江戸時代の古文書に「水戸の吉田台町に世々獅子舞(俗大神楽)・・を業」とする家があり、神楽師方では「神楽屋敷」と伝えてきました。

 

「世々」とは「代々」のことであるので、幾代にも及んでいたことが窺えます。

 

平成六年にはじめて公表して以来、神楽屋敷当主・栗林主計(かずえ 本名 金之衛門)の存在が歴史の表舞台に登場することとなりました。

 

さらに「世々」(「代々」)を裏付けるあらたな史料の発見に至りました。主計の先代である栗林出雲(いずも)の実在です。

 

宝暦二年(1752年)の水戸東照宮祭礼に供奉した主計は、当時30代半ばから40歳ごろと推認され、30年後のころには衰退し、天命5年「相果て候」(帰幽)を以て「足黒村・・宮内求馬と申す者へ」「株譲り」となりました。主計60代半ばから70歳前後と推定されるのです。(拙著「大神楽全書」 第3刊)

 

それ以後、栗林主石の世(代)となり卜占、祈祷など陰陽師としての生業(なりわい)を家業となさんとしたようですが、栗林家文書は宮内靫負預かりとなり、その直系子孫である宮内三之介老を経て、柳貴家正楽家が保存伝承してこんにちに至っております。

 

(今表記を含めた神楽屋敷・栗林家からはじまる水戸大神楽の歴史、由来、見解は正楽家著作による権利があり無断使用厳禁です)