこれ。

 

gallery exhibition vol.33 築山弘毅展 INDEXmuseum.town.shoo.lg.jp

築山さんのみならず、小林正秀さんと、吉尾梨加さんの作品も。

それぞれ、このところ、まとまった作品公開が続いているが、こうした世代の作家さんの作品を眼にする機会が増えるのは、なにより良い事。

それに、それが公立文化施設でというのは、さらに良い事。

 

築山さんの仕事は、為替や株のレートが前景化するが、その画肌の作り方も見もの。今回はそれがよくわかる。

そして、その主題と素材の往還が、これからどうなるのかも見どころ。

 

 

ようやく津山市内へ。

一人気楽に、だいたいの時間で動くが、よい塩梅で予定をこなす。

 

 

続いては、NISHIIMA25

 

ここに来ると、ほんとうにハッとする美しい空間に出会える。

写真の部屋なんて、時間があれば、ずっとそこにいたいわ!

という美しくも精神的な空間。

 

 

午後2時。

約束の時間に、本命(お仕事)の場へ。

 

PORT ART&DESIGN TSUYAMA津山市重要文化財『旧妹尾銀行林田支店』がアートギャラリーとして10月6日オープン!アートやデザインをテーマとした芸術文化のwww.port-tsuyama.com

 

甲田千晴さんの展覧会が始まる、口火の対談に司会役としてお招きいただいた。

でも、かつてI氏賞に出した陶芸作品のイメージがあるくらいで、ほとんど面識もないし、「なんで私? まあ行けばどうにでもなる」という感じでうかがったが、これが、岡山県域では久々に見た、本格的な観点的インスタレーション。

すっかり仕事ぶりが変わっていたのでびっくり。

 

 

でも、公開の対談の場ながら、私が聞きたいことを聞いて、とってもその歩みや意図がよく分かった。

対談というのは、厳密には間違いで、大原美術館でレジデンスプログラムですっかりおなじみの花房紗也香さんもご一緒だったので、現代の若手アーティストが海外に渡ること、そこから見えてくる日本にいる/いた自分の姿などと話が広がり、私にとっては得難い経験。

それが、会場の皆様の満足度につながっていたか否かは、ひとえに私の責任。

 

I氏賞と書いたが、勝央の3人も、こちらの2人も、ともにI氏賞展経験者。

伊藤謙介さんが私財を岡山県に託し、そこから県ゆかりの若手芸術家の顕彰が大きく進んだのだが、そうして若いアーティストが次々に見出だされ、場を与えられ、そして互いにつながりながら、さらに力を発揮する様を実感した一日。

 

一転、寒い朝。

 

朝のルーティンをこなしていても、寒い。

ご飯を食べても、寒い。

 

暖かかった昨日を思い出します。

 

それでも、こうして作業続行。

 

あたりまえのような景色ながら、一日中、あの高さで、あの姿勢をしているのだから、すごい。

朝方の強い雨がおさまった、昼下がり。

 

これから、予定では3時間のオンライン会議。

でも、今日は、職場ではいくつかの会議があり共有スペースがいっぱい。

事務所の自席からとはいかない会議ので、自宅書斎へ移動して、スタンバイ中。

 

 

私自身、午前9時から11時過ぎまで、すでに館内でリアル会議を済ませ、その後も、ちょこちょこと打ち合わせをして移動してきたので、今日は終日、会議のようなもの。

 

そのひとつが、社会連携課の竹本さん、寺本さんとの、各種こまぎれ案件を合わせての打合せだったが、私が別の会議を終えて、彼女たちに合流した際の写真がこれ。

 

 

 

被り物は、所蔵品のエジプトのファラオ像に範を得たものだが、これが廉価で簡単な工作で出来上がる。

 

そして、PCの向こうにいるのは、院内学級に通う子ども達と、その先生。

 

先日も、岡山県内の複数の病院にある院内学級と支援学校を結んでのオンライン作品鑑賞を実施して、かなりの盛況だったらしい。

まだ公開には至らないが、バーチャルリアリティーで制作した大原美術館の展示場をご覧いれたところ、壁に複数の絵が並んでいる光景だけでも、反響があったという。

 

