ほど近くなった、父の日にちなんで、少し、昔話をしてみたい。

 

これは、父の戒名である。

 

12年もの間、未復員という立場であったが、戦死広報が出されて、戦死と決まった。

 

私の中学1年生の時である。昭和32年のことだったか???

 

 

愛知県で、ほかにも同じような方が多数いられて、覚王山日泰寺で、合同慰霊祭をやってくださった。

 

細かいことは、覚えていないが、地元の、JR の駅を降りると、盛大なお出迎えがあった。

 

 

中2の兄が白木の箱を胸に抱えて、いたが、この中は、一枚の紙が入っていただけだった。

 

中国黒龍江省鏡白湖付近において戦死 このはがき大の紙一枚になって帰ってきた。

 

 

母は、それまでも、それからも、ただ、働き続けた、、、。

 

寅に翼 の主人公のように、大声で泣いたことがあるのだろうか??

 

 

朝ドラで、泣いてしまった私に、亭主は慰めようもない。

 

お母さんは、もっとつらかったろうなア、、。私と同じ、感想だった。

 

 

私の思い出を、これから、振り返っていこうと、思い立ったのは、

 

このドラマのこのシーンが、強烈に魂を揺さぶったからである。