小松市 菟橋神社 | 金沢徒然日記

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日々金沢中を徘徊している暇人ぱんだが、つれづれなるままに加賀百万石の文化都市、金沢のことを書き綴ったブログ。金沢の観光スポット、神社仏閣、文化施設を深く深く掘り下げて紹介していきます。

加賀国(´Д` )

現在の石川県加賀地方です。

加賀国成立は平安時代。

越前国から江沼郡と加賀郡が分離して加賀国が出来ました。

これに伴い、江沼郡から能美郡が、加賀郡から石川郡が分離し、加賀国は江沼郡・能美郡・加賀郡・石川郡の四つの郡から成る国となりました。


こうして成立した加賀国の国府は、能美郡の「菟橋郷」(菟は得とも書く)に置かれました。

この菟橋郷の総鎮守として古来から篤く崇敬されているのが、今回紹介する菟橋神社です。



​菟橋神社

こちらは一の鳥居。

鳥居も社標も立派ですね(´Д` )


​◯御祭神:菟橋大神・建御名方命・八坂刀売命
◯鎮座地:石川県小松市
◯創立年:飛鳥時代延長五年(697)

当社の成立は飛鳥時代の文武天皇の御代である延長五年(697)と伝えられています。

延喜式神名帳にも記載されている古社で、前述のように加賀国能美郡得橋郷の総社として広く崇敬されてきました。

菟橋神社という名称もこの得橋郷の名によるものであり、雨水期には洪水氾濫して所々に高地が浮き上がって浮橋のようになるため、「うはし」の郷名が生まれたと伝えられています。

初めは国府の所在地に近い能美郡得橋郷小野村にあり、国守や守護職の祈願所となっていましたが、中世末に至って得橋郷上小松村に遷座しました。

さらに江戸時代に加賀藩三代藩主・前田利常が小松城に居を移すに及び、小松城内の菟橋御門内に奉遷され、小松城・金沢城の守護神として篤く崇敬されました。

慶安四年(1651)になって、前田家により神明宮があった浜田村の地に永代の神域として遷され、社地が増やされて、本殿を始めとする諸殿を造営され、神輿や神宝などの寄進を受けました。

これが現在の社地であり、この時寄進された本殿と神輿は文化財に指定されています。


​菟橋神社

こちらは参道。

広い境内を進むと、今度は朱色の二の鳥居が見えてきます。


​菟橋神社 手水舎

手水舎。

花が飾られていました。

綺麗(´Д` )


​菟橋神社 狛犬

狛犬さん。

鬼滅の刃風のマスクしてます(´Д` )


​菟橋神社 拝殿

拝殿に来ました。

立派ですね(´Д` )

御祭神は前述のように、菟橋大神と諏訪大神である建御名方命と八坂刀売命です。


菟橋大神は産土神で、元来は菟橋郷の鎮守の神でしたが、時代が降るにつれて平安時代に加賀国の国府が置かれたり、江戸時代に小松城・金沢城の鎮護社となるなど、広く加賀国の守護神と崇められるようになりました。


建御名方命は大国主命の第二子で、八坂刀売命はその妃神であり、総本社は信濃国一宮である諏訪大社です。

太古、大国主命が北陸地方を経営するにあたり父神とともにこの地に至り、洪水を治めて国土を開拓し、農耕殖産の道を教えて民衆の生業を助けました。

やがて、自らの御魂をこの地に留め、菟橋郷の鎮守の神となった後に信濃国諏訪の地に赴かれたのだと伝えられています。


​菟橋神社 境内社

菟橋神社の境内社です。

境内社は巌之御魂神社・金刀比羅神社・稲荷神社・少彦名神社・粟嶋神社・天神地祇神霊社及び荒御魂社・須納谷白山社及び杖白山社が鎮座しています。


​菟橋神社 境内社

境内には大小様々なお社が並んでいました。


​菟橋神社 境内社

こちらは白山社ですね。

立派な灯籠が立っています。

お社の横にちょこんと佇む狛犬さんが可愛らしいです(´Д` )


​菟橋神社 境内

こちらの石像はどなたでしょう(´Д` )

お犬様かお狐様でしょうか。


以上(´Д` )!

石川県小松市の菟橋神社を紹介しました。

古来より崇敬されて来た鎮守の神様、小松市に立ち寄った際にはぜひご参拝ください。