江戸里神楽 土師(はじ)流の四代目家元・松本源之助お師匠さんには、一門が大勢いらっしゃいました。

 

小沢昭一さんや俳優の加藤武さんはじめ著名なお弟子さんにも囲まれていました。

 

わたしが印象に残るのは、水戸・常陽芸文センターで開催した「柳貴家正楽の会」に出演していただいたとき、いつもの一番弟子の方が、お師匠さんにつきっきりで、お世話をしていた光景です。ほかにお弟子さんが幾人かいたのですが、誰にも手を出させることなく、身の回り、衣装の着付けまで、全てそのお弟子さんが担ったのです。源之助お師匠さんは、全幅の信頼を置いていたのですね。今のわたしにとっての正佐、そのものです。

 

それから落語における第一号の人間国宝・五代目 柳家小さん師匠に出演をお願いした時、楽屋に柳家小三治師匠がおいでになり、高座を終えた小さん師匠の額から頭にかけての汗をぬぐっていたのです。お付きの前座さんやマネージャーさんがいたのですが・・・満足そうなお顔で小さん師匠は、愛弟子の成すがままに身をゆだねておりました。わたしの終生、忘れ得ぬ光景であり、感動ひとしおでした。

 

国立演芸場の「国立名人会」において、古今亭志ん朝師匠の「ヒザ」(トリの前に出る芸人)を務めたおり、トリの志ん朝師匠の「めくり」が出たとたん、拍手が起きました。わたしは芸人人生で初めて、まだ楽屋にいるうちに拍手をいただく師匠に出会うことができ、その幸運を感謝いたしました。伝説の師匠の、華やかで、艶(つや)やかな、名人芸を目の当たりにできたのです、それもヒザがわりの出演者として。

 

まさに「綺羅星(きらぼし)」の如く、忘れ得ぬ光景、でした。

 

柳貴家雪之介は10歳のときに、五代目小さん師匠と先代正楽の祖父同士の生前の約束ができておりました。いまやその道筋どうりに、お孫さんの花形落語家・柳家花緑師匠の一門として、春風亭小朝師匠のご薫陶までうけています。まだ「不惑」前の身でありながら、ほかの色物にありえない、計り知れぬ恩恵に浴し続けてきたのです。これを励みに精進怠りなく、勇躍、さらに飛翔いたしますように。