今日は土曜日で、例によってプールに行ってきました。
昨年の初夏の頃に大病をし、7月には手術をし、8月には無事退院できましたので、それを機にまたプール通いを始めました。
子供の頃から「水」が好きで、家が海の近くにあったものですから、良く海水浴や貝取りに出かけました。プールは小学校や中学校の頃はあまり好きではなかったのですが、大人になってからは良く行くようになりました。それが就職をし、結婚をしてからも続いており、もちろん時々は中断したりするのですが、なんとか今まで続いています。
ただここ2、3年は仕事が忙しくなかなか心の余裕がなかったのですが、病気を機に再び始めた訳です。
プールの青い水に、真っ先に頭からもぐるのですが、その時の開放感というか、身体が自由になる感じがたまらなく気持ちがいいのです。
水の中では歩いていてもかなりの抵抗があるのですが、反対に身体が軽く、動きがとてもスムースになります。普段の生活では、首が痛いとか肩がこるとか腰が痛いとかという身体の不調が、水の中に入るときれいに消えてなくなります。
またプールから上がって、シャワーを浴び、着替えをして、帰りの車の中に座った時の何というか快い疲労感、けだるさもとても気持ちのいいものです。
さて、プールの話はそこまでにして読書の方ですが、2、3日前に「天皇と東大-大日本帝国の生と死-(上)」をようやく読み終えました。
この上巻だけで実に780ページ、「第1章東大は勝海舟が作った」から「第35章日本中を右傾化させた五・一五事件と神兵隊」まで全35章、まさに読み応えのある大冊です。
タイトルは「天皇と東大」となっており、なるほど天皇と東大を1つのキーワードあるいはのぞき窓にして、日本の近代史を語るという体裁にはなっていますが、内容はまさに副題である「大日本帝国の生と死」が示すように明治以降の日本の歴史そのものです。
考えてみますと、天皇と東大というキワードのうち、例えば天皇について言えば、「天皇機関説」、「統帥権権干犯問題」、「不敬事件」、「昭和維新」など、天皇を巡る政治的な事件や思想は明治以降様々な形でおきていますし、他方の東大についても、東大の卒業生達が日本の政治の中枢を担っていくとともに、右翼及び左翼両者の極めて重要なキーパーソンにもなっていくという意味で、まさしく日本の近代史そのものであることがわかります。
明治以降の天皇と東大を語るということは、まさに日本の近現代史を語ることになるという訳です。
私には、特に昭和維新や国家改造運動につながる右翼の運動に東大なかんづく東大の教官や学生が深く関与していた事実には驚かされました。
血盟団事件、五・一五事件、神兵隊事件等の右翼による暗殺事件、クーデーター事件には思想として東大の教授達が影響を与えていますし、実行者の中にも東大の学生達が含まれているのです。
もちろん、一方で大正デモクラシーの旗手・吉野作造や天皇機関説の美濃部達吉は東大の教授であった訳ですし、さらには共産党の中にも東大生が含まれています。
筆者の立花隆はもともとはジャーナリストであったということでしょうか、本書もとてもジャーナリスティックな文章になっていて深い臨場感があります。
このような書き方は、私の好きな塩野七生とも違い、また例えば江藤淳の「海は甦る」のような書き方とも違います。塩野七生や江藤淳の方がより文学的というか、物語性に満ちています。
また、「ノモハンの夏」を書いた半藤一利や「地ひらく-石原莞爾と昭和の夢」を書いた福田和也とも違います。文中には大量の参考資料(例えば手紙など)の原文そのものが挿入されており、若干読みにくい反面、その人のその時の肉声が聞こえてくようでやはり臨場感を高めるのに役立っており、まさにジャーナリスティックな書き方になっています。
という訳でようやく読み終えたのですが少し疲れてしまったので、下巻を読むのは少し先にして、今は
塩野七生の「ローマ人の物語14-キリストの勝利-」を読んでいます。
