もともとは顕本法華宗のお寺であった。
いわゆる小立野寺院群に含まれるお寺だ。
金沢市本多町にある。
江戸時代の元和三年(1617)に京都の寂光寺二代目住職である本因坊算砂、法号・本行院日海が創建した。
これは、加賀藩三代藩主・前田利常の時代にあたる。
二年前の大坂夏の陣で豊臣本家が滅亡し、徳川の世が安定した頃のことであった。
本因坊算砂は日本で初めての棋聖本因坊であり、前田利常を三年間指南し、そのお礼に寺屋敷地所三千歩を賜り、本多安房守・横山山城守の庇護を受けた。
当寺の創建後、本因坊算砂は弟子の本照坊日至に二代目住職を託し、京都に戻った。
当寺は後に三度火災に遭い、明治三十六年(1903)に再建された。
安土桃山時代から江戸時代にかけての囲碁の棋士として有名な本因坊算砂。
その本因坊算砂が金沢に滞在し、加賀藩主に指南していたとは驚きである。
算砂を庇護したとされる本多安房守・横山山城守の両名は加賀藩の重臣で、加賀藩が算砂を丁重に迎えたことがわかる。
算砂の行動力にも驚愕するが、文化の振興に努めた加賀藩の姿勢も垣間見られて大変興味深い。
戦国の世が終わり、文化振興に目が向きやすくなったということもあるのだろう。
参考:本行寺の由緒書き