ぱんだの石川県お宮さん巡り(´Д` )。
本日ご紹介するのは、石川県野々市市に鎮座する大兄八幡神社(末松神社)です。
大兄八幡神社(末松神社) 社号標
こちらは大兄八幡神社の社号標。
民家を避けて撮影したため、分かりにくくなっていますが、社号標の後ろの道を進むと鳥居が見えてきます。
社号標の先はまだ公道で、民家が立ち並んでいました。
白鳳の里碑
社号標の近くには白鳳の里碑がありました。
白鳳時代は文化史上の時代区分で、大化改新から平城京遷都までを指します。
仏教文化が栄えた時代で、この白鳳の里碑から徒歩5分程度の場所に末松廃寺跡があります。
末松古墳案内板
白鳳の里碑の隣には、末松古墳の案内板がありました。
末松古墳は、末松大兄八幡神社の境内にある古墳で、古墳の中央部が神社の参道によって大きく削られていることから、主体部は失われています。
古墳の形や具体的な規模は不明ですが、参道の北側と南側にある土の高まりが墳丘の一部とすると、墳丘の大きさは約20メートルであったと推測されます。
神社から約300メートル東にある末松遺跡からは、直径約25メートルの古墳の周溝跡が複数見つかっていることから、この周辺には他にも古墳があったと考えられています。
大兄八幡神社(末松神社)
鳥居まで来ました(´Д` )。
こちらの社号標には「末松神社」と記されています。
◯御祭神:
応神天皇・蛭子命・菅原道真・天照大神
◯鎮座地:石川県野々市市末松
往古には大兄明神と号し、加賀国造・大兄彦命を祀っていたと言われています。
もとは末松社と称し、明治八年に末松神社に改めました。
明治三十九年に村社に指定されています。
明治四十年に同字の轟蛭子神社を新社轟八幡神社に合祀し、明治四十二年に同神社を末松神社に合祀して大兄八幡神社に改称しました。
大兄八幡神社(末松神社) 境内
境内の様子。
緑豊かですね(´Д` )。
大兄八幡神社(末松神社) 石碑
石碑がありました。
残念ながら、ぱんだには読めませんでした。
大兄八幡神社(末松神社) 境内
境内を進みます。
鳥居や狛犬さんが立ち並んでます。
大兄八幡神社(末松神社) 狛犬
狛犬さんです。
ふっさふさな狛犬さん(´Д` )。
大兄八幡神社(末松神社) 狛犬
もう一体の狛犬さん。
こちらもふさふさ(´Д` )。
大兄八幡神社(末松神社) 拝殿
拝殿です。
現在は八幡神社になっていますが、往古には加賀国造・大兄彦命を祀っていたとのこと。
国造は大化改新以前の世襲制の地方官のことで、地方の豪族が任命されていました。
地方の有力者をお祀りしていたということになりますから、実に興味深いですね。
大兄八幡神社(末松神社) 境内
境内に小高くなった場所がありました。
どうやらここが末松古墳の墳丘の一部みたいですね(´Д` )。
大兄八幡神社(末松神社) 境内
明らかに小高くなってます(´Д` )。
実はこちら、末松古墳の案内板を見る前に訪れているのですが、明らかに雰囲気が違ったので、もしかしたら古墳かもと思っていたらそうでした。
古墳の被葬者も気になりますね(´Д` )。
当社の御祭神はもともと加賀国造・大兄彦命とのことですが、何か関係があるのでしょうか。
興味深いです(´Д` )。
以上、石川県野々市市に鎮座する大兄八幡神社(末松神社)について紹介しました。
もともとの御祭神である加賀国造・大兄彦命、そして境内に残る末松古墳の跡など、とても興味が惹かれる神社でした。
当社の近くには末松廃寺跡もあり、この地域の歴史は特に心惹かれるものがあります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
参考:石川県神社庁のホームページ
末松古墳案内板