私の父は、貧しい家に生まれ、小学校の、給仕をしながら、高等科を卒業したそうだ。

 

中学校への進学も援助の申し出があったようだが、父は自立の道を選んだ。

 

 

丁稚奉公に出て、そこで、選ばれて、東京へと連れていかれた。

 

夜間の学校に進学もでき、彼は順調に、会社員として仕事ができるようになった。

 

 

少し遅れて、和裁女学校を出た、母は、東京のお屋敷へ、女中奉公に出た。

 

昭和の3年のことだったらしい。

 

 

母は、お家の奥向きの仕事で、お子様の、学校のお供が主だった。

 

着物の仕立て直し、布団の作り替えなど、の采配で、奥様を、お助けする仕事も任されるようになった。

 

 

そこで、父と母が出会うのである、、。

 

父の仕事先の副社長のお宅が、母の奉公先だったのだ。

 

 

父は、副社長のお気に入りだったらしく、足しげく、お屋敷にかよっていた。

 

昭和7年の父の日記が、東京の会社に、そっと、しまわれていた。

 

それで、同郷の母と出会い、結婚に至った、彼の日常が知れるのである。

 

 

年末に、今年を振り返るという長文が、記されていて、25歳の父が、そこに生きていた。

 

 

父と母は、昭和8年に結婚する。

 

この日記は、母が隠してしまったが、私は、母に、絶対捨てないでね。

 

私がお父さんを知ることができる、ただ一つのものなんだから。

 

固く、約束をして、のちに私が譲り受けた。

 

 

結婚してすぐ、子供に恵まれなかった父母は、銀ブラ、大学野球観戦、と、楽しんだようだ。

 

母は、周りの目を気にすることのない東京が、好きだったらしい。

 

まだ、戦争の影は差していない。平和なひとときだった。