終戦記念日に、思うこと、、、。

 

私の父は、79年前の今日は、まだ、亡くなっていない。

 

 

この日以降、満州奥地で、現地解散となり、帰還がかなわなかった。

 

 

私の100歳で昨年亡くなった友のご主人が、工作隊の小隊長でいらした。

 

娘のように、かわいがっていただいて、戦地の話もたくさんお聞きした。

 

 

工作隊というのは、最前線で、事前調査をしたり、橋を架けたり、武器の調達をしたりと、

 

かなり危険な仕事だなったらしい。

 

 

工作隊という名の通り、職人集団を率いる仕事とのこと。

 

300人くらいの中に、専門職が、それぞれいて、何でも、やってしまう。

 

 

結婚したころ、奥さんに、何にもできんなあ。

 

当番兵のほうがきめ細かいと、のたまったそうだ。

 

 

そして、隊を、率いるほどだから、工学部出身でいらしたが、

 

ご自分では、戦後のころ、だれでもできた、ソケットの直しなど、

 

そんな危ないことは、専門家がやることだと、なさらなかったそうだ。

 

 

私に7年以上を過ごした中国の話を、たびたび、してくださった。

 

青春の大半を、中国の戦場で過ごし、生きて、日本へ帰れるとは、思っていなかったという。

 

 

達観した考え方、生き方で、私の父が生きていたなら、こんな方でいてほしいと思ったものだ。