そして、今日は、もう少し相手を絞っての、この冠づくりのワークショップ。

PCを介してのやりとりを、しばらく傍らできかせてもらうが、双方ともに楽しそう。

 

 

他館なら、大きな事例なのだろうが、この二人にかかると、こうしたことが、日常のように実施されてゆく。

優秀なスタッフたちです。

 

頭がフレッシュなうちに、ご紹介でした。

長い会議を頑張ります。

 

 あ~ 3月

 

 我が家も、職場も、鳥の声がよく聞こえ、そして毎時(夜はないけど)、近くのお寺から鐘の音が聞こえてくる。

 

 今朝は、鳥がほんとによくさえずるなか、あたたかい鐘の音が聞こえてきて、なんとも落ち着いた気持ちに。

 

 職場は、休館日ならではの光景。

 はらはらと、摘まれた、松葉が落ちる中を事務所へと向かう。

 

 

 

 学芸課のみなさんは、作品の写真撮影&調査。

 

 私は、事務所に一人でデスクワーク。休館日なれど、これほど事務所に人がいないのは珍しいぞ!という環境で、すいすいと仕事が進む。

 

 そして昼休みに、すこし買い物。

 

 

 

 鶴形山の下のあたり(といっても、かなり広いけど)で家が一軒なくなっていて、この光景が露出。

 写真を撮ろうとすると、工事用の防護柵の間から、こんな感じだけど、道を歩いていると、この巨岩がよく見えます。

 倉敷の懐深し。

 

 

 夕方は、役場に行かねばならない用件があるので、すこし早めに職場を離れ、そして自宅書斎へと再出勤。

 

 なんか、ゆとりがあり、ある意味、ゴージャスな一日でした。

 昨日のうちに、今月中の締め切り原稿を入稿。

 

 そして、3月3日までの原稿も目途が立つ。

 

 なので、すこしゆっくり起き出した朝。

 

 

 昨日よりは、寒くはない。

 しばし、庭先に。 花粉が怖いので、ほんとにしばし。

 

 いつもより鳥の声が多いが気がする。

 

 

 昨日は、昼間、言葉を失うお知らせに出会い、夜になって、このところで、ダントツで嬉しいお知らせがあり、と外からの働きかけに、大きく心が動いた一日だった。

 

 今朝も、その言葉を失う出来事について、いつの間にか思いをはせていた。

 それは悲しいとか、辛いとかではなく、だから腹が立つというたぐいのものではなく、ただただ悲しく、でも、改めてのそこに深い愛を感じるような出来事。

 そういうことなので、暖かくもなく、寒くもなく、鳥の声に満ちた朝は、とてもありがたかった。

 

 きっと同じような思いに包まれている何人かの方に向けての今日の書き込みです。

 

 

 

 

 夕方のオセラ読者ツアー(?)に備えて、15時過ぎには職場へ。

 

 自席から窓の外を見ると、こんな光景。

 まじめに仕事をしていないと。

 

 先日の、なんでそんな大賞の審査会のおり、柴川弘子さんが「困まり感の強さ」といった言葉を使ってらっしゃた。

 

 支援者、介助者の側が、「なんでそんなん ~う~ 」となるような困った感じの強さを語ったものだが、なんでそんなんな応募事例には、そうした例が散見される。

 それは、子どもと親の場合もあれば、「ぬか」のような福祉事業所なら、そこに通ってくる方と受け入れる側のような場合もある。

 そして、その応募事例の、いずれもが、支援する側、支援される側とも、いい顔をしている。

 

 困ったな~ 大変だな~ と口では言っていても、受け止める側は、それはそれで嬉しい気持ちが内からふっくらと膨らんでいる感じ。

 子どもさんやら、通所者さんの側も、なにか確信犯的に遊んでもらっている/依存させてもらっている感じが、双方にいい顔をさせるのだろう。

 

 そこに、いい顔を見ようとする私の幻想もあるのかもしれないけれど。

 でも、きっとそれぞれ嬉しいんだよね。

 

 そんなことを考えながら、なんとも、心がちりちり動いた午後のひと時でした。