こんにちは。空き物件スタイリングでお部屋と笑顔を繋ぐ!
おへやニストの芝垣茜です。
本日は3月11日。「あの日」から10年が経過した今日の東京は、朝から晴天です。
長いことブログを続けていますが、これまでは東日本大震災のときのことについてあまり触れることはありませんでした。(日記を目的としたブログではないので)
少し悩みましたが、10年という節目を数える今、少しだけ10年前の今日について触れておこうと思います。
****************
10年前。まだ衣装の仕事をしていて、世田谷の小さなアパートでひとり暮らしをしていた頃です。
あの日、私は横浜の大規模な撮影スタジオにいました。
CM撮影の現場で、出演者さんたちの控室で衣装にアイロンをしていたときでした。
ふとアイロンの調子がおかしなことに気づき、「あれ?電源切れてる?」と思いました。
明るかったので、室内の照明が消えて非常灯と予備電力に代わっていたと知ったのは、後になってからです。
足元がぐらぐらとして動揺していると、「すぐ外に出て!避難して!」と廊下で誰かが叫んでいるのが聞こえました。
(警備の人だったか、制作さんだったか思い出せず…)
とりあえずアイロンのスイッチだけは「切」にして、部屋を出て人が避難するほうへと私も走りました。
外へ出ると、あちこちのスタジオから人が走り出てきたところ。
広くて束の間安心したものの、スタジオ設備で大きな鉄塔のようなものがあり(背の高い細い建物……なんだったかな)それが倒れるのではないかと逃げ惑うみんなで右往左往してしまったのですが、その間も長く揺れは続きました。
どうにか揺れが収まっても、みんな混乱している状態。。。
ひとまず撮影は中断(当たり前ですが)、まず電力が復旧しなければ撮影もできず、それがいつになるのか何もわからないまま。制作さんが慌てて電話をしたり、パソコンなどで情報収集していたのを覚えています。
まだ寒さの残る3月。薄着のまま飛び出してきてしまい、とにかく寒かったです((+_+))
「余震があるかもしれないから絶対に建物に戻らないように」との指示で、待つしかなかったのです。
ドラム缶の焚火が用意され、スタッフはその周りへ。出演者さんは暖房のきく制作車へ。(スタジオさんに淹れてもらったコーヒーを持っていったりしました)
あちこちのスタジオの人も入り乱れ、全身タイツや着ぐるみの人もいて、「あっちのスタジオはなんの撮影だったんだろ?」とそんな状況で笑ってしまったのを覚えてます(;^ω^)
10年前、まだスマホが今ほど普及してなかった頃です。
どうやら電車が止まっているらしいと知ったのは、そのあと現場入りした出演者さんが「電車が止まったので、蒲田からタクシーと徒歩できた」と話していたから。非常時でもどうにか現場入りする業界人魂……すごすぎると思ったものでした。
そうこうしているうちに、スタジオ裏手に見える川に異変が。
ついさっきまで水かさは遥か下だったのに、ほんの1時間程度で水かさがぐんぐん上昇し、橋に近づき水の勢いも明らかに増している。遠くで津波がおきたらしいことは人づてに聞いてましたが、この頃は東北の凄惨な状況についてまだ知りませんでした。
その日の撮影中止が決まったのは、暗くなる少し前。
電車が止まっているとのことで、私は制作さんのハイエースの後ろに乗せていただくことになりました。
※スタイリストさん、ヘアメイクさんたちはそれぞれの車に分乗、荷物も大量にあり私が乗せてもらえるスペースはなかったのでした。
いま思い出せば明らかに積載人数超過(笑) のハイエースでした
撮影現場というのは「その日初めて顔を合わせる人」というのがとても多く、そういう方々と妙に近い距離間で同じ車でぎゅうぎゅうになるという不思議な光景。
それでも制作さんが用意していたコンビニの食べ物や、当初の撮影のために用意していたお弁当をいただけたのはあの状況で本当にありがたかったです。
しかし怖かったのは・・・・・・
停電はスタジオだけではなく、横浜一帯だったこと。
信号機が機能していない。
普段なら繁華街のはずが、外は真っ暗。車のテールランプやヘッドライトがあちこちで明滅している。見たことがない光景でした。
あの非常時、積載人数オーバーの車は私たちだけではなかったはず。
明かりも極端に少なく、いつ事故が起きてもおかしくなかったのです。思い返すと本当に怖いものですね。
横浜から都内に戻るのに、2時間以上がかかりました。
それくらいの大渋滞。。。
制作さんのオフィスに戻ると会議室を開放してくださったので、ひとまずいさせてもらうことに。
都内の交通網が完全に麻痺している、徒歩で帰宅する人で町があふれているというニュースを見て、私はその日の帰宅を諦めました。
しかたなく、会議室のカーペットの床で横になりました(私以外にも何人もいました・笑 野戦病院のようで…)
しかし体の節々が痛くて眠ることはできず、そんな夜中にも緊急地震速報は何度も鳴り、ひたすら長い夜が明けるのを待ちました。
ふらふらの状態で、自宅アパートに戻ったのは次の日の午後。
近所の石塀が崩れているのを見てヒヤヒヤしながら戻ると、アパートは無事でした。恐る恐る部屋に入ると、なんと部屋も無事でした。本棚の本が少し落ちていたくらいで、扉の棚にしまっていた食器はすべて無事で被害もありませんでした。
ほっと安心したと同時に 「これからどうなるんだろう」 と漠然と思いました。
****************
日常がいつも変わりなく続いていくという保証はありません。
昨年から新型コロナウイルスの拡大で想定外の事態が起こり続けていることからも、「いつかやろう」と思っていたことが叶わなくなることもある、と痛感しています。
防災意識を高めること。
今やれることはすぐやること。
日常に感謝すること。
自分にできることを、これからも続けます。
お読みくださりありがとうございました♪
継続してます!毎朝のバターコーヒー♡
インターネットラジオ出演情報