手取川古戦場 | 金沢徒然日記

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日々金沢中を徘徊している暇人ぱんだが、つれづれなるままに加賀百万石の文化都市、金沢のことを書き綴ったブログ。金沢の観光スポット、神社仏閣、文化施設を深く深く掘り下げて紹介していきます。

手取川(´Д` )
石川県南部を流れる川で、白山から発し、白山市から日本海に注ぎます。
石川県下最大の河川であり、「石川」という県名の由来になった川でもあります。

本日紹介するのはこの手取川沿いにある「手取川古戦場」です。
これは、加賀国の手取川において、上杉謙信軍が織田信長軍を撃破したとされる手取川の戦いの舞台であったとされる地です。
古戦場といっても遺構があるという訳ではなく、現在は手取川古戦場石碑があるのみとなっています。


手取川古戦場石碑

こちらが手取川古戦場にある石碑です。

石川県白山市、呉竹文庫の駐車場のところにありました。

ぱんだはJR小舞子駅から徒歩で行きました。


手取川古戦場石碑

右側の石碑です。

以下のように刻まれていました。


上杉織田手取川の戦遠望の地

上杉に逢ふては 織田も名取川

はねる謙信 逃ぐるとぶ長

なるほど(´Д` )

手取川の戦いについて詠った落首ですね。

ちなみに、上杉軍の総大将は上杉謙信でしたが、織田軍の総大将は柴田勝家で、織田信長自身は合戦には直接参加はしておりません。

信長としてはこの狂歌は不本意かもしれませんね(´Д` )


手取川古戦場石碑

こちらには手取川の戦いの概略が記されておりました。

以下に内容を抜粋して記します。


​天正五年(1577)に上杉謙信と織田信長軍の戦いが、この手取川一帯で行われた。
上杉謙信は七尾城を攻略後、織田信長軍総勢五万が加賀国手取川を越えたという知らせを受けて南下した。
柴田勝家を総大将に、前田利家・滝川一益らの勇将が謙信を待ち受けていた。
しかし、七尾城落城の悲報が伝わると織田軍は浮き足立ち、士気が低下したため、不利を悟って退却を始めた。
ところが、運悪く手取川の増水で逃げ場を失い、織田軍は千余人が討ち取られるほどの大打撃を受けて退散した。
上杉謙信は関東情勢が気に掛かっていたため、織田軍を追撃することなく春日山城に凱旋した。

なお、この手取川の戦いの規模に関しては諸説あるようです。


​手取川

手取川古戦場周辺の眺めです。

綺麗ですね(´Д` )

遠くに白山も見えます。


以上(´Д` )!

手取川古戦場について紹介しました。

遺構があるわけでは無いのですが、この辺りは白山と手取川を一緒に見ることが出来る大変眺望の良い場所ですので、景色を見ながら歴史に想いを馳せるのも良いのではないかと思います。

白山と手取川、綺麗ですよ(´Д` )

それでは、今宵はこれで失礼します。