わが宗家に伝存する昭和45年(1970年)4月17日付けの文化財指定書は、「水戸のししまい」の名称にて「無形文化財(民俗芸能)」とあり、本文に「重要文化財に指定する」とあります。裏書には保持者として先代の本名「大高四郎」が明記されています。

 

先代家元は「水戸市重要無形文化財保持者」を、生涯の誇り、励みとしていました。

 

平成3年1月26日付けで、茨城県の「無形民俗文化財」として獅子舞・曲芸などを包含して、申請通り「水戸大神楽」の名称となり、「柳貴家正楽社中」が伝承団体に指定されました。

 

平成の御代。国立劇場の花形演芸会にて曲芸の技芸優秀として花形演芸大賞金賞さらに花形演芸年間特別賞を受賞し、水戸大神楽家元・柳貴家宗家の総力にて臨んだ文化庁芸術祭において、「水戸大神楽・柳貴家正楽の会」は「獅子舞・鍾馗舞・曲芸の全体の成果」(芸術祭授賞理由)が高い評価を得て「芸術祭賞」を受賞するに至りました。

 

大神楽の世界で初めてにして唯一のトリプル受賞。このことは演芸界における柳貴家正楽家の芸能レベルの社会的証明となりました。

 

以降「三越名人会」(日本橋三越劇場)「国立名人会」(三宅坂 国立劇場演芸場)「高松宮殿下記念 世界文化賞」歓迎の夕べ(明治神宮)はじめスイス長期公演、アメリカ国立美術館公演などの海外公演、さらにテレビ各局の出演に及びました。

 

令和の御代。半世紀を超える精進そして実績を礎に、「水戸の獅子舞」の少年弟子への伝授が始まります。

 

家元・雪之介は平成6年の「芸術祭」公演の折、「狂い」「鞠の戯れ」の獅子舞および「綾撥」「和傘」「組取り」の曲芸をノーミスで演じ、姉・小雪とともに「至難の曲芸を楽しく破綻なく見せ」「特に、取得困難な古典曲芸に挑む正楽親子の精進ぶりがさわやかで伝統芸の継承に明るい灯をともした」(芸術祭授賞理由)との評価で受賞に至りました。

 

すでに少年弟子ふたりとも「狂いの舞」のお授けを成し、いよいよ格調高い「能の舞」の直授に臨みます。

 

19代家元・雪之介、筆頭一門・正佐のもと、少年弟子たちは日々、令和における無形文化財伝承の歩みを進めて行くのです。