5歳ごろから「撥(バチ)」の手ほどきがはじまり、3本取り、のころからスピーディーさ、締まるか締まらないか、等々、その「才」の見極めができるようになります。「天才」など存在せず、地道な日々の努力、お稽古の積み重ねが将来の力量を左右するのです。

 

師父・先代正楽の「出刃皿の曲」は、先ず大皿の小手調べ(指さき廻し、小手返し、木の葉返し、もろ手返し)から入り、篠(しの)の先にて廻し分け、湯呑み茶碗を入れ出刃にて「轆轤(ろくろ)回し」。細い金棒を咥えて、その先端において二丁繋ぎの出刃で廻る大皿をそのまま廻し分ける「淀の川瀬は水車」。次に出刃三丁取り。出刃二丁繋ぎの大皿をもう一丁の出刃の「みね」に留め置く「みね留め」。そして出刃の切っ先同士でまわす「切っ先留め」、で喜利となります。この演じ方は実弟の五郎叔父も同様でしたので、実父である師匠・初代菊蔵の型であったのでしょう。

 

わたしは「ネタモノでしょう」以降、大きな岐路に立ち、革新に臨みました。躊躇したのはそれまでのパターンを変えて、はたして「うけ」るかどうか、です。(技芸の手事そのものは同じです)

 

そして「取りもの(三本取り)」の基本がないとできない、出刃三丁取り、から入るパターンに変えました。難技である「轆轤回し」の茶碗を同じ有田焼の大湯吞みを用いることとし、さらに「切っ先留め」は「日本刀の曲」で演じる手事のみに限定して、出刃皿では「立てもの」の基本がないとできない、咥えた金棒の頂上(先端)にてバランスをとりつつ廻し分ける「水車(みずぐるま)」で喜利とするオリジナル・パターンに再構成したのです。

 

国立演芸場、国の芸術祭、三越劇場、海外公演はじめあらゆる受賞公演にても演じてきた、当代正楽そのものなのです。幸い師父も叔父も容認してくれていたものと安堵し、今、雪之介が継承さらに弾力的に上演してくれているのです。(先代が終生用いた出刃は初代菊蔵譲りの曲芸具であり、五郎叔父の重厚な出刃も宗家譲りとして保存継承しています)