姉、兄、私と、同じ、高校に進み、私が高3の時、姉が結婚した。
兄は東京の大学に入り、その秋、姉も東京の人と、見合い結婚をした。
母は、自分の東京住まいが長かったので、東京へ嫁に出すことも心配しなかった。
私は高卒後、父の勤めていた会社へ、就職した。
姉も、同じ会社であったが、姉が辞めて、半年後の就職だった。
私は、金融関係へ就職したかったが、
父の会社の人事課から、高校に、採用予定にされていて、ちょっと、また?と思った。
学校側は、母子家庭の就職は、不利になるから、望まれているところへ行きなさいという。
ま、電車で二駅のところだから、近くていいか、、、。
社内結婚の多い会社で、私は、すまいと思っていたが、社内結婚をした。
亭主の、まじめで、目立たないところを、気に入っていた。
出世しそうな、要領のよさそうな人は、敬遠だったから、自然、そうなる。
私は、とにかく、無難な、普通の人と結婚したかった。
私の父は、上役に見込まれたばかりに、難しいお役目をもらった。
社長の息子さんのお目付け役であった。
子供がいなかったせいもあって、東京の大学に通われる方を、夫婦で、生活を共にして、お世話した。
大学の予科から、学徒出陣までの6年間近く、気の張るお役目だった。
女中さん、爺やさんも一緒に来て、その方たちを采配しながら、面倒を見る。
たまには、息子の顔を見に上京される、奥さまのお相手も、しなくてはいけなかった。
子供がいるようになっても任務は解けなかった。
帰還して仕事に就けば、父は、もっと大変な、難しい立場だったかもしれないから、
それも嫌で、帰ってこなかったか、、、。
母とそののち社長になられた方とは、気やすいのか、立場を忘れて、たびたび、喧嘩をしていた。
母が、勝手に、お出入りをしなくなるというパターンで、母は、迎合する人ではなかった。
母と12歳違う年の差だったから、当時から、気の合う、けんか相手だったようだ。
お目付け役の父は、怖いが、母には、わがままを言っていたらしい。
母は、私の結婚相手に、もっと目端の利く人だといいのにと、不満だったと思う。
普通の人と一緒になって、普通の生活をし、無難に生きる。
それが幸せだと思うのは、ふつうに暮らせなかった母を見ていたからなのだが、
あんなになんでも、言えた親子関係だったけれど、話していない、、、。
母は、晩年、あんた、いい人を選んだね。静かにくらせるわ、、。
何て言うようになっていたから、やはり、普通が一番だ、、。
母の望んでいたことは、兄妹、仲良くしてほしい。、、だった。
私は、それが母の望であったからではなく、実家が居心地よくて、常に出入りしている。
ここらへんで、昔話は、やめにします。
昔の話は、辛気臭くていけません、、。
それも、関係のない人にする、古い話は、ご迷惑の限りでした。
笑って、お見逃しくださいますよう、、、。
次からは、また日常の出来事と、心に感じたことを、書いていくつもりです。
大いに、マンネリですが、それが、また、望むところの日々ですから、、、